現役を退いて隠居の身になれば、今の世を映す「はやり言葉」がトンチンカンになるのは仕方ないとしても、ネットの世界で飛び交っている粗雑な英語もどきの造語には違和感を覚える。「インフルエンサー」は「Influence」(影響を与えること)に「-er」(~をする人)をくっつけたと見当がつくが、「バズる」「ステマ」となると、小生の言語能力では何のことか想像もつかない。検索によれば「バズる」は「buzz」(蜂がぶんぶん音をたてて飛ぶこと)が語源で、SNS投稿に同調者が多い状態を意味し、「ステマ」は「stealth marketing」の合成・短縮語で、広告と気付かせない巧妙な広告を云うらしい。
粗雑な英語もどきに違和感と言いながら、拙稿に「リベンジ」を冠するのは自己撞着だが、リベンジが「再挑戦・敗者復活」の意で流通しているらしいので、軽薄に真似させていただく。ちなみに英英辞典(COD)で「revenge」を引くと、「恨みを抱いて復讐する」が本来の意で、「オモテに出ろ!」のニュアンスがあり、気軽に使える用語ではなさそうだ。
「リベンジ山歩き」は先月掲載の「へろへろ山歩き 筑波山」の「敗者復活」のつもりで書いている。傘寿を過ぎれば「加齢による体力低下」を甘受するしかないが、へろへろが筑波山の中腹だったことにわだかまりが残った。筑波山は百名山とはいえ標高は1000mに届かない。そんな低山の中腹で挫折したとあっては、死んでも死にきれないではないか。
3千m級の山で容易に登頂できそうなのが一つ残っていた。中央アルプスの木曽駒ケ岳(2956m)だ。百名山で2001年8月に登頂済みだが、ロープウェイの順番待ちが長かったことしか記憶になく、ロクな写真もない。そんなわけで、紅葉シーズンに合わせて「リベンジ=再挑戦」する気が起きた。何かと多用な相棒(つれあい)とスケジュールが合ったのは10月11日午後からで、変わりやすい秋の空の晴れ間をヒットすることにもなった。
木曽駒ケ岳の登頂が容易な理由が二つある。一つはアクセスの良さで、中央道・駒ケ根インターから5分で登山口に着く。我々は午後2時に千葉の家を出て18時にインター近くの温泉宿に到着、翌朝8時過ぎに宿を出てすぐ近くのバスセンター駐車場に車を入れた。そこから先は一般車両通行禁止で、乗車券購入に長い列が出来ていたが、臨時便が次々に出て、9時前に乗車して30分で「しらび平」に到着。ロープウェイの乗り継ぎも待つことなく、9時45分に標高2612mの「千畳敷」に着いた。首都圏からこれほどアクセスが良い標高2千m超の山は、山頂のホテルまでバスで行ける美ヶ原(2034m)しか思いあたらない。
千畳敷にもロープウェイの駅に隣接したホテルがある。今回は利用しなかったが、2016年6月にヒマラヤのレンジョパス(5345m)トレッキングに出かける前に、高所順応の目的で宿泊したことがある。日本で標高2600mを超える宿泊施設は、夏季のみ営業で本格登山を要する山小屋だけで、容易に行けて通年営業の千畳敷ホテルは高度順応に最適なのだ。
木曽駒登山が容易な第2のポイントは、登山のスタート地点(千畳敷ロープウェイ駅)から山頂までの標高差が少ない(苦労が少ない)ことで、山頂手前の中岳の登り返しを入れても400mに満たない。多少キツイのは千畳敷カール端から乗越浄土までの標高差200mの「八丁坂」だけで、整備されたジグザクの坂をガンバって登りきれば、その先は山頂までなだらかな道が続く。
千畳敷カールにはお花畑を巡る遊歩道があり、眼前に迫る宝剣岳(2931m)のダイナミックな山岳景観と南アルプスの展望が楽しめるので、ロープウェイの客の大半は遊歩道が目当ての観光客である。遊歩道の最奥に「ここから先は完全な登山装備で」と警告板があり、そこから八丁坂の登りが始まる。
