南アルプス 北岳山荘から朝の富士山
正月と言えば初夢、初夢と言えば「一富士、二鷹、三茄子」と昔から相場が決まっている。二、三の妥当性はともかく、一の「富士」が末広がりのめでたいお山であることに異論はないだろう。
国際線が羽田から発着していた頃、仕事で太平洋を往復した。出張が長引くと日本がやたら恋しくなる。帰国時に運よく窓際の席が取れ、飛行機が高度を下げ始めると、前方の雲上に目を凝らした。最初に見える「日本」が富士山なのだ。雲上にポッカリ浮かぶ姿が見えると、「あゝ、無事に帰って来た」と感慨が湧いたものだ。ジャンボになって窓際の席が取れるチャンスが減り、成田移転後は富士が見え難くなったこともあり、この楽しみを忘れていたが、昨年(2009年)11月にイタリア旅行から帰る折、久しぶりに雲上の富士が見えて、昔を思い出した。
新幹線の旅でも、富士がきれいに見えると得をした気分になる。周囲に肩を並べる山がなく、理想的な曲線ですっくと立つ姿は、造化の神の傑作としか言いようがない。だが、現在の富士山が形成されたのは今から5千年~3千年前で、縄文人は激しく噴火・成長する富士を目撃した筈だ。富士五湖が出来たのは紫式部の時代、宝永の大噴火(1707年)は赤穂浪士討ち入りの頃で、地球時間では「ついさっき」の出来事である。富士がいつ噴火を再開しても不思議はない。富士山が整った姿で鎮まっている今の日本に生きている我々は、ラッキーと言うべきだろう。(この項、2010年1月1日掲載から)
「富士山に一度も登らぬバカ、二度登るバカ」と江戸時代から言われる。富士山は日本一のお山だから1度は登るべきだが、1度でもうたくさん、というのが定評らしい。山頂まで最短の富士宮口でも、登るべき標高差は1400mに及ぶ。火山灰の急斜面に加えて酸素は平地の7割弱しかなく、登山道の脇にマグロがゴロゴロ転がっている。動けなくなった登山者には、なぜか若者が多い。彼等の体力・根性云々よりも、若者ゆえに飛ばし過ぎ、ペース配分を怠った結果だろう。
バカを承知で5回も登った我々は、「よほどの大バカ者」と思われても仕方がないが、百名山消化以降の富士登山は、ヒマラヤのトレッキングに向けての高所トレーニングが目的だった。日本には富士山より高い山は無く、1泊2日の日程で行けるロケーションも好都合なのだ。
(以下は2017年山歩きレポートから)
おかげ様で病気らしい病気もせず痛いところもなく、「喜寿」と言われてもピンと来ないが、海外トレッキングのツアーで自分が最高齢のケースが多くなり、体力・気力の低下も感じないわけではない。自分の身の為、世間にご迷惑をかけない為にも、山歩きは自粛モードに入るべき時と思っていたら、思いがけないデータが送られてきて、心が揺れている。
2017年8月に御殿場口から富士山に登り、山頂の「富士山本宮浅間神社奥社」に参拝した。小生は無信心だが、山頂の神社や祠では頭を下げて、僅かなお賽銭を献じることにしている。近年は高所順応で毎年のように富士山に登っているが、いつも7月初旬の開山の前か9月初旬の閉山後で、神社の戸は堅く閉じられていた。今回は開山中で、拝殿に入って参拝すると、白木の柱に「70才以上の高齢者はご記帳下さい」と貼り紙がある。神職に「該当ならぜひ」と勧められ、住所氏名生年月日と登頂回数を記帳し、記念の扇子をいただいた。それでオシマイと思っていたら、12月になって浅間神社宮司名で「平成29年度富士山高齢参拝者名簿」が届いた(新年神札の販促活動だろうが)。
送られてきた64ページの冊子には、記帳した高齢者(かぞえ歳で70才以上)2,104名の氏名が、年齢順に登頂回数と共に記載されている。最高齢は94才(2名)で登頂回数は54回と20回。90才以上が7名で内2名は女性。80才以上は252名、小生より年長者は512名を数える。登頂回数では82歳男性の2223回が最高で、100回超を数え始めたが途中でイヤになった。この人数は神社で記帳した人で、小生の例では70才以降4度登頂したが記帳したのは今回だけ。仮に記帳した人が4人に1人とすれば、古稀以上の登頂者は8千余人になる。(ちなみに平成29年度の富士登山者の総計は28万5千人の由)
