当シリーズの冒頭で、山写真は「山のポートレート」で、人物のポートレートがその人物の素敵な人柄が滲み出た写真でなければ意味がないように、山写真もその山の魅力(厳しさを含め)が伝わらなければ、見る人の心を打たない、と書いた。人物のポートレートも撮ったことがないのに、カッコよく吠えすぎたと反省しているが、既に百選の半ばを過ぎたので、完遂に向けて進ませていただく。

今回は海外の山の残りを挙げる。アタマ数揃えの趣きもあるが、読者諸賢のご寛恕を乞う次第。下地図の赤三角は今回掲載の山、中白マークはこれまで掲載した山の地域を示す。


北アメリカの山
58.ホイットニー山 (4418m)   撮影:カリフォルニア・ハイウェイ395号線から   2007/10/17

アラスカを除く米国本土49州の最高峰、ホイットニー山との出会いは1969年5月に遡る。ロスに3ヵ月の出張でレンタカーを許された。社用以外では使用禁止と言われたが、ロスでは食事をするにも車が要る。食事が社用なら週末の気晴らしも社用と独断し、ヨセミテまで往復1500Kmのドライブに出かけた(ガソリンは自前だが、当時は水より安かった)。

シエラネバダ山脈の東を南北に走る395号線は一般道路だが、市街地以外は55マイル(90Km)OKで、フリーウェイで味わえない「旅」を感じながらのドライブが楽しかった。半日走り、ローンパイン(Lone Pine 一本松)でホイットニー登山口の案内を見つけた。興味が湧いて脇道に逸れたが、意外に遠くて時間を食い、売店をチラッと覗いて395号線に戻り先を急いだ。

その後も何度かローンパインを通過したが、路傍に車を止めてホイットニーを撮ったのは2007年秋だけ(中央左のピーク)。作品と言えるレベルの写真ではないが、若い頃を思い出させる1枚ではある。ホイットニー登山は標高差があり距離も長い。入山人数の規制がきつく岩場のガイドも要り、気になりながら登らずじまいの山になった。
(旅のレポート: 南カリフォルニア シエラ街道


NIKON D-200 18-200mm (150mmで撮影)ISO200 f8、1/320


59. ハーフドーム(2693m)   撮影: ヨセミテ国立公園 ヨセミテ滝上部から   2007/10/19 

ヨセミテは機会ある度に日帰りで訪れ、その都度シンボルのハーフドームを撮ったが、あまりにもポピュラーな風景で、どう撮っても新鮮味がない。最後の旅は2007年秋で、公園内のロッジに5泊して歩き回った。念願だったヨセミテ滝の脇のルートも最上部の落ち口まで登ったが、渇水期で水がなかった。10月はリーズンの終わりで、レンジャー(公園保安官)が植生の再生に枯草を燃やす。その煙が谷にたちこめ、せっかくの眺めが霞んでいた。諦めて途中まで下ると午後の風が出て煙が薄れ、ハーフドームに秋の光が当たっていた。
(レポート:中部カリフォルニア


ニコンD200、18-200(18mmで撮影)ISO250、 F4, 1/640


60.カテドラル・ピーク(3327m) 撮影:ミューア・トレイル カテドラル湖から  2007/10/20   

スコットランド出身のジョン・ミューア(John Muir 1838-1914))は、ゴールドラッシュの乱開発からシェラネバダの自然を守る運動に奔走し、時の大統領セオドア・ルーズベルトを動かして「国立公園」の理念を確立させた。この「自然保護の父」と呼ばれる人物を記念し、ヨセミテ渓谷とホイットニー山を結ぶ340Kmの縦走路が「ジョン・ミューア・トレイル」と名付けられている。我々が歩いたのは3Km足らずだが、途中で人と会わず、本気で熊とのはちあわせを心配した。
(旅のレポート:中部カリフォルニア


