今年は7月に白馬山麓8月に乗鞍岳と、久しぶりに北アルプスで山歩きをした。と言っても歩いたのは1日に2、3時間で、累積標高差(登り+下り)も600m程度だったが、高度障害が起きず、疲れが残ることもなく、傘寿でも「まだまだ大丈夫」と、いささか気を良くしていた。

8月某日の朝食時、つれあいが突然「これから筑波山に行こう」と言い出した。この日がつれあいの誕生日で、傘寿記念に筑波山に登って山歩き能力を確認したいという。そう言われれば小生に「ダメ」の選択肢はない。夕方4時から近隣ボランティアの打合せがあり、それまでに帰宅できるように、急いで朝食と雑用を片づけて家を出た。

千葉県北部の拙宅から筑波山まで55Km、一般道路を1時間半走れば筑波神社の駐車場に着く。近場の百名山でそれなりに登りごたえがある筑波山は、我々の山歩きの足慣らし場で、百名山を始めた1997年1月に登って以来、ほぼ毎年のように(時に年に2度)登っていたが、コロナ禍で登山の機会が減って足慣らしの用もなく、2019年3月を最後に足が遠のいていた。

日本百名山の作者深田久弥は、標高1千mに届かない筑波山を日本百名山に入れた理由に「歴史の古いこと」を挙げ、奈良時代初期(和銅6年)に記された「常陸国風土記」にある「富士山より筑波山の方が偉い」という説話を紹介している。万葉集にも筑波山関連の歌が25首あり、近郷近在の男女が四季折々に筑波山に登り、山上で歌い踊った様子はバブル時代の六本木のディスコを彷彿させ、中でも高橋虫麻呂の一首(第九巻1757号)はフリーセックスパーティを想像させる。つまり筑波山は山岳信仰が興る以前から庶民が登り親しんだ山なのだ。その頃の人たちは誰もが健脚だった筈で、麓(標高50m)から山上の御幸ヶ原広場(標高800m)まで、平地を行くが如く賑やかに集団登山していたに違いない。

現在の筑波山は歩かずに登ることが出来る。南面の筑波山神社の脇からケーブルカーに乗れば8分で御幸ヶ原に着き、東面のつつじが丘からも最高点の女体山頂(877m)の直下までロープウェイが架かっている。もちろんそれでは「足慣らし」にならないので、我々は歩いて登る。山上に至る登山道が5本あり(下の3D地図は北面の2ルートを省略) 、他に非公開のエクスパートオンリーのルートもあるらしい。

我々が通常登るのは南面の「御幸ヶ原コース」で、下りは最高点の女体山を経て「白雲橋コース」を辿ることが多い。御幸ヶ原コ―スはケーブルカーに沿った延長2.2Km、標高差500mの「連続急登」で、三角函数で平均斜度を計算すると13.8度になる。三角定規の30度の半分以下の坂道を「連続急登」とは大げさなと思うだろうが、ケーブルカーの階段状の通路を思い出して欲しい。あの傾斜の坂道が2.2Km続くのだから、「連続急登」の表現はオーバーではない。標高差500mも「たいしたことない」と思うかもしれないが、5階建て団地の屋上(地上から約20m)まで「25回登れ」と言われたら、ビビるのではないか。こう書くと、登山愛好者はマゾ系の変人と思われそうだが、 キツイ登りは神様に会いに行くプロセスで、山頂に立てば神様に会った気分になる、単純にして健全な人種である。

御幸ヶ原コースを登る標準所要時間(登山地図に示された目安)は1時間50分とされる。筑波山に通い始めた50代後半の頃は、途中1度の小休止を入れて1時間半で登った。60代になると小休止が2度になり、70代で3度になったが、1時間50分を超えることはなかった。だが3年半ぶりの「傘寿登山」は、そうはいかなかった。

