このところ「山らしい山」を歩いていない。身近な里山には申しわけないが、やはり樹林帯を抜けて雪の峰を眺め、足元の高山植物を愛でながら歩きたい。そんな山歩きは2020年9月の立山・大汝山(3015m)が最後で、あれから2年近く経ってしまったのは、新型コロナの足留めもあったが、21年3月に相棒(つれあい)が両膝関節の置換手術をしたことが影響している。この辺りの事情は ボクの写真遍歴-15 に書いたが、完治して日常生活に不自由がなくなり、医者は何をしても大丈夫と言うが、本人は手術で「十字靭帯」を切除されたことが気になるらしい。
山は登ったら下らねばならない。登りは自分の体重と荷物を持ち上げる作業だが、下りは自重の2~3倍の衝撃エネルギーを脚と関節で吸収する。登りは酸素消費で息が苦しくなるが、筋肉と関節の負担は下りの方が多く、ケガや遭難の大半が下りで起きる。十字靭帯には関節のズレを防ぐ役目があり、失った状態でヘタに転ぶと、関節が破れて骨が飛び出すのではないかと不安になる。医者は「何をしても」と言うが、傘寿老人の山歩きは想定外かもしれない。
実は小生にも不都合が生じていた。3月17日、ウオーキング中に僅かな段差に足をとられてバランスを崩し、思わずついた左手首の橈骨先端が折れ、ギブスで固定して三角巾で吊る無様な姿になったのだ。2年前に始めたピアノのレッスンがようやく面白くなったところで、数週間の練習ブランクが無念と医者に言うと、接合手術をすれば翌日からピアノを弾けるという。半信半疑だったが、3月29日に「骨折観血的手術」(骨折部を切開して修復)を受けた。
全身麻酔下の手術だったが、翌日の退院時に包帯を外され(手術の切部を覆うガーゼの防水カバーだけ)、荷重をかけなければ何をしてもOKと言われた。手術後のX線写真を見ると、長さ5cmのプレートを埋め込み、12本のスクリューで骨を固定している。我ながらギョッとする画像だが、腫れも痛みもなく、手首は自由に動いてピアノ練習も全く支障ナシだった。
術後2ヶ月で荷重をかけて大丈夫と言われ、山歩きがOKになった。手首と山歩きは関係なさそうだが、両手にポール(ストック)を持ち、登りも下りも手首にかなりの体重をかけるので、骨とスクリューが癒合するまで山歩きはNGだった。相棒も関節置換から1年半になり、山らしい山を歩きたい気分になっていた。
隠居の身とはいえ、夫々ボランテイアの当番やら習い事などあり、二人の都合が合ったのは7月9日から3日間。戻り梅雨で天気予報が定まらず行く先を決めかねたが、楽に登れて雨でも高山植物を楽しめる白馬周辺に絞り、参議選の期日前投票を済ませて出かけた。同年配に運転免許返上者が増えたが、車の利便性は捨てきれない。軽自動車でも半自動運転で高速をトロトロ走る分には事故のリスクは低いが、運動神経が並外れて鈍い小生は運転に集中し、音楽も聴かず隣席の相棒と無駄口もせず、ラジオから流れるニュースも馬耳東風だが、あるニュースが脳を刺激した。
出発の前日に安部元首相銃撃事件が起きた。選挙応援演説中の元首相に41才の男が手製の銃を発砲、死に至らしめたとんでもない事件で、現行犯逮捕の直後からマスコミは犯行の動機を「某宗教団体への恨み」と報じていた。どの宗教団体か伏せられていたが、ラジオのニュースで実名が出て、それが小生の62年前の記憶にヒットしたのだ。
62年前は小生が上京して大学に入った1960年で、第一次安保闘争の年でもあった。入学式の直後から授業は全て休講になり、登校して自治会役員の演説を聞き、国会周辺の集会やデモに参加する日々が6月19日まで続き、「キシヲ、タオセ」のシュプレヒコールに声を嗄らした。「キシ」は当時の内閣総理大臣 岸 信介氏で、安部晋三氏の母方の祖父にあたる。そのキシが日米安保改定を強行して国民の反発を招き、反政府運動は革命前夜のような盛り上がりを見せていた(右の国会周辺をデモ隊が埋め尽くした写真はネットから借用)。
どの集会か忘れたが、リーダーが「キシの手先、統一教会は、出て行け!」と怒声を上げた。「教会」「キシの手先」「出て行け」が頭の中で結びつかなかったが、教会は韓国に本部がある新興宗教団体で、反共を旗印にしていると知って謎が解けた。キシはその教祖を反共の盟友として篤く遇し、教団の日本進出に手を貸して安保反対運動の対抗勢力に仕立てあげていた。その日本支部が岸私邸の隣にあったことからも関与の深さが窺える。
