9月27日の御嶽山噴火で57名の登山者が命を落とし、6名の不明者を残したまま山は閉ざされた。犠牲者は誠にお気の毒だが、地球の秘める威力を改めて思い知らされる出来事でもあった。今回の噴火は、宝永の富士山や明治の磐梯山のような山の形が変わるほどの規模ではなかったが、それでも噴き上げられた土砂は50万トンに及び、軽トラックサイズの巨岩が空から降ってきたという。御嶽山が本気でマグマ爆発を起こした時の被害は、想像を絶するとしか言いようがない。
日本百名山中に火山が49座ある。中には奥穂高岳、槍ヶ岳のように現在の姿からは火山と思えない山もあるが、これらも噴火によって組成された岩石で出来た山だという。そう言われれば、槍ヶ岳の北隣の硫黄岳(2554m)は今も火山ガスを噴いているし、穂高の南隣には大正時代に大噴火した焼岳(2445m)がある。49座の内33座は「活火山」と認定され、内下記の20座は気象庁の常時監視の対象になっている:大雪山、十勝岳、岩木山、岩手山、鳥海山、吾妻山、安達太良山、磐梯山、那須山、日光白根山、浅間山、富士山、立山、焼岳、乗鞍岳、御嶽、白山、九重山、阿蘇山、霧島山。
我々の経験では、常時監視対象の活火山でも、登山道から火山活動の現場を間近に見ることができる。御嶽山には噴火の1年前(2013年9月)に登り、山頂直下から地獄谷を覗き込んで噴気を目撃した。その時は警戒心ゼロだったが、写真(右)を見直すとかなり「ヤバイ!」。浅間山も警戒レベル1(最低)を良いことに、「皆で登れば怖くない」と立ち入り禁止のロープを跨いで火口縁に登り、爆裂口を覗き込んで噴気孔から昇る薄紫色の火山ガスを嗅いだ。年甲斐もなく無思慮なことをしたものだが、正直に言って、鎖場の難所を通過する時ほどの緊張感も湧かなかった。
百名山にカウントされていない活火山も入れると、日本の活火山の数は110にのぼる(北方領土を含む、地図参照)。仮に夫々の火山が1千年に1度大爆発を起こすと想定すると、9年に1度は日本のどこかで火山が大爆発し、人的・物的な被害が出る計算になる。個々の活火山は、鎮静期に地形から生々しい噴火の痕跡が薄れ、被災の記憶は孫の世代にさえ伝わらず、自然の威力に対する人間の畏敬心が抜け落ちる(大地震や津波も同じ)。だが地球の時間軸では1千年などほんの一瞬で、次の噴火は次の脈拍が打つようなもの。地球が生きた星である限り、人間の時間軸では「忘れた頃」に、「まさか」は必ず起きると思った方がよい。
火山の噴火予知はまだムリと言われ、今回の噴火も「想定外」と報じられたが、実は数日前から微小な変化が観測されていたらしい。しかし、登山禁止の発令には、「オオカミ少年」になる覚悟と、風評被害を怖れる麓民からの有形無形の圧力を跳ね返すに足る確信が要り、よほど差し迫るか、噴火後でないと出せないようだ。予知の確度を上げるには地道な研究が不可欠だが、関係予算は国立大学の研究費も含めても年間10億円程度で、道路を100m造成する予算よりも少ない。要するに、国に噴火予知能力向上を本気でやる気はなく、今後も「予知はムリ」が続くと考えるしかない。
登山は元々「自己責任」の遊びで、自分の身体能力と「運・勘」を頼りに登るのだが、遭難すれば世間をお騒がせして、救助活動で心ならずも税金を費やすことになる。誠に申しわけないとは思うが、国民の生命の危機を救う為に最善を尽くすのが近代文明国家の基本原則ゆえ(但し戦争の場合を除き)、「不運」のあと始末を引き受けていただくしかない。
気象庁ホームページから
毎度の言いわけだが、山が最も魅力的になるのは氷雪の季節と知りつつも、冬山をやらない(やれない)小生は、里から冬山を眺めて写真に撮るのが精一杯。それも四駆車を放棄して以降、自力では雪深い里にも入れない。1月の厳寒期に写真の会で冬の八ヶ岳周辺を撮る企画があった。メンバーの友人で地元在住の方が案内を買って出て下さったりして、知られざる撮影スポットを訪れ、これまで撮ったことのない氷結した渓流にもレンズを向けた。それにしても、厳夜明け前の八ヶ岳高原は想像以上に寒かった。
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シーズン初めの足慣らしに秩父の武甲山に登った。関東の山歩きの定番と言われる丹沢山塊や奥多摩は、我々が住んでいる千葉県北部からは意外に遠く、日帰りはキツイ。例年の足慣らしはもっぱら近場の筑波山だが、武蔵野線と西武線で秩父の日帰りが可能と気付き、少し早起きして出かけた。武甲山は秩父セメントが原料の石灰石を採取する山で、南面は山頂直下まで階段状に削り取られ、白い岩肌が露出して痛々しいが、裏側は山岳信仰の山の雰囲気を残している。本来は麓から登るべきだが、我々は日帰り登山の時間的制約で、5合目までタクシーでキセルをした。