山登りは途中で休み過ぎると疲れが余計に感じられる。登り始めて最初の50分は休まないのが原則で、この間に標高差300mを稼ぐのが標準的な登り方とされる(地形にもよるが)。御幸ヶ原コースも50分でケーブルカーのすれ違い所(中間点)横の広場まで登り、そこが1度目の休憩場所になる。だが、今回は広場のだいぶ手前で息が上がり(ゼーゼーハーハー状態)、広場に着く前に2度の小休止を余儀なくされた。一旦息が上がると、休憩してもすぐ息切れが再発し、小刻みの休憩がクセになって所要時間がズルズル延びる。

中間点から御幸ヶ原まで何度休んだか記憶にないが、何度目かでつれあいに「荷物、持とうか」と言われたのは憶えている(辞退したが)。とにかく登山口から2時間半でやっと御幸ヶ原にたどり着いた。標準より30%遅いペースは北アルプスで経験済みだが、筑波山でへろへろになった精神的ダメージは小さくない。ちなみに傘寿記念登山のつれあいは息を切らすこともなく、余裕たっぷりで登り切っていた。小生も御幸ヶ原のベンチに座って一息つくとすぐ正常に戻ったが、歩いて下ったのでは4時の会議に間に合いそうもなく、いつもは見向きもしないケーブルカーで下ることにした。

筑波山中腹の標高500m(酸素は平地の95%)で高度障害が起きる筈がなく、平均斜度13.8度の「連続急登」に耐えられないほど「老化で体力が落ちた」と考えるしかない。ネットで「老化・体力低下」を検索すると、順天堂大学大学院客員教授・東邦大学名誉教授 後藤佐多良氏の「健康長寿」のレポートが見つかった。使われている元データはだいぶ前のものだが、説得力があるので転載させていただく。

チャートをつらつら見るに、身体機能は20代から低下し始め、60代→70代→80代で加速度的に劣化するようだ。特に山歩きに直接影響する「最大呼吸量」(肺が酸素を有効に取り込む能力)と「脚筋力」は「若い頃」の半分以下に低下する。身に覚えがあるので「ナルホド」と納得するしかないが、別の見方をすれば、自分の劣化は「世間並み」で「特別ダメなわけでもない」と、妙な安堵感も湧く。幼少時から体育が苦手でスポーツを避けてきた小生が「スーパー老人」である筈がなく、筑波山のへろへろ登山で気を落とすこともないだろう。健康寿命(男性72.68歳)をとうに過ぎ、平均寿命(男性81.47歳)も目前の身なのだ。残された体力を自覚して「ぼちぼち山歩き」が「身のため」で、且つ「世のため」(事故でご迷惑をかけない)ではないか。


筑波山に登る

筑波山にはこれまで十数回登り、カメラも毎度持参したが、旅行気分、登山気分が湧かず、撮りたいものにも滅多に出会わず、1枚も撮らずに帰ったことが多い。そんなわけで、写真が看板の当サイトでご披露できる写真は皆無に近いが、読者の中には筑波山に登ったことがない方もおられるかもしれないので、これまでの「○○年山歩きレポート」で報告済みの筑波山の記事を再編集し(写真を撮った時期はバラバラだが)、筑波登山を疑似体験していただくことにする。

上は2020年4月に筑波山の東に連なる支峰の宝篋山頂(461m)から撮ったもの。「西の富士、東の筑波」と言われたように、標高こそ富士山の1/4にも届かないが、堂々たる風格を備えた山である。

筑波山は双耳峰で、西の男体山(871m)はイザナギを祀り、東の女体山(877m)がイザナミを祀る(女性の方が偉大なのは日本の古代からの伝統で、日光でも男体山より女峰山の方がズッシリと存在感がある)。男体山の右の鞍部が御幸ヶ原で、緩やかな斜面を東へ20分ほど登ると最高点の女体山頂に着く。中腹の白く帯状に見える集落に筑波山神社と旅館、土産物店などの観光施設があり、ケーブルカーの里駅と御幸ヶ原コース・白雲橋コースの登山口もここにある。関東平野の北にスックと立つ独立峰の筑波山は無線中継所にも絶好の立地で、山頂部に無粋な無線塔が立つのは仕方がない。

