明治中期、奥飛騨の山に分け入った英国人鉱山技師ゴ―ランドが、目にした景観を「日本アルプス」と命名したように、この国の脊梁山脈はヨーロッパアルプスに比肩しうる山岳景観を持っているが、小生が知る限り、ヨーロッパアルプスの名峰でシロウトが登頂できる山は無い。日本アルプスの山は全てOKで、山頂直下が垂直岩壁の剱岳・槍ヶ岳でも、岩釘を打った足場や鎖・ハシゴをたどれば、シロウトでも確実に山頂に立てる(高所恐怖症は足がすくむが、ハラをくくれば何とかなる。右写真)。言い換えれば、どの山にもシロウトが登頂できる「一般ルート」が整備されていて、ジイサン・バアサンから山ガール・小学生まで、こぞって山頂を目指す。そんな「誰でも登頂」の大衆登山スタイルは、日本独特の文化と言って良いだろう。
その文化を成り立たせている基本条件は、日本アルプスの緯度と標高の絶妙な組み合わせで、仮に緯度が10度ズレても、標高が1千m違っても、この環境は存在しえない。まさにこの緯度にこの高さの山があるから、冬の厳しい氷雪が岩を削って見事な山岳景観を造り、夏の気温が雪を溶かして高山植物を咲かせ、夏道を現してシロウト登頂を可能にしてくれる。日本アルプスだけでなく、東北や北海道の名山も、もし標高が1千m高かったら(例:北海道大雪山が標高3290mだったら)氷雪に鎧われて、シロウトが登頂できる山ではなかっただろう。この妙を、神の采配と言わずして何と言おうか。
日本の山の頂上には、殆ど例外なく神を祀る祠がある。富士山、立山、木曽御嶽、白山などの霊山山頂には立派な社務所まであり、開山中は神職が寝泊りして神事を行う。山岳信仰は自然崇拝(アミニズム)で原始宗教の一種と言われるが、それは一神教の視点からの偏見で、我々が卑屈になることはない。自然を司る神々を怖れ敬うことを忘れ、人間の都合ばかり優先させた結果が、豪雨土砂災害であり、原発事故である(核分裂の臨界現象は自然界には存在しない)。これらを神々の怒りの顕われと言わずして何と言おうか。八百万の神々と共生し、身近な神々の声に耳をすませ、神々の恵みに感謝しつつ謙虚に 生きてきた日本人は、今こそその伝統的ライフスタイルを世界に向けて発信すべき時だが、遺憾ながら、その前に我が身に正すべきことが多くなりすぎてしまった。
ちなみに、今回の大姑娘山登山で一緒になったのは、我々の1日後に入山した日本人のグループと、若い韓国人女性の単独行のみ(ガイド・スタッフは同行)。中国人は、馬に乗った観光客(若者が多い)は大勢いたが、登山者には1人も出会わなかった。クロウトの登山家はもっと難しい山を目指し、シロウトのお金持ち登山者はヨーロッパや日本の山に向かい、フツウの中国人で、国内でおそらく唯一シロウトが登頂可能な大姑娘山に目を向ける人は、まだいないようだ。
立体地図は Google Earth から借用
6日目 ベースキャンプ(標高3700m)→ アタックキャンプ(4300m)
いよいよアタックキャンプへの移動日だが、行動時間は4時間程度なので、いつものように6時起床、7時朝食。中国の朝飯は、里でも山でも、朝粥に漬物、饅頭(中に何も入っていない)、ゆで卵1個でオシマイ。軽食と言えば軽食、粗食と言えば粗食だが、これで昼までハラがへらずに行動できるのは、不思議と言えば不思議。
8時出発、ベースキャンプ西側の斜面をゆっくりと登る。前日までハッキリしなかった空がスッキリ晴れ上がった。山登りに好天ほど嬉しいことはなく、自称「ハレ男」の面目躍如と勝手に思い込む。高度順応も順調で、全員元気に標高4千mを越える。
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今回の大姑娘登山ツアーには、5千m峰登頂の他にもう一つメダマがあった。それはブルーポピー(ヒマラヤの青いケシ、種名メコノプシス)に出逢うこと。ヒマラヤ高地の限られた場所に自生する高山植物で、神秘的な青色の花は「天上の妖精」と呼ばれる。昨今は日本の植物園などでも栽培され、通販で種子が手に入るらしいが、自然の植物は、やはり自然に生えている場所で愛でることに価値がある。標高4千mを越えると、ガイドが渓流沿いの岩場を探し始め、すぐ群生地が見つかると、全員が暫し写真タイム。そこから上では探すまでもなく、あちこちどこにでも咲いている。