八丁坂の取りつきから乗越浄土(2931m)までの標準タイムは40分だが、急ぐことはない。標高3千mで息が切れたら行動不能に陥るかもしれず、ことさらにゆっくりペースで登る。シャッターを押す度に深呼吸、坂の途中で2度小休止し、59分で乗越浄土に着いた。2016年(75歳時)に高所順応で八丁坂を登った時は一度も休まなかったと思うが、あれから6年、喜寿・傘寿と老いのフシ目を二つ越えたのだから、標準(40代男性)タイム ×1.4 は上出来と思えばよい。
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木曽駒には百名山登山で2001年8月4日に登頂し、山頂標識の脇で撮った証拠写真もあるが、何故か小生も相棒にも登頂の記憶がない。高山の登頂は非日常イベントだから、何等かの思い出が残るものだが、木曽駒がなぜ例外なのか考えてみた。登頂の記憶は山頂直下の最後の登りとリンクし、キツければキツいほど登頂の達成感が強く記憶に残る。山頂の展望も重要で、素晴らしければ素晴らしいほど強く脳裏に焼き付く。木曽駒の山頂はのっぺりした広場で、どこが最高点なのか標識で知るしかなく、登頂の感慨が湧き難い。証拠写真を見ると山頂は霧につつまれて展望ゼロだった。つまり前回の木曽駒登頂には記憶のキーが無かったのだ。
木曽駒の山頂がのっぺりしているのは伊那側(駒ケ根)から登頂した場合で、木曽側から登れば、山頂は厳しい連続急登の頂点にある。木曽駒が山岳信仰の聖地だった時代、メインルートは木曽からの登山道で、標高差2000mを超えるキツイ登りの末にやっとたどりつく山頂は、信仰登山の価値を高めていた筈だ。戦後になって木曽側からロープウェイを架ける計画が持ち上がったが、住民の猛反対で実現せず、1967年(昭和42年)に伊那側に現在のロープウェイが架けられ、登山者の大半が伊那側に転じた。観光客や非力な高齢登山者にはありがたい「文明の利器」だが、登山の醍醐味が薄れたことも確かだろう。
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21年前の山頂は霧の中だったが、今回は北アルプス、南アルプスの峰々と富士山の展望が得られた。2500mあたりに水蒸気が漂って遠方の2千級の山々が見えなかったが、条件が良ければ、百名山の1/3が望める日本一の山岳展望台なのだ。
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「文明の利器」で一気に標高の高い場所に連れて行かれると、高度順応が間に合わなくなる。小生は数年前から屡々2300mで高度障害を経験していたので、平地から1時間足らずで2600mに達する木曽駒は高山病の不安があったが、体調が良かったのだろうか、食欲が落ちることもなく、山頂でフリーズドライの五目飯をポットのお湯で戻して「お茶碗2杯分」を完食。
山頂で1時間を過ごし、傾き始めた秋の陽にせかされるように下山にかかる。山頂と乗越浄土の中間の中岳は標高差50mほどのコブで、往路はコブを越えたが、復路の登り返しがウザったく、中岳の裾を巻くバイパス路を選んだ。巻き道の分岐点に「危険」の標識が立っているが、多少の岩場は単調な山歩きに変化を与える「遊び場」で、鎖につかまったり岩の割れ目に指をかけてよじ登ったりするのも、楽しみの内なのだ(本当に危険なルートは、登山地図上に点線で示されている)。中岳の巻き道は西側が断崖絶壁で切れ落ち、滑落すれば命はないが、足場がしっかりしているので大丈夫。大岩を乗り越える「遊び場」も楽しんで、20分で無事通過した。
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巻き道の「遊び場」で滑落せず、八丁坂の下りで転倒することなく、ロープウェイとバスも臨時便がスムーズにつながり、高速道路で渋滞なく、「リベンジ登山」は無事に終わった。
