「アオラキ」は、ニュージーランド(NZ)の最高峰マウント・ クック(3724m)の先住民マオリ族の呼び名で、「雲の峰」を意味する。現在の正式名称は「Aoraki/Mt. Cook」と両名併記だが、本稿ではアオラキと呼ぶ。
アオラキの標高は3764mだったが、1991年に山頂が崩落、その後も山頂部の崩壊が続き、2014年に3724mと再評定された。富士山(3776m)より少し低いが、高緯度(南緯43度35分)にあって且つ降水量が多いため、2000mより上は氷雪に覆われ、山頂部の状態はヒマラヤの8千m峰クラスで、もちろんシロウトが登れる山ではない(遭難死者の累計はエベレストとほぼ同数の230名)。NZのオークランドに生まれてエベレストに初登頂したヒラリー卿は、この山で高所登山の技術を磨いたといわれ、ヒマラヤ遭難映画の撮影ロケでしばしば使われるのも納得できる。
旧姓の「マウント・クック」は、1769年にこの海域を航海して詳細な海図を作った英国人のクック船長に因んで付けられた。クックをNZの「発見者」のように言う資料があるが、最初にこの地域に到達したヨーロッパ人は1642年のタスマンで、彼の名前はNZ西海岸のタスマン海と、オーストラリア南方海上のタスマニア島に残る。イギリス人は先輩にゴマすってその名を地名に付けたがるようで、インド北部を測量して世界最高峰を確認した測量部長のウオー(Waugh)は、前任の測量部長エベレストの名をその山に付け、アルゼンチン沖の群島を調査した英海軍のストロン船長も、上司の爵位名をとってフォークランド諸島と名付けた。同様の例は旧英植民地(米国を含む)を探せばいくらでもありそうだ。
ヨーロッパ人は新大陸や新島を「発見」すると、先住民を「征服」して彼等の土地を領土にして、勝手に本国に由来する地名を付けた。その後列強同士が武力を背景に争って、分捕った領土の地名を勝手に書き換えた事例もある。例えばオランダ領「ニューアムステルダム」は英領「ニューヨーク」になり、台湾の最高峰「八通関山」(3952m)は明治天皇が名付け親とされる「新高山」(にいたかやま)になった(現在は「玉山」)。地名など大したことではないと思うかもしれないが、もし占領時に「富士山」が「マウント・トルーマン」に、「東京」が「ニューワシントン」に変えられていたら、敗戦国民は圧倒的武力を持つ占領軍を相手に、ゲリラ戦を続けていたに違いない。
国家間の戦争でも民族抗争でも、勝者(支配者)と敗者(被支配者)が生じる。敗者は勝者の武力に屈しても、その伝統や文化が踏みにじられれば、恨みはいつか支配者への反撃となって噴き出し、勝者を脅かすことになる。第二次大戦で勝った国々も、それまで支配していた植民地の独立を許し、国内に存在する「被征服」階級からの「平等」への強い要求にも、応えるしかなかった。米国では、黒人の公民権獲得の余震のようなかたちで、先住民が100年以上前に蒙った居住地からの強制移動が補償され、大戦中の日系人強制収容への謝罪と補償も実現した。そんな流れの中で、米国の最高峰マッキンリー(大統領名 6190m)が先住民の聖山「デナリ」(偉大なるもの)になり、オーストラリア観光名所の巨岩エアーズ・ロック(植民地首相の名)は、先住民アボリジニの聖地「ウルル」と公認され、山頂の観光が禁止になった。NZも、やや中途半端ではあるが、マウント・クックをアオラキ/マウントクック併記に踏み切ったのである。
強者が弱者の心情に配慮を示すのは欺瞞だと言う人もいるが、強者が無神経にやりたい放題を続けるよりよほどマシで、先住民の地名を公式に復活させることは、支配者が武力を背景に行った過去の不公正を認める「勇気ある決断」と言って良い。逆に見れば、それだけ支配者のパワーが衰えた証拠でもあるが、いつの世も「勝者必滅」が歴史のルール。強者が弱者に気を配って言い分を聞き入れることは、ある意味、体制を維持しつつ緩やかに変革を進める「保守」の道と言えるだろう。とは言え21世紀の今も、権力の集中と強化(=弱者抑圧)で体制を維持したがる超保守がうごめいている。そんな連中の権力欲がモロにぶつかり合えば、「人類滅亡」が現実になりかねない。世界の民が共に平和に暮らすには、弱者がお互いに連帯して声を上げて強者の暴走を牽制し、場合によって引きずり下ろすしかなさそうだ。
4月5日にミルフォードトラックのトレッキングを終えてクイーンズタウンに戻り、翌6日にテ アナウ湖に移動。周辺を観光して(このレポートは別途)7日にアオラキ国立公園に移動。公園内の宿泊は高料金なので、手前のマウントクック村(この村は今も「旧姓」のままらしい)のモーテルに前泊。シーズンの終りで閑散として寒々しく、怖いほど静かだったと記憶する。
夜明けを待ってモーテルの庭に三脚を立て、初冬の寒さに震えながら、時々刻々変化するアオラキを撮る。すごく立派に見えるアオラキの姿に、公園内の2泊3日に期待が膨らむ。朝食後景色の良い道路を30分走り、観光拠点のアオラキ/マウントクック村(ここは両名併記)に入る。宿のチェックインにまだ6時間あるので、村を通り過ぎて道路終点の駐車場に車を止め、セアリー・ターンズのトレッキングコースを登る。秋の草紅葉に彩られた平原の両脇から急峻な岩壁が立ち上がり、標高1500mあたりにくっきりと雪線が引かれ、その上は氷雪の世界。こんな景色は他で見たことがない。
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宿舎の部屋にあったパンフレットで、アオラキ周辺を飛んで氷河に着陸する遊覧フライトを知った。ウーンと呻りたくなる料金だが、フライト日和の好天に気を良くし、「一生の思い出になる経験」という宣伝文句につられて申し込んだ。小生恥ずかしながらかなり重度の「高所恐怖症」だが、何故か飛行機は怖くない。小型機やヘリも平気で、怖いどころか進んで乗りたがり、メカにも興味がある。フライトに使うピラタス・ポーター機は山岳用に設計されたスイス製高翼単発の小型機で、スキーを履くと雪上を離着陸する「氷陸両用機」になる。これは本当に「一生の思い出」になりそうだ。
約束の8時40分にホテルの前で待っていると大型バスが迎えに来たが、乗ったのは我々2人だけ。アオラキ・マウントクック空港に10分で到着。1996年8月にNZを初めて訪れた時、クライストチャーチからクイーンズタウンへの定期便が途中で着陸したのが、この空港だったらしい。20分程待つと我々のフライトの番になった。同乗者はやはり日本人夫婦で、挨拶と軽い会話を交わした筈だが、フライトの興奮が先に立って記憶に残っていない。離陸から氷河着陸までのフライト前半は操縦士の横に座らせてもらい、狭い空間でカメラ3台を夢中で振り回しながら撮りまくった。
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アオラキでの2泊3日はアッという間に過ぎた。ルートバーンとミルフォードの連続トレッキングの疲れが出たのか、あまり熱心に歩かず、観光フライトの他は展望スポットを2ヶ所歩いただけだが、アオラキで撮った中から5点を写真展に出したので、旅の収穫は十分。NZの旅はまだ半分、読者諸賢にはあと数回「焼き直しレポート」におつきあい願いたい。
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