首相が集団結婚式や催眠術献金に関わったとは思わぬが、日本の最高権力者の立場で教団を引き入れ、今も日本の政治システムのあちこちに深く食い込んでいることを、我々は知っておくべきだろう。安部元首相はこの祖父を師と仰ぎ、政治的後継者を自認していた。安部氏が昨年(2021年)9月に団体に寄せた熱烈なメッセージは「形式的なご挨拶」には聞こえない。事件直後にマスコミは襲撃犯が「某団体を恨むが、元首相に恨みはなかった」と供述したと報じたが、犯人が周到に準備して元首相を追っていたことの説明にならず、リークした当局の周章狼狽が目に浮かぶ。
政治家に毀誉褒貶はつきもので、同じ発言に拍手喝采する支持者がいれば悲憤慷慨する反対者もいる。安部元首相に熱烈な崇拝者が多く、8年余の在任が激務だったと認めるとしても、「国葬」と言われると別の気分が湧く。戦後の日本で国葬で送られた政治家は「吉田 茂」だけで、吉田にも毀誉褒貶はあったが、マッカーサーと渡り合って敗戦国を復興に導いた手腕と苦労は国葬に値しただろう。だが、安部政権の8年間で日本は目覚ましい発展を遂げたか? 多くの国民が豊かで幸せになったか?「国葬」に党内最大派閥への配慮があるとしたら、忖度と公私混同は「桜を観る会」どころではない。この分では同郷の先輩に倣って「晋三神社」が建つかもしれない。
7月10日の参院選は「与党大勝利」とされるが、比例区の得票率(=政党支持率)で、与党は前回(2019年)、前々回(2016年)を下回った(下表参照)。前回は安倍政権末期で内閣支持率が低下した時期で、今回は岸田首相の人気が高く事件の同情票もプラスした筈だが、それでも前回に届かなかった。与党から危機感が聞こえないのは、敗けた気がしていないからだろう。
参院選 | 自民 | 公明 | 立憲 | 国民 | 共産 | 社民 | 維新 | れいわ | N党 | その他 |
2016/7 | 35.91 | 13.52 | 20.98 | 10.74 | 2.74 | 9.20 | - | - | 6.61 | |
2019/7 | 35.37 | 13.05 | 15.81 | 6.95 | 8.95 | 2.09 | 9.80 | 4.55 | 1.09 | 1.44 |
対前回増減 | -0.54 | -0.50 | +1.88 | -1.79 | -0.65 | +0.60 | +4.55 | +1.09 | -5.17 | |
2022/7 | 34.43 | 11.66 | 12.77 | 5.96 | 6.82 | 2.37 | 14.80 | 4.37 | 2.36 | 4.45 |
対前回増減 | -0.94 | -1.39 | -3.04 | -0.99 | -2.13 | +0.28 | +5.00 | -0.18 | +1.27 | +3.01 |
今回の選挙で与党以上に得票率を下げたのは革新系の既成政党で(社民は微増したが)、思わず「絶滅危惧種」が頭をよぎった。以下失礼を承知で乱暴な比喩を敷衍する。
「絶滅危惧種」は、個体数の減少が止らず地上から消滅する可能性が高い生物をいう。20世紀までは弱肉強食の自然界で弱者が亡びるのは仕方ないと思われてきたが、「種の多様性」が失われると生態系の歪みが累積し、究極的に人類の存亡にかかわると論じられるようになり、絶滅危惧種を保護して多様性を担保する活動が盛んになっている。
生物の種の多様性と政党の多様性は似たところがある。北欧・西欧は右から左まで多様な小数党が乱立して不安定に見えるが、実はこの多様性こそ望ましい安定状態で、その証拠にこれらの国は経済的に豊かで国民の満足度も高い(北欧-1、北欧-2参照)。逆に国民の大多数が同じ政治心情を奉じる(させられる)国は実は不安定で、遅かれ早かれ崩壊することは歴史が示している。言い換えれば「国家繁栄の根幹は多様性の尊重にあり」なのだ。
