山に馴染みの薄い人でも、北アルプスの槍ヶ岳や穂高岳は知っているだろう。だが中央アルプス・南アルプスとなると、どこにどんな山があるかピンとこないかもしれない。地理的には首都圏や関西圏から近いが、アクセスが不便な山や、登山口から山頂まで標高差があってシンドイ山が多く、登山道や山小屋の整備も北アルプスに一歩譲る。だがそれだけに俗界を離れた深山の雰囲気が濃いとも言える。
深山の雰囲気は樹林が作る。北アルプスでは登山口から既に高原ムードだ。針葉樹林帯の登山道は2500mあたりまでで、その上は植生のない裸の稜線である。一方中央・南アルプスの登山口は、少々大げさに言えば、亜熱帯の生ぬるい湿気が漂い、蛭に噛まれることさえある。広葉樹林に覆われた登山道をいやになるほど歩き、2800mを超えてようやく樹林帯を抜ける。
だが、百名山で北アルプス北端に位置する白馬岳(北緯36度45分)から、南アルプス南端の光岳(北緯35度20分)まで緯度差は1度25分、直線距離で140kmしか離れていない。高速道路なら1時間半の距離である。地球上の各地の気温差は、基本的には太陽光の地表面に対する入射角の違いで生ずるが、この僅かな差が北アルプスと南アルプスに年間平均で1℃程の気温差をもたらしている。
その僅かな温度差が自然環境にどれ程影響を与えるものか、北アルプスと南アルプスを歩けば実感できる。日本列島が亜熱帯になると聞いて、まさかと思う人が多いが、本州に熱帯の魚や鳥、昆虫まで定住し始めたと聞けば、あまり呑気なことを言ってはおれまい。地球温暖化は着々と進行しており、その温暖化が人間の「文明」の加速によってもたらされている事実は、科学的に裏付けられている。
人間の環境適応能力が高いというが、その適応力はこれも「文明」に依存している。つまり、生物としての進化で環境変化に追いつけない分、資源を消費して補っているのだ。資源獲得が「戦争」の元であることは、歴史が証明している。先月ヨーロッパを旅して、彼等の環境問題への危機意識が強いのは、彼等のDNAに数千年にわたる抗争の体験が書き込まれている為ではないかと、ふと思った。
中央・南アルプスの登山はシンドイと書いたが、木曽駒ケ岳は例外で、標高2661mの千畳敷までロープウェイが架かっている。(ロープウェイの順番待ちにウンザリするが、麓から6時間の急登はもっと辛いだろう)。千畳敷カールのお花畑も素晴らしいが、山頂までの2時間足らずの登山道は、コマクサをはじめ天上の花々が乱れ咲く別天地だ。下りの最終ロープウェイの時間を気にせず、千畳敷のホテルか山頂近くの小屋に泊る手もある。
木曽駒ケ岳は2022年10月に再登した。
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木曽駒と空木を一度に登るのが一般的だが、我々は別の機会にした。千畳敷から宝剣の裾を左に巻いて空木の登山道へ。地図では平坦な尾根歩きに見えるが、アップダウンを執拗に繰りかえさせる長い尾根歩きで、いい加減にしてくれ、と言いたくなる頃、やっと木曽殿越の小屋に着く。翌朝、ドッシリ構えた空木岳山頂によじ登り、東面の尾根を下る。麓の駒ヶ根の駐車場まで、標高差2000mの長い長い下りに、再度ウンザリさせられる。
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首都圏から1泊2日で行ける甲斐駒は人気が高く、山小屋に電話する度に「満員です」と断られた。山小屋は通常予約不要だが、甲斐駒では必須らしい。4度目にようやく駒仙小屋(旧北沢長衛小屋)の予約が取れ、行ってみると、どの小屋にも「予約のない人は泊まれません」と看板が出ていた。天候や気分で行動したい登山者には不都合な都会的ルールだが、環境保全や安全登山には、止むを得ないのかもしれない。
小屋から山頂まで標高差は1000m足らずだが、3000m級の山は侮れない。大岩ゴロゴロの中腹で体力を消耗し、頂上直下の砂礫の急坂がことさらキツく感じられる。頻繁に休憩しながら最終バスの時間に気を揉む。午後になって空模様も怪しくなってきた。事故を起こすのはこんな時だが、何とか無事に下山した。