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高峰登頂を目指す最終キャンプを「アタックキャンプ」と呼ぶが、シロウトの5千m峰登山に「アタックキャンプ」は大げさで気恥ずかしい。我々の最終キャンプは大姑娘山南麓のカール底部の標高4300mの緩斜面に設営。先行したスタッフが宿泊用とキッチン用のテントを張り終え、トイレテントの工事中だったが、我々が到着してキッチンテントに入ると同時にミゾレ混じりの雷雨急襲。到着が5分遅れていたらズブ濡れになるところで、またして「晴れ男」の面目躍如。
雷雨は程なく上がった。高度順応はジッと休んでいてはダメで、体を動かして血行を促し、早い呼吸で酸素を取り込むのが良い。キャンプ上部のガレ場(石のゴロゴロした斜面)を登り、ポピーや珍しい高山植物を撮り歩く。キャンプ上部に黄色のポピーも咲いているが、シーズン終わりでシャキッとした花は残っていない。更に登って標高4800mを越えると、植生はコケのようなものだけになる。これ以上登ると高度順応が逆効果になるので、テントに戻って夕食を待つ。
夕食が終わるとまた雨になった。翌朝の早立ちに備えて寝袋に潜り込むが、風も出てテントをバタバタ揺らす。しばらくすると雨音が変わり、テントが大きく歪んだ。雪が積もったらしい。どうしようと心配していると、スタッフが雪おろしに来てくれた。この様子では登頂どころか、下山もならず足止めを食らうかもしれないが、心配しても仕方がない。雪崩の心配は無さそうだし、何とか脱出させてくれるだろうなどと考えている内に、眠りに落ちた。
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朝3時に目が覚めた。6時間以上グッスリ眠れたようだ。荒天を予想してテントから首を出すと、何と満天の星! 積雪もない。我々はどこまでツイているのだろう。大姑娘山と星空が撮れそうなので、テントの外に三脚とカメラを据えるが、こんな場面で必要な交換レンズがない。荷物の軽量化で日隆鎮に置いてきたことが悔やまれる。
4時、キッチンテントに集合して軽い朝食。血中酸素濃度は全員OKで、4時40分出発。中国は全土が北京統一時間で、この辺りは1時間分の時差があり、夏の5時でもまだ暗い。ヘッドランプの光を頼りに急斜面のガレ場を登る。昨夜の雪は積雪に至らず、足元が滑る心配はない。
出発して2時間、標高4800mで稜線のコル(鞍部)に出ると視界が開け、主峰の四姑娘山(6250m)が朝日で赤く輝き始めている。写真屋の黄金タイム! 勇躍トップに出て、転落防止のワイヤを掴みながら小走りに岩場を登る。ここまで来ると薄い積雪があり、背後でガイドが「急ぐとアブナイ」と叫ぶのが聞こえる。一刻も早く撮影ポイントでカメラを構えたいのが写真屋の本能だが、事故はこういう時に起きるもので、少しだけスピードを落とす(結果:朝日が逆光に近い角度で、傑作は撮れず)。
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7時50分、大姑娘山登頂。下から眺めてのっぺりした「山頂広場」を想像していたが、大岩に挟まれた狭い空間で、スタッフを含む我々8人で満杯。槍ヶ岳と剱岳の山頂は思ったより広い「八畳敷き」だが、切れ目なく登ってくる登山者に押し出されて長居は出来ない。大姑娘山は我々の他に登ってくる人もなく、心ゆくまで5千mの眺望と薄い空気を楽しむ。ガイドによれば滅多にない好天で、100㎞先の四川省最高峰ミニアコンカ峰(7556m)までハッキリ見えるが、山頂から眺めて写真になる山は主峰の四姑娘山だけで、写真屋の仕事はすぐ終わってしまう。