ニコンD200  18-200mm(26mmで撮影) ISO250、F5.6、1/640 


61.フッド山(3429m)    撮影:オレゴン州 ティンバーラインから     1993/9

理由はあまり無いのだが、オレゴンが好きで贔屓になり、工場建設の候補地に強く推したりもした。思い出してみると、飛行機の窓からフッド山を見て「あっ、富士山!」と思ったのが、贔屓の始りだったような気がする(右の写真)。オレゴンはカリフォルニアと共に日系移民が多く、彼等も親しみを込めて「オレゴン富士」と呼ぶ。

遠くから眺めれば優美な「オレゴン富士」だが、近づくと若い火山の荒々しい姿を見せる。フッド山に噴火の記録がないのは、西部に白人の歴史が200年足らずしかないからで、先住民は活発な噴火を目撃したに違いない。北隣のセントヘレンズ山が1980年の大噴火で山頂部を400m吹き飛ばしたように、フッド山も遠からず眠りを覚ますのではないか。
(レポート:ワシントン・オレゴン


Nikon F3 Fujichrome-100  撮影データなし  (友山クラブ写真展出展作品) 


南アメリカの山
62.アコンカグア(6961m)   撮影:アルゼンチン・チリ国境近くから    2007/2/15

ヒマラヤ以外の世界最高峰が南米のアコンカグアで、その山を眺めるために、パタゴニアのツアーで2000㎞の寄り道をした。この辺りは偏西風の影響をまともに受けて天候が安定せず、予報では低気圧の波状襲来を告げていた。ガイドが国立公園事務所に何度も電話して変化の周期を確かめ、途中の観光スポットで時間調整しながらバスを進めた。駐車場に入ると同時に雲の緞帳が上がってアコンカグアが姿を現わし、20分後の「写真タイム」終了と同時に緞帳が下がった。その時は自分が「稀代の晴れ男」だと信じたが、その後の旅で肝心な時にダメが重なり、今は「フツーの人」と納得している。
(旅のレポート: アルゼンチン


Nikon D200 18-200mm(120mmで撮影) ISO200 f8 1/500


63. フィッツロイ (4122m)   撮影:パタゴニア・エルチャルテンへの道路から   2007/2/19 

山の写真の会に入ってすぐの写真展で、先輩のフィッツロイの作品に感服した。撮影場所に行き方を聞くと「アンデス山中で、飛行機で3日、ロバで3日かかるが、行っても滅多に見えないよ」と教えてくれた。10年後に訪れると麓の村まで立派な道路が通じていた。先輩にからかわれたと思ったが、道路は出来たばかりで、麓の村も建設ラッシュの最中だった。現地ガイドに事情を訊ねると、この地域は隣国チリとの国境が確定しておらず、領有権確立のために民間人の定住を急いでいるのだ、と小声で教えてくれた。
(旅のレポート: パタゴニア-1


Nikon D200  18-200mm(150mmで撮影) ISO250 F7、1/750  EV -0.3


ニュージーランドの山
64. セフトン山(3148m)  撮影:アオラキ村から    2006/4/10

2006年当時、JICAシニア海外ボランテイアは1年に1ヵ月の休暇を認められていた。バヌアツでの2年目の休暇は家内と共に近くのニュージーランドで4週間の旅をした。南島でルートバーントラックとミルフォードトラックを歩き、アオラキ国立公園に移動して最初に目に入った山がセフトンだった。標高は奥穂高岳クラスだが、びっしり氷河をまとった姿はヒマラヤの7千m級。南緯43度70分はヨーロッパアルプスの緯度と同じで、日本の大雪山(北緯43度67分 2290m)も標高が1千m高ければこんな姿になっていたかもしれない。
(旅のレポート:NZ アオラキ


Nikon D100  18-200mm (90mm で撮影) ISO200  f7、 1/800 (友山クラブ写真展出展)