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南アルプスの女王と呼ばれ、遠くから眺めた姿は秀麗だが、近寄ると、女巨人が寝そべっているようだ。頭上に氷河時代に彫られたカールの王冠がある。甲斐駒との連チャン登山が一般的らしいが、アラコキ登山にムリは禁物。
バヌアツからの帰国休暇中に登山ツアーに参加した。海抜ゼロメートルの南太平洋の楽園から3000mの高山へのジャンプは予想以上にキツく、弱者グループで歩かせてもらい、何とか落伍せずに下山できた。
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北岳や甲斐駒ほど有名ではないが、3千m級の立派な山塊で、中央線の西に屏風のように立っている。観音、薬師、地蔵の三峰が並び、地蔵のオベリスク(岩塔)が目立つ。明治37年(1904年)、日本の近代登山の祖とされるウェストン牧師がロープを引っかけてよじ登り、日本初のロッククライミングに成功したが、地元民から神主になれと言われて困惑したという逸話がある。
天候不順と迷走台風で山行を諦めていたら、天気予報が南アルプス北部だけ「晴時々曇」に変わり、家を飛び出した。晴れ間は少なかったものの雨に遭わず、混雑で知られる小屋の宿泊者も我々二人だけ。下山して青木鉱泉で入浴を乞うと、我々の為に大急ぎで沸かしてくれた。
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日本で二番目に高く、八本歯コルの難所や、バットレスと呼ばれるロッククライミングのメッカもあって、強面の山だが、御池小屋・草すべり経由のルートには危険個所もなく、初心者でも安全に登れると分かった。(御池小屋は2003年当時はプレハブの仮小屋だったが、その後改築され、風呂や個室こそないが「山荘」と呼ぶに足る快適な施設になった)。
北岳の広々とした山頂は展望が欲しいまま。条件が良ければ(+山座同定の知識があれば)、関東周辺の百名山が全部見える筈。雪解けの遅い北岳は高山植物が豊かで、特に「草すべり」や、肩の小屋下の斜面には、見事なお花畑が出現する。有名な「キタダケソウ」は、限られた場所・限られた時期にしか咲かないというが、歳をとってからでも登れそうなので、楽しみにとっておこう。
北岳にはその後2度登った。2007年8月(間ノ岳縦走)、2013年6月(キタダケソウ)
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北岳は「花の百名山」にも数えられる。御池小屋から稜線に登る「草すべり」の斜面、肩の小屋から水場に下る斜面、南面のトラバース道の周辺は高山植物の宝庫。
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日本で4番目に高いが、麓から山頂に直接登るルートがない。北岳から農鳥岳への縦走で通過する人が多いらしいが、我々は北岳から往復の簡略ルートで登った。北岳と間ノ岳を結ぶ3千mの稜線は、展望と高山植物が楽しめる爽快な縦走路で、稜線に出るまでの苦労を忘れる。
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南アルプスの中央部にデンと座る塩見岳はアプローチが長い。早朝に千葉の家を出て、飯田線のノンビリ各停電車を伊那大島で降り、登山バスに揺られて鳥倉の登山口に着いたのは午後3時。雨の中を登り「日本で一番高い峠」(海抜2590m)の三伏峠小屋に着いたのは6時近かった。小屋の夕食時間はとうに過ぎていたが、この小屋では予約者に遅い食事を出してくれる。
三伏峠から塩見岳山頂までも、往復7時間の長丁場で、我々は三伏小屋に連泊してゆっくり登った。天気予報のとおり、昼前からゴロゴロと鳴り始め、時折バリッと至近の落雷がある。稜線で雷に撃たれる登山者も少なくないが、逃げ場がなければ運を天に任せるしかない。幸い南アルプスは標高2800mまで樹林がある。急いで森林限界まで逃げ下った。