生物の絶滅危惧は ①乱獲、②環境変化 が原因で起きる。①はサイ(角を採取)、トキ(羽毛を採取)、キタダケソウ(観賞用に盗掘)などのように、人間の身勝手な欲望を野放しにした結果である。政治にあてはめると「少数派弾圧」で、ナチズムを典型に、日本でも戦前・戦中に行われたことは「昭和初期・戦中・戦後の警察官 その実像」に書いた。米国にもマッカーシズム(1950年代の赤狩り)の時代があり、今も世界のあちこちで起きている。幸い今の日本に露骨な弾圧はないが、学術会議の会員選任で露呈したように、権力者には少数派を抑圧したがる性癖があり、フツーの日本人の「空気を読む」習性も少数派の抑圧に加担する。
②の環境変化による絶滅は、温暖化や砂漠化で生育が困難になった植物や、餌場や繁殖場を失った動物に起きる。植物は夫々の種に適した土壌、日照、気温、水の環境で生育し、変化が生じると、氷河期の植物が平地から氷雪の高山にジワジワ移動して生き残ったように、あるいは多肉植物が乾燥化に適応してサボテンに進化したように、変化に適応して命をつなぐ(その結果別の種に変化することを含め)。動物も夫々の種に固有の食餌を獲得する場と繁殖の場(巣)が必要で、場を失う危機が迫れば、植物と同様に場の移動や進化で適応する。環境の変化に追いつけなかった生物は絶滅を免れない。
政党は支持基盤という環境の中で生きている。革新政党の基盤は労働組合や平和運動(類するものを含め)だったが、基盤が縮小・変質し活動家が高齢化すれば、そこで生きてきた政党が絶滅危惧種に陥るのは自然の理で、場を動くか自らを進化させなければ絶滅するのは生物と同じだろう。北欧・西欧の小政党は環境変化を読んで巧みに変身し、基盤を確保して生き延びてきた結果、「種の多様性」が担保されて国の安定が保たれてきた。日本の革新政党はこの辺りがまことに不器用で「一徹者」の印象が強く、過去の経緯を知らぬ若者は「保守とは革新政党のこと」と思い込んでいると聞く。
生物の種の多様性を担保するために絶滅危惧種が保護されるように、政治の多様性担保にも小政党の保護が必要かもしれない。日本には税金で政党の活動を支援する「政党助成金」があり、令和4年度は年間315億円が支給される(下表は総務省の広報から)。
この制度は、全人口一人当たり250円の税金を各党の議員数と得票数に応じて山分けするシステムで、得票率割の比率は前回衆院選の小選挙区を含む得票数に基くので、参院選比例区の得票率とは算出のベースが異なる。その結果、自民党が51%の160憶円を獲得しているが、これでは小政党保護どころか「強きを助け弱きを挫く」で、自民党が選挙に強いのも当然だろう。交付先の政党に日本共産党がないのは、同党がこの制度に反対して助成金の受取りを拒否しているからで、もし受け取っていたら20数億円になる筈だが、返上した金額は他党に再分配された計算になる。
助成金を拒否してスジを通すのは立派な見識で敬意を表したいが、失礼ながら同党の得票率の急降下は「絶滅危惧種」を連想させる。活動資金も厳しい筈で、助成金返上がハンデキャップになっているだけでなく、再配分で他党を利しているとすれば、この際自分の「スジ」はひとまず棚にあげ、「国民の権利」である助成金を受け取り、それを原資に絶滅危惧を脱し、国会の場で国政のスジを追求することが、この国の「種の多様性」担保に益するのではないか、身を切る改革を声高に叫ぶ政党も平然と満額受け取って票を伸ばしているではないか、などと余計なお節介をやきたくなった次第。
山歩きレポートの前置きが長くなったが、骨折・選挙・高山植物の三題噺としてお読みいただだければ嬉しい。なお記事中の高山植物名はいつもどおりイイカゲンなので、その方面に詳しい読者諸賢のご教授を賜りたい。
追記:上記で高山植物名のご教授を呼びかけたところ、生物に詳しくスミレの著書もある友人のU氏から早速メールでご指摘があり、それに基づいて訂正させていただいた。感謝します。 2022/7/30記
土曜日朝の高速道路下り線は渋滞の覚悟が要るが、この日は長野インターまで全く渋滞せず、その先の白馬オリンピック道路もガラ空きだった。行楽の足が鈍いのは選挙週末?元首相への弔意?と考えたが、コロナ第7次と天候不順のせいだろう。