65.アオラキ(クック山)(3754m)  撮影:アオラキ村セアリ―ターンズ展望台から  2006/4/10

ニュージーランドの最高峰は「マウント・クック」と呼ばれていた。1769年にニュージーランドに上陸したクック船長に由来するが、先住民の権利と文化を尊重する風潮に沿ってマオリ名の「アオラキ」を並記するようになり、麓のリゾートもアオラキ云々に改名された。

アオラキの標高は富士山(3774m)とほぼ同じだがヒマラヤの8千m峰の様相を示し、シロウトが弾丸登山できる山ではない。エベレストに初登頂した英国隊のヒラリー卿はこの地の出身で、登山技術をアオラキで磨いたという。
(旅のレポート:NZ アオラキ


Nikon D100  24-120mm (65mm で撮影) ISO200  f11、 1/500 (友山クラグ写真展出展)


66.アオラキ-2   撮影:ブカキ湖から    2006/4/8

アオラキの麓に3泊して堪能し、帰り道にブカキ湖に沿って走っていると、バックミラーにアオラキが小さく映っていた。路傍に車を止めるとこの絶景があった。しばらく後になり、日本の自動車メーカーがCMを撮った有名な場所と知った。


Nikon D100s  18-200mm (135mm で撮影) ISO200  f8、 1/1000 


南極半島の山
67.南極半島の山-1   撮影:クーバービル島付近 (南緯64度68分)   1994/12/26

勤続30年で2週間の特別休暇の制度が出来て「奥さんと一緒に海外旅行しなさい」と30万円の手当まで出た。日本のモーレツ社員の働き方が欧米から批判され、長期休暇を強制した事情もあったが、「オレが休むと会社が困る」と思い込んでいる窓際社員に「居なくて問題ナシ」と気付かせ、肩叩きに心の準備をさせる深謀遠慮もあったのだろう。当時ダラス駐在の小生は、連れ合いを呼んで南極半島ツアーに出かけた(旅費は30万円をかなり超えたが)。

南極観光の船に「耐氷船」と「砕氷船」がある。耐氷船では密氷の海域に入れないが、我々が参加した米国の極地ツアーの船はロシア人の船員込みでチャーターしたロシアの砕氷船で、氷海を平然と突き進み、息を飲む絶景を堪能させてくれた(4年前の東西冷戦解消を象徴するクルーズでもあった)。
(旅のレポート: 南極半島 その2)


Nikon N90  Fujichrome100 撮影データなし (友山クラブ写真展出展)


68.南極半島の山-2     撮影:南緯65度40分周辺              1994/12/26

南緯66度33分の「南極圏」に向けて夏至を過ぎたばかりの白夜の氷海を南下、南極半島の山を太陽が低い角度から照らしていた。左上のレンズ雲は強風のサインだが、航海は平穏だった。
(旅のレポート: 南極半島 その2)


Nikon N90 Fujichrome-100 撮影データなし


カムチャツカ半島の山
69.アパチャ火山(2741m)   撮影:アパチャ・ベースキャンプから     2003/7/29

ロシア極東のカムチャツカは富士山型の活火山がびっしり並ぶ火山列島である。その中から州都(ペトロパブロフスクカムチャツキー)に近いアパチャ火山が、新生ロシアのドル稼ぎの観光資源として、海外の旅行者に開放された。ソ連崩壊(1991年)まで「サービス業」が存在せず、不愉快な旅行経験談ばかり聞かされた国で、ツアー会社に「モルモットのつもりで」と予防線を張られたが、入国審査官の超不愛想はご愛敬として、大自然を楽しませる精一杯の努力が感じられて好感が持てた。

アパチャ登山がツアーの目玉だったが、ベースキャンプから山頂まで標高差1900mの日帰り登山はキツく、参加者の大半が5合目で引き返した。頂上を目指したのは小生を含めて客3人+添乗員にガイド2名だったが、標高2600mで氷雨になり、客の1人の足が遅れたこともあって9合目で引き返した。
(旅のレポート: カムチャツカ


Nikon D100  18-200mm (85mm で撮影) ISO400  f7、 1/400