だが「何事も無かった」わけではない。中央高速で笹子トンネルを抜けると予報外れの強い雨が降っていた。後期高齢以降「夜間」と「雨天」の運転を極力避けてきたが、その両方が重なったのだ。高速・夜間・雨天は夫々視野を狭める危険要因で、それに加齢による反射能力低下が加われば、事故を起こす確率は山の遭難より高いかもしれない。今回は結果的にOKだったが、自分の車での長距離移動は自重するべし、と改めて自覚した次第。
事故といえば、木曽駒から帰った翌日、富士山麓のあざみラインでツアーバスの横転事故が起きた。あざみラインは須走登山口のアクセスで通ったことがある。急勾配・急カーブの連続はあるが、ありふれた山道で、木曽駒のバス専用道路の方がよほど険しい。事故原因は、運転手が「急勾配の下りはエンジンブレーキで」の基本を知らず、フットブレーキを踏み続けてダメにしたらしい。プロ運転手にあるまじき未熟運転だが、免許試験の実技に急坂下りは無い。90万人の大型二種免許保持者の中には、急坂下りが未経験の運転手が少なからずいる筈だ。そんな運転手を実地訓練ナシで現場に出した会社の無責任は非難されるべきだが、観光業界に無責任・倫理崩壊が横行していることは、知床の観光船事故で露呈した。
無責任・倫理崩壊は観光業者に留まらず、超一流と言われる大企業にまで及んでいる。大型バスでトヨタ系メーカーがエンジンの性能をごまかしていたことが発覚したが、同様の不祥事は、自動車、電器、建築、金属・化学材料、証券、出版、広告等々あらゆる業界で起きていて、挙げ始めたらキリがない。この国の倫理のタガが外れてしまった感があるが、その頂点が政権政党の倫理崩壊だろう。
60年安保当時、首相だった岸信介氏が、韓国で反日的な教義(懲日的と言うべきか)で信者を集めていた新興宗教団体を、「反共の同盟者」として日本に招き入れるという「奇想天外」の手を使ったことは、7月に「白馬山麓ちょこっと山歩き」の冒頭に書いた。日本に進出した教団は、催眠術的な布教で信者からカネを吸い上げ、韓国の本部に送られた資金の一部が日本に還流し、教団の覆面組織が保守右派と「アウンの呼吸」で持ちつ持たれつの政治活動を行っていた。そのカラクリが明るみに出るきっかけになったのが安部元首相襲撃事件だった。岸首相の孫で保守右派の首領でもあった元首相が、カラクリを知らなかったとは思えず、同氏の派閥にカラクリの受益者が集中していることからも、コア的な存在だったと見て当然だろう。その意味で、教団のカネ集めの被害者だった襲撃実行犯が、元首相を「リベンジ」(恨みを抱いて報復)の標的にしたことに、一連の因縁を感じざるをえない。
昨今の「円安」は日米の金利差が原因というが、60年前、財政学の講義で、実態経済以上に通貨を発行すれば通貨の価値が下がってハイパーインフレが起きると教わった記憶がある。その定説に拠れば、円安の本当の原因は「××ノミクス」とやらで日銀に円を乱発させたことにあり、円の価値下落はこの国の劣化の表象と言えるのではないか。元首相は街頭演説で「1万円札は1枚17円でいくらでも刷れるのです!」を常套句にしていたが、根本的に間違えていたような気がする。国会で繰り返した「私が立法府の長ですから」の誤答弁も、ホンキでそう思っていた(三権分立を知らなかった)フシがある。「モリ・カケ・サクラ」の追求に見えすいた言い逃れを重ねるのを見て、「あれが世間で通るのなら、オレも・・・」と考えた不逞の輩は少なくないだろう。この国の倫理のタガが外れたことと、長期政権が重ねてきた数々の不誠実が無関係だったとは思えず、「あの国葬は何だったのか」の思いがつのる。政治家に「聖人君子」を求めないが、最低限の人格・品格は持ち合わせて欲しい。タガの外れたこの国の再生は、政治家の倫理再生から始めてもらうしかない。
今回の山歩きレポートも最後で横道にそれたが、毎度のことなのでご容赦いただきたい。雪の便りを聞けば、山歩きは春までおあずけになる。それまで体力・気力が残っているかどうか・・・