筑波山神社。社殿の左を少し登るとケーブルカー駅と登山口がある
筑波山と言えばガマの油。商品販売よりも啖呵売のパフォーマンスを楽しんでいるのだろう
豆まきにも出会った
登山口の側から神社を望む
西隣の墓地に見事な桜の樹が並ぶ
駐車場から10分の筑波梅園も見事

御幸ヶ原コースで男体山へ

前述したように御幸ヶ原コースはケーブルカーに沿った登山道で、登山口も標高300mのケーブルカー里駅の傍にある。実際の登山は神社手前の標高240mの市営駐車場からスタートし、門前町を通って神社裏の登山口まで標高差60mを20分ほど歩くことになる。登山口から御幸ヶ原まで売店もトイレもないので、そのつもりで準備しておく必要がある。

標高300mの御幸ヶ原コース登山口。いきなり急登が始まる
木の根が張り巡らされた道を登る
前半の難所の岩ゴロの急勾配だが、良く整備されているので危険はない
標高530mのケーブルカー行き違い所(中間点)。登山道の中間点でもあり、ここで休憩
標高620m地点の男女川源流。冷たい水が湧いている
標高800mの御幸ヶ原に到着。ケーブルカー駅と数軒の食堂がある。正面の峰が男体山

御幸ヶ原にケーブルカー駅と食堂、土産物屋があり、弁当を持参しなくても困らない。 御幸ヶ原から15分の登りで男体山の山頂に着くが、急で滑りやすい一枚岩もあるので要注意。山頂は南面に展望が開け、昔は富士山が見えたというが、霞んでいることが多く、我々は一度も見たことがない。

御幸ヶ原から北西に見える日光連山
北側に加波山~雨引山の山なみ、眼下に真壁の田園地帯
女体山から見る男体山はスッキリとしたピラミッド
男体山頂の神社はイザナギを祀る
男体山頂から南側。冬の晴れた朝は富士山が見えるという
スカイツリーは微かに見えた

女体山から白雲橋コースを下る

下りは女体山で神社を拝んでから白雲橋コースを下ることが多い。山頂直下から巨岩が重なる急な段差がしばらく続き、冬季は凍結していることもある。そこを過ぎれば傾斜が緩くなり、それらしき名前の付いた奇岩・怪石の「パワースポット」が次々と現れ、信仰登山の雰囲気が残る。下山口は神社の東側で、門前町に並ぶ茶店で休むのも良い。

御幸ヶ原から見た女体山はのっぺりしている
途中にカタクリが咲く庭園がある
女体山頂の神社はイサナミを祀る
山頂東側の岩の展望テラス
左下がつづじが丘。右前方に霞ヶ浦
霞ヶ浦をアップ
女体山からの下りはしばらく岩ゴロの急斜面
弁慶が7回ビビって後ずさりしたという「弁慶七戻り」
微妙なバランスで重なる岩は、弁慶でなくてもビビる
白蛇弁天の祠
あと20分で出口。ここまで下れば傾斜が緩やかになる
白雲橋コースの登山口(出口)は神社の東側の門前町につながる

薬王院コースで「本格登山」を

御幸ヶ原コースも白雲橋コースも、中腹の駐車場(標高240m)から歩き始めるが、薬王院コースは西麓の標高50mが起点で、山頂までの標高差が827mになる。日本百名山の一般的な登山口から山頂までの標高差を調べると、約4割が標高差800m以下なのだ。日本第3位の奥穂高岳も、涸沢(標高2300m)から山頂(3190m)までの標高差は890mで、薬王院コースと大差ない。つまり薬王院コースは「本格登山」と言っても過言でなく、ここを登れば本格的な山歩きをする自信になるだろう。

出発点は用水湖の駐車場
しばらく果樹園の中を登る。奈良時代からみかんの産地でもある。
標高200mにある薬王院
境内のスダジイの巨木
薬王院の古い墓地を抜ける
林間の快い小径を行く
標高450mで林道鬼ヶ作線を横切る
樹木の間から出発点の用水域が見える
長い階段がしばらく続く
標高700mに「大石重ね」。小石に願い事を書くとかなうと伝えられる
男体山を周遊する自然研究路と合流して御幸ヶ原から男体山に登る。