新年おめでとうございます。本年もご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。 |
富士山 本八合目(3400m)から、2016年7月8日 4:40AM |
「おめでとう」と書いたが、この年が「目出度く喜ばしい年」になるかどうか、いささか不安である。老人の妄想かもしれないが、「戦争の悪魔」がニタリと笑ったような気がしてならないのだ。第二次大戦終結から71年、途上国では地域紛争が絶えず、背後に大国の影が見え隠れすることはあっても、大国同士が直接戦火を交えることはなかった。だが先進国の西欧から米国にまで「国粋主義」が蔓延し、それが公正な選挙で「正義」として公認される事態に接すると、これまで戦争を「悪」としてきた理性の時代が、一挙に崩れ去る恐れを感じざるをえない。
大戦を経験して大国が学んだことは、現代の戦争は、敗ければ悲惨、勝っても損得勘定が合わず、利害が衝突してもガマンして何とか協調の道を探り、平和を維持する方が「国益」にかなう、と思い知ったことだろう。大国が地域紛争に介入しても正面衝突を避けたのは、戦争当事者になったら国家がどれだけ損耗するか(核戦争→破滅も含め)、リーダー達が心底理解していて、様々な駆け引きで体面を保ちつつ、アウンの呼吸で「寸止め」してきたように思える。
戦後70余年、大戦がもたらした惨禍を皮膚感覚で知る世代が消滅しかけている。老獪な政治家やとりまきの「有識者」をウサン臭い口説の徒と疑う「大衆」(フツウの人)が、国粋主義者の「胸に響き腑に落ちる」熱い弁舌に「我が意を得た」気分になり、選挙や国民投票という民主的プロセスを経て多数派を形成しつつあることは、民主主義の「想定外の陥し穴」と言えるかもしれない。だが、国粋主義(民族主義と言い換えても良い)が国を破局に導いた例は挙げられるが、平和と繁栄をもたらした例を思いあたらない。
「国粋主義」は、外交に行き詰まった為政者が「苦し紛れ」に強行することが多かったが、国民が策に乗って熱狂すると「軍国主義」が暴走し、行き着くところまで行くことになる。情報管制のきかない21世紀に「一億火の玉」になるとは考え難いが、しかし、投票者の50.1%が反対しなければ、為政者は大手を振ってやりたいことを押し通せるのが「民主的意思決定」のルールで、この国の政治家も露骨にこの手を使うようになった。国会を「田舎プロレスの茶番劇」と言い放つ人たちに任せておいたら、図に乗って何をやり出すか分かったものでない。
「国粋主義」に投票した人たちは、必ずしもその主張を積極的に支持しているわけではなく、ただ不満のはけ口を見出しただけ、という説がある。以前ならば、不満票の多くは「革新」に流れた筈だが、今は「浮動」して「国粋」に投じられているとすれば、それは「革新」側の責任でもある。国民の多くが抱いている「不満」の根源を解き明かし、「フツウの人」が少しでも住みやすく希望が持てる世への道筋を、「胸に響き腑に落ちる」ように説き続けるしかない。この点で、米国大統領選でサンダース候補に集まった若者たちに、一縷の望みを見出したい。
新年早々、老人性「小言幸兵衛」になってしまった。本題の2016年「山歩きレポート」だが、2009年に日本百名山を終えてから日本の山歩きは減る一方で、2016年に標高2000mを越えた山旅は宝剣岳と富士山だけ。この2件も「高所順応」が目的で、7月の「雨季のヒマラヤ」と9月の「スイス東部アルプス」がこの年のハイライトだった。昨年までの「山歩きレポート」は外国の山をカウントしなかったが、それではページが埋まらなくなったので、山にかかわる旅を目一杯に盛り込むことにする。それにつけても、同年代の友人が他界したり厄介な病に倒れたりする中で、曲りなりにも山歩きを続けられるのは本当に幸せなことで、「2017年山歩きレポート」も書けるように心がけたい。
昨年から高尾山も「山歩き」にカウントしている。例年の高尾初詣は混雑を避け、松がとれてからだったが、好天に誘われて正月早々の2日に出かけた。電車は思ったほど混んでおらず、登山道の1号路を登る人も通常の平日並みだったが、さすがにケーブルカー山頂駅から先は急に人通りが増え、山門の2百米ほど手前から参詣人の長い列が出来ていた。昨今は外国人の姿が目立つ高尾山だが、正月の初詣に並ぶのは圧倒的に日本人である。
薬王院で初詣を済ませ、遊歩道を山頂に向かう。例年は霜柱が溶けてあちこちにぬかるみが出来るのだが、暖冬で乾いた地面を歩きながら、「異常」気象が「常態」になった地球はこれからどうなるのだろう? などと思いを巡らせた。
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シーズン初めの足慣らしに、熊野古道の中で最も「登山」に近い果無峠を歩いた。旅のレポートは「熊野古道 小辺路果無峠越え」(2016/5/1)に掲載済みだが、改めて写真を見て味わいのある山道を思い出し、また行ってみたい気分になっている。小生は無信心だが、こういう穏やかな神仏が居ます国に生まれて良かったと思う。間違えても、国を挙げて「武運長久」を神仏に祈らねばならぬ時代に逆行して欲しくない。
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山の写真の会で春の乗鞍高原に出かけた。山の撮影会と言っても、高い山によじ登って撮るわけではない。会のメンバーは小生と同年代(以上)の高齢者ばかりで、重い撮影機材一式を持ち歩く人もいる。景色の良い撮影スポットで車を止めて周辺で撮るのが原則で、歩いても車から10分が限度。多少歩くのを厭わず機材も軽い小生だが、運転手兼世話役は仲間から離れるわけにゆかない。
