バヌアツから帰って6年が経った。写真は撮ってから暫く時間をおいて見直すと、違った面白さを見出すことがある。当時はデジカメを始めたばかりで、未熟な画像処理で画質を損ねたものが多いが、現地でパソコンを壊して原画を失い、今となっては再補正が出来ない。言いわけはともかく、そんな中から以下の写真を選んでみた。記事で使用済のリサイクルが多いのもご容赦いただきたい。

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バヌアツの海
バヌアツ人は蒙古系とアフリカ系の混血で、南アジアから海を渡り、4000年前にこの辺りの島に住み着いたと言われる。太古から天体観測で大洋を航海する技術を持ち、日本列島との往来があったという説もある。バヌアツ民話にはそんな海洋民族の伝統を彷彿させる箇所や、日本の神話・伝承とそっくりなストーリーが随所に出てくる。
 
アナイチョム島 サント島 シャンパンビーチ ビラ湾 タンナ島 モソ島 ハバナ湾

バヌアツの自然
バヌアツでは「山岳写真屋」の出番がなく、2年間で撮った「自然写真」はこれくらいしかない。
 
タンナ島 ヤスール火山 サント島 ブルーホール ガジュマル 火焔樹 デイゴと鳥たち

バヌアツの子供たち
バヌアツで強く印象に残ったのは、子供たちの「明るさ」「まともさ」。貧しい国では子供たちにお金やモノをねだられるが、バヌアツではそうした経験は一度もなく、通りすがりの子供から野の花や時にアメ玉をもらったりした。子供の「まともさ」は社会の「まともさ」の鏡で、この国が「世界一幸福な国」に選ばれたことに納得がゆく。写真で見ると、子供たちの表情が「まともな大人の顔」であることにも気付かされる。そんな「まともさ」が続いてほしい。

 
ペンテコスト島 アナイチョム島 ペレ ポートビラ アンバエ島 エパウ村 タンナ島 ポートビラ
アンバエ島 タンナ島 エパウ村 ポートビラ

バヌアツの祭り
離島にも「近代化」が押し寄せ、住民の生活は昔どおりではないが、祭りでは原始に戻る。観光客に公開して現金収入源にしている集落があり、ペンテコスト島のナンゴール(ヤムイモ収穫祈念祭)とタンナ島のダンスはその代表である。
 
ペンテコスト島 ナンゴール(ヤムイモ収穫祈念) タンナ島カスタムビレッジの伝統ダンス

バヌアツの国体
アンバエ島の保健省で働く青年協力隊のK君の世話で国体見学に出かけた。国体は数年おきに州の持ち回りで開催されるが、最貧国の離島に整備された競技場などある筈がなく、その都度ジャングルを切り開いて造成し、大会後に放置しておけば数十年で元のジャングルに還る。バヌアツ人は身体能力が高く、草原のトラックを裸足で走って100m10秒台を出す。会場や設備は原始的だが、競技は本式で審判もサマになっているが、表彰式で例の「見よ、勇者は帰りぬ」の代わりに伝統のウッドドラムで勝者を讃えるのがバヌアツ流。
 
リレー サッカー ビーチバレー ボクシング 表彰式

エパウ村の暮らし
村落の暮らしを冗談半分に「さながら縄文時代」と形容したら「石器時代」と訂正された。山奥には今もそんな暮らしの集落が残っているらしい。小生は首都近郊(車で40分)のエパウ村で語学ホームステイを体験したが、戦後の日本の山村の暮らしもこんな具合だったと思う。
米軍が作った軍用道路 行水 村のパン屋 伝統料理のラプラプを作る 農産物出荷 村の楽団

ポートビラ
首都と言っても人口は4万。日本の地方都市のサイズで、「バヌアツ銀座」は10分も歩けば通り抜けてしまう。隣国オーストラリア人やニュージーランド人の手軽な観光地で、白人経営の多少あかぬけたレストランや免税店が並ぶ。お金は白人の間でグルグル回るだけで、バヌアツ人には下働きの仕事しかないが、現金収入を求める出稼ぎ人でスラム化が進み、遺憾ながら犯罪も急増中である。
 
中心部 国会議事堂 中心部を望む メレ湾 入り江 官庁街の朝 公設市場 大統領の観閲
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