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7月10日出発の中国四川省大姑娘山(5025m)の登山ツアーを申し込んだが、客が集まりそうもないので半ば諦めていた。5月末になって催行の見込みありとの連絡を受け、急遽高所順応の登山を思い立った。この季節にシロウトが冬山装備なしで登れる3千m峰は立山しか思いあたらず、一ノ越山荘(標高2700m)が営業していることを確認して出かけた。
トロリーバス・ケーブル・ロープウェイ・トロリーバスを乗り継ぎ、標高2400mの室堂に9:30到着。立山名物の「雪の大谷」(道路脇の雪壁)がまだ残っていて、バスターミナル周辺は観光客で賑わっているが、我々はわき目もふれず反対方向の一ノ越を目指す。雪の斜面はしっかり締まっているので、アイゼン無しで登れる。一ノ越山荘に荷物を置いて雄山の山頂へ。南面の急斜面の登山道は雪が付いていないが、山頂直下の社務所から先は雪に埋まったままで、ムリせずに引き返すことにする。その晩の一ノ越山荘の宿泊者は我々を含めて4人だけだった。
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高所順応の第二弾は北アルプス唐松岳。標高は3千mに足りないが、山頂直下の小屋で一泊すればそれなりの高度順応が期待できる。八方尾根スキー場のゴンドラとリフトを乗り継ぎ、標高1830mの八方山荘から登り始める。途中の八方池(2100m)まで一般ハイカー用の遊歩道が整備され、平地の服装で歩く観光客も多い。八方池から上はまだ残雪があって、斜面を横切って付けられた夏道は雪崩や滑落の危険があるので、尾根を登る冬道を使うように指示されている。途中の長い雪渓で軽アイゼンの付け方を忘れてモタモタしていたら、修学旅行の下見で登ってくる中学の先生方を待っていた唐松岳頂上山荘のマスターが、丁寧に教えてくれた。
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6月下旬になると、雪解けを待っていた高山植物が花をつける。高山植物は氷河時代に大陸から日本列島に勢力を伸ばし、氷河期が過ぎると氷雪が残る高山に生きる場所を定めた。温暖化が更に進めば絶滅する運命にあるが、その間に気候変動に適応して進化するかもしれない。もっともその時は「高山植物」ではなくなっているだろうが。
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大姑娘山ツアー出発前の最後のダメ押しで富士山に登った。4度目の富士山は富士宮口から登ろうと思ったが、静岡県側の山開きは7月10日で小屋はどこも開いていない。山梨県側は7月1日に山開きして小屋もフル営業、本八合の小屋を予約し、新宿から高速バスで5合目に10:00着。観光客の大半が外国人であることに改めて驚く。広場のはずれに「協力金」徴収のデスクがあるが、気付かずに行く人や横目で見るだけで通過する人が大半。我々は一人1000円を払ってバッジをもらったが、集め方が中途半端で用途も不明な「協力金」は釈然としない。米国や中国の国立公園ではゲートでガッチリ集金し、政府が公園の運営管理の責任を負うが、日本では万事民間任せで、役所が何を監督しているのかもイマイチ分からない。協力金も敢えて中途半端な制度にして、責任をアイマイにしているように見えてしまう。
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大姑娘山から帰って何かと用事が重なり、夏山に出かける機会がないまま9月下旬になった。ドイツに住む娘夫婦が来日し、この機会に富士山に登りたいと言うが、既にシーズンが終わって小屋は全て閉じている。秋の日は短く、5合目から日帰りする「弾丸登山」を勧めるわけにもゆかない。せめて富士山が見える山に登ろうと、箱根の明神ヶ岳に出かけた。「岳」と付くものの標高は1169mで、富士山の御殿場登山口(1440m)にも及ばないが、富士山と駿河湾を望む展望の山とガイドブックにある。
行楽気分で新宿からロマンスカー・登山電車で強羅へ。強羅駅前で弁当を買うつもりだったが、駅前に当然あると思っていたコンビニが無い。駅売店で売れ残りのアンパンを買い、途中経由地の明星ヶ岳(923m)に向かう。ガイドブックには「尾根道からの景観が抜群」と書いてあるが、登山道の両側は雑木の枝や萱が伸び放題で視界ゼロ。同様の支障はあちこちで経験するが、聞くところによれば、国立公園内は「一木一草だに触れるべからず」が原則で、枝打ちや草刈りはご法度とか。厳格な自然保護には賛成だが、放置することが即ち保護したことになるのだろうか?
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