他の写真グループの撮影会に出会うと、全員同じ場所に三脚を並べて一斉に同じものを撮っているが、我々のメンバーは車から降りるとサッと散らばり、各々思い思いの方向にレンズを向けて好きなものを撮る。暫くして「行くよー」の掛け声に三脚をたたんで車に戻り、誰かが「この辺で止めようよ」と言うとストップしてまた撮る。同じものを撮ってもレンズの使い方や露出の加減にクセがあるので、作品を見れば誰が撮ったかすぐ分かる。少人数で長年続いてきたこの会の面白さで、機材自慢をする人がいないのも気楽で良い。
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7月13日出発のヒマラヤ・レンジョパス・トレッキングの催行が決まり、高度順応の訓練を始めなければならないが、標高2500m以上はまだ冬で、シロウトが安全に登れる山はない。高度順応には高所での宿泊が効果があるが、営業している山小屋があっても、冬山の技術と装備がないと行き着けない。思いあたったのが中央アルプス木曽駒ケ岳の「ホテル千畳敷」で、標高2616mのロープウェイ終点に隣接する年中無休の宿である。残雪の状態が許せば2850mの乗越浄土まで登れるかもしれない。ネットで調べると空室があり、1泊2日の予約が成立した。
千畳敷まで全く歩かずに行ける。朝の交通渋滞が終わってから千葉の家を出て、昼前に駒ケ根に着く。昼食を済ませて車を駐車場に入れ(自家用車の乗入れは年間NG)、バスで「しらび平」に行ってロープウェイに乗れば、ホテルの玄関に着く。午後の時間を千畳敷カールの散策で過ごす。カールの雪は消えたばかりで春の気配はまだ薄く、ホテル館内は暖房が入っている。
翌日は小雨模様だったが、浄土乗越に登る。急坂にところどころ残雪はあるが、アイゼンを履くほどではない。乗越浄土から木曽駒ケ岳山頂(2956m)へのなだらかな登山道に雪は無いが、山頂は雲に隠れていて、残りの標高差100mを登る意欲が湧かない。乗越浄土のすぐ左に宝剣岳(2931m)の鋭い岩峰が見えている。まだ登ったことがないので、この機会にアタックを試みる。「アタック」は大げさだが、その名のとおり「剣」のような山なのだ。
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ヒマラヤに出発を1週間後に控え、高度順応で富士山に出かけた。順応の効果は1週間程度しかもたないと言われる。ヒマラヤで4千mを超えるのは10日先で、せっかく富士山に登っても医学的効果はあまり期待できないが、「高度恐怖症」(つれあい)は「富士山に登ったから大丈夫」と自己暗示をかけることが、「山酔い」の最良の予防になる。
新宿から5合目行きバスの乗客の半分が登山スタイルの外国人で、一般の観光客が行かない6合目から上の登山道も半分が外国人。山小屋のスタッフに流暢な英語を使う若い人が増えた。それはそれで結構なことだが、富士山の山小屋が出す食事が「オモテナシ」とはほど遠い「手抜きメシ」なのが気になる。小生は毎回違う山小屋に泊まるが、出される夕食は例外なくカレーライス、少し正確に書けば、プラスチック皿の窪みにちょこっと盛り切りの「実無しカレー汁」で、駅ホームの立ち食いでもこれほど粗末なのは見たことがない。ヨーロッパの山小屋のコース料理を見習えとは言わないが、「二度登るバカ」のリピーターを期待していないにしても、もう少し心の籠った食事を出せないものだろうか。
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高所登山の締め括りにキリマンジャロ(5895m)に登るつもりでいたが、ツアーが流れてしまった。代替案の中に4年前に訪れたゴーキョ・レンジョパスがあり、「雲の合間から白い頂が見えた時の感動」のキャッチコピーにつられて、雨季のヒマラヤを歩いてみようと思い立った。その顛末は8月の前篇、9月の後篇でレポートした通りである。
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ヒマラヤで山が見えなかったことを知った南ドイツ在住の娘夫妻が、スイスの山旅に誘ってくれた。20日間の長旅の疲れが残り、且つ年金生活者はオカネの制約もあってしばし躊躇したが、大病を経験した写真の先生が口にした「行ける内に行かないと行けなくなりますよ」が耳に残っていた。そうなのだ。あと1か月足らずで後期高齢者になる身に、この先いつ何が起きても不思議はない。「思い立ったが百年目」で、ネットで最安の北京経由ドイツ往復チケットを買い、現地の旅の手配は娘夫婦に任せた。歩いたのはスイス東部のサンモリッツ周辺の山で、詳しいレポートは近々当サイトに掲載させていただく。
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写真の会で「秋も乗鞍高原に行こう」ということになった。晩秋の紅葉がお目当てだが、夏の長雨と秋の高温に祟られて「今年の紅葉はダメ」と既に落第点がついている。しかし「異常気象」が常態になった昨今、「来年は良い」という保証はないし、後期高齢者が来年も達者という保証もない。「行ける時に行く」のが鉄則なのだ。紅葉の撮影もさることながら、真のお目当ては乗鞍高原グルメ・ペンション自慢の食事とお酒で、ランチのお望みは往路で松本郊外朝日村のソバ屋、復路は塩尻ワイナリー近くのソバ屋と分かっているから、世話役は手間がかからない。
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