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荒川三山(主峰悪沢岳)と赤石岳は、静岡から大井川を遡り、椹島(さわらじま)を拠点に周遊縦走するのが一般的。我々は椹島での前泊を含め、4泊5日でゆっくり登るツアーに参加した。あいにく台風が日本海を通過する予報で、進路によっては断念・下山あり、と念を押されて出発した。
標高2600mの千枚小屋で夜が明けると、風雨が激しい。ガイドは悩んだ末、稜線まで登ってみることになった。この程度の風は想定内、との意見が強く、主峰の悪沢岳を目指した。日本第六位の標高を持つ悪沢岳は「東岳」とも呼ばれるが、風雨を押して這うように登った我々には、「悪沢岳」の名の方がピッタリ。そんな状態が最終日まで続き、山頂での記念写真もままならなかったが、中岳のカールで一時雨が止み、爛漫のお花畑に遭遇できたのが唯一の収穫だった。
補綴: 荒川三山は2013年7月に登りなおした。
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荒川小屋に1泊し、翌朝赤石岳を目指す。登るにつれて風雨が強まり、ツアーのメンバーから登頂断念の意見も出たが、赤石小屋に下るには山頂近くの分岐まで登るしかなく、山頂に避難小屋がある。霧に巻かれないように前の人に繋がって歩いて、何とか山頂に達した。
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標高3千mを超える百名山は全部で13座、その内7座が南アルプスにある。その最南端の聖岳は、登山口に行くことさえ容易でない。こんな場合はツァーが頼りで、飯田郊外の温泉を夜半に出発、マイクロバスで林道を走り、便ヶ島の登山口から聖平小屋に登った。翌朝に山頂を往復して下山したが、旅館に戻ったのは日没後だった。この山は蛭の名所と聞いていたが、幸い咬まれることもなかった。
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珍しい山名は、山頂下の大岩が夕陽を反射してテカリと光ることから付けられたと言う。南アルプス最南部に位置し、登山口までの林道は地図に載っていない。前年のツァーでは林道の土砂崩れに遭って行程が狂い、時間切れで登頂断念を経験した。
様子が分かったので、再挑戦は自力登山にした。本人同様にクタビレの目立つマイカーのタイヤを新品に換え、林道を走破して終点の聖光小屋に前泊。翌朝、標高800mの登山口から2350mの易老岳まで標高差1500mを一気に登り、縦走路のアップダウンを繰り返して、ようやく小屋に着いた。予約時に小屋番から「3時までに着かないと夕食は出しませんよ」と念を押されたが、間に合った! 今にも降り出しそうな空を気にしながら、夕飯前に山頂を往復。山頂は森林限界よりも低くて展望がなく、曇天で大岩は「テカリ」と光らなかったが、百名山中の難関をクリアーした安堵感は大きかった。
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御嶽は古くから信仰の山で、講による登山が盛んだった。言い方は悪いが、団体客を呼ぶには集客力の道具立てが要る。3千mを超える堂々たる山容はそれ自体が広告塔だが、長く苦しい参詣道を六根清浄を唱えて登り切ると、山頂に「あの世」の景観がある。霧に包まれれば、仏衆の来迎にも出会える(ブロッケン現象)。無事に登山を終え、木曽の宿場での精進落しも楽しみだったことだろう。
御嶽山は大噴火の前年2013年に再登した。大噴火で山頂周辺の景観は一変したという。
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登山口から山頂まで標高差600m・往復距離12kmは、普通ならば楽勝コース。真夏でもないので、お茶のペットボトルを1本持って登った。だが、残雪と泥んこ坂に加え、地図では分からぬアップダウンが執拗に続き、脱水症状で朦朧となった。不都合は重なるもので、急坂で連れ合いの登山靴の底がパックリ剥がれ、タオルで縛ってようやく歩く始末。途中の景色や山頂の景観は全く記憶にない。
登山道脇のシャクナゲ | 恵那山から 南アルプス荒川岳から赤石岳の稜線 |