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山頂に1時間滞在し、8時50分に下山開始。スタッフが4本爪のアイゼンを出して装着を手伝ってくれる。簡易アイゼンを無用の長物と言う人もいるが、この程度の斜面と積雪にはシッカリ効いて安心して下れる。シロウト用のチャチな道具とバカにしてはいけない。
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10:45、予定より早くアタックキャンプに帰着。それ程の疲労感もなく、全員無事の登頂を讃えあう。荷物をまとめて早めの昼食を済ませ、下山にかかる。我々と入れ替わりに日本人グループが登ってくるので、テントとスタッフ1名は現地に残留。高山植物を楽しみながらゆっくり下るが、2時間少々でベースキャンプに帰着。これまで高所禁酒だったが、夕食にサービスで缶ビールが出た! 常温のビールだが、この心遣いは嬉しい。
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入山して5日目、ヒマラヤの本格トレッキングではまだ往路も道半ばだが、アクセスの便が良い大姑娘山では、登頂を終えて里に下ってシャワーを浴びられる。やはり大姑娘山は異例の5千m峰と言って良い。往路では馬に踏み荒らされて泥濘となった登山道に難渋したが、復路はガイドが馬が通らない川沿いのルートを聞き出し、おかげでドロンコにならずに下山。11:45、日隆鎮のホテル帰着。
ホテルに預けたラゲージを出して荷物を入れ替え、昼食にビールをしこたま飲み、バスで宿泊地の雅安(ヤーアン)に向かう。途中で夕食を摂り、雅安に着いたのは夜8時過ぎ。田舎町と思っていたが大間違い、人口150万の市街は金曜の夜もあって新宿・渋谷を思わせる賑わいで、老若男女の雑踏に驚かされる。更に丘上のホテルの一流の構えと内容に驚き、加えて宿泊客に中国人のフツウの家族連れ(特にリッチには見えない)が多いことも、驚きに加わった。
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雅安から成都に移動、ホテルのチェックインまでの時間つぶし(?)で成都大熊猫繁育研究基地(Chengdu Research Base of Giant Panda Breeding) を見学。広い敷地に自然公園風の遊歩道と飼育舎を配した立派な施設で、観光客用だけでなく、成都市民の憩いの場にもなっているようだ。パンダの繁殖と2~3歳までの飼育が本務で、放し飼い状態の育ち盛りのパンダだけでなく、生まれたばかりの赤ちゃんパンダもガラス越しに見ることが出来る。
ツアー最後の夕食に注文をつけた。それまでの食事に「辛いもの」が全く出てこなかったのだ。「日本人は辛いものが食えない」ことになっていたらしい。せっかく四川に来て本場の四川料理を食わずに帰る手はない。「絶対にモンクを言わない」ことを条件に、現地の人たちが行く「火鍋料理」の人気店に案内してもらった。串刺しにした野菜や肉などを唐辛子の沸騰スープでしゃぶしゃぶ風に食べる料理で、200人は入る広い店内はぎっしりの入り。汗びっしょりになってワイワイガヤガヤやっていると、隣席の中国人から「これも食ってみろ」とおごられたりする。「辛いのダメ」と言っていた人にも結構イケたようだ。
我々は火鍋を中座し、オプションの「川劇」観劇に出かけた。曲芸、手品、歌謡、寸劇などてんこ盛りのエンタメショーで、京劇風フィナーレで見せた衣装と面の早変わりが見事だった。これにて四川山旅は千秋楽。この旅の主眼だった相棒(カミサン)の高度恐怖症克服が成功したかどうかは、次の登山のお楽しみ。
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