訪れたのは「高山植物園」。白馬五竜スキー場の夏季利用で、ゴンドラで標高1530mまで上がると、ゲレンデの斜面に高山植物が植えられている。ゴンドラ終点からリフトで植物園最上部(標高1640m)まで上がり、植物を観察しながら下る客が多いが、我々は最上部まで登り、更に上の地蔵ケルンから遠見尾根の鞍部を周遊する遊歩道を歩くのが目的で、植物観察や撮影は二の次になる。
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高山植物園は自然環境に似せて造成されているが、上高地と同レベルの標高(1500m)では「高山」に届かず、ニッコウキスゲやアヤメは大丈夫でも、暑さが苦手のコマクサやクロユリなどには、少々厳しいのではないか。
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植物園の最下部(ゴンドラ駅前)に海外の高山植物を集めた一画がある。本来の生息地が4千m級の高山植物の生態展示は、真夏の動物園でホッキョクグマを見るようで、気の毒に思えてくる。少しでも標高の高い場所に植えてあげればと思うのだが、観光客の便宜(集客)を優先してゴンドラ駅前の「特等席」があてがわれたのだろう。
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この辺りの観光施設や土産物はどれも「白馬」を冠しているが、百名山の「白馬岳」とは関係ナシ。そもそも「白馬岳」は「しろうまだけ」で、春先に山腹に「代掻き馬」(しろかきうま)の雪形が現れ、それを合図に農作業を始めたことに由来する。我々が1967年3月に新婚旅行で降りた駅は「信濃四ツ谷駅」だったが、翌1968年に「白馬駅」(はくばえき)に改名、スキーブームで「はくば」が一挙にプランドになった。「四ツ谷」も周辺の集落と合併して「白馬村」(はくばむら)になったので、村内の施設や製品が「はくば」を名乗ることは当然と言えば当然でもある。
白馬八方スキー場のある「八方尾根」は唐松岳から南に伸びる尾根で、白馬岳とは離れている。唐松岳と白馬岳の山頂を結ぶ縦走路は、途中の「不帰険」(かえらずのけん)が名実共に険阻な岩場の難所で、我々は敬遠してきた。白馬村から八方尾根を登って唐松岳に至るルートは、これまで3回登った。夏でもロープウェイとリフトを乗り継いで標高1800mまで行けるのがメリットで、その先の登山道も良く整備され、天気が良ければ白馬三山、五竜岳、鹿島槍ヶ岳の眺めが素晴らしい。今回は途中の八方池(標高2060m)まで登り、余裕があれば2400mの丸山ケルンを目指すことにした。
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リフト終点から八方池までほぼ標準時間(70分)で到着。池の周辺でたくさんの高山植物に出会えた。やはり植物園よりも自然に咲く花の方が魅力がある。
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まだ朝10時半で時間の余裕はあったが、雲が厚くなってきたので丸山ケルン行きは諦め、八方池で折り返すことにした。
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山を下ると意外にも里は晴れていたが、天気予報は芳しくない。もう一泊して栂池自然園を訪れるつもりだったが、高山植物はもう十分に見た気分があった。襲撃事件の続報と参院選の開票結果も気にならないことはない。白馬村で老舗のソバを味わい、帰途安曇野山岳美術館に立ち寄った。小さい美術館だが興味深いコレクションがあると聞き、2年前に立山の帰りに訪れた時は臨時休館だったが、今回はじっくり楽しませてもらった。帰りの高速道路も、日曜の夕方にもかかわらず全く渋滞ナシで、夕食の時間に無事帰宅した。
山歩きと言っても2日間の行動時間は5時間足らずで、登った標高差も合計で600mほど。往復650kmの運転を含めてさほど疲れを感ずることもなく、「もうちょっとガンバっても大丈夫だったかな」と思う旅だった。さて、次はどこへ…