日本に古稀以上の老人が24百万人いる中で、8千人の富士登頂者は0.03%にすぎないが、「望ましい老人」の代表かもしれない。山歩きにアスリートの運動能力や技術は要らない。重大な内臓疾患がなく、どこでも歩ける足腰と、危険の予知・対処能力があれば誰でも出来る。要するに「達者でボケない」ことが肝要で、山歩きをモチベーションにして日常生活に若干の鍛錬の習慣を組み込めば、健康維持に役立って医療費の節減になり、公共交通や宿泊、食事でオカネを使えば、多少なりとも地方経済の活性化に貢献する。富士登山は、シーズン中(7,8月)であれば、日本の山歩きの中で最も安全で、遭難の心配はまず無い(道迷いや滑落の危険がなく、事故を起してもすぐ発見してもらえる)。94才・登頂54回の大先輩に続く気はさらさらないが、喜寿を過ぎても富士に登る意義はありそうだ。
富士山頂に初めて立ったのは1996年8月だが、その前に2度のトライアルがあった。最初は(記憶があいまいだが)1987年8月で、職場の若手社員の週末登山に加わった。当時はスバルライン終点まで自家用車で行けたが、駐車場の順番待ちに数時間を要し、夕方から登り始めた。7合目辺りで雨が降り始め、ご来光は期待できそうもなく、8合目で仲間の一人が高度障害で小屋で待機することになり、小生も登り続ける意欲が失せた。小屋のフトンに潜り込み、山頂を往復した仲間の帰りを待って下山した。登頂しなかったが、富士登山がいかなるものかを知る機会になった。
2度目は1995年10月。同年6月に5年間の米国単身赴任を終えて帰国し、米国でスキーの折にレンタカーして気に入った四駆車に買い替え、試運転を兼ねて御殿場から須走口5合目まで走り、登山道を登れるところまで登ることにした。登山道で人に出会わないのが不思議だったが、3時間ほどで苦もなく7合目(標高3千m)の山小屋に着いた。小屋は雨戸が釘付けされトイレも使えず、後になって9月の閉山後の富士登山は禁止と知った。今から思うに無謀なルール違反をしたことになる。
7合目から山頂を望む |
7合目から下界の眺め |
砂走りで一気に下る |
1996年から夫婦で百名山を始め、手始めに富士山に登ることにした。須走口は前年のトライアルで途中まで下見をしたこともあるが、登山者が比較的少なくマイペースの登山が出来ると知ったからで(8合目で河口湖口の雑踏と合流するが)、夕方の登山で影富士が見えるのはこの登山口だけで、帰りに砂走りを一気に駆け下る楽しみもある。
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1996年の初登頂で小生は最高点の剣ヶ峰(3776m)に立ったが、連れ合いは酸欠で「山頂神社」(3715m)から先に進めず、剣ヶ峰の登頂を断念していた。前月に百名山を完登して自信を得たらしく、「今なら登れる!」とリベンジ登山を言い出し、そうなれば当然小生もつき合うことになる。
山頂の神社は8月末で閉じるが、吉田口の屋はまだ営業していた。 前回と同じ須走口を登り、8合目(3250m)の小屋で一泊し、翌朝3時に起きて山頂を目指した。シーズン中の登山道は盛り場のような雑踏だが、9月になると登山者の往来は北アルプス並になる。特徴的なのは登山者の年齢層で、北アでは8割以上が中高年だが、富士山は何故か殆どが若者で、とりわけ若い女性の単独行が目立つ。聞くところでは、若者の間で富士登山が一種のファッションになっているという。これを契機に若者の登山人口が増えれば良いのだが、富士は登って楽しい山ではない。たぶん懲りる人の方が多いような気がする。
今回も酸欠気味の連れ合いのペースに合わせて牛歩で登り、山頂でのご来光には間に合わなかったが、両人で日本最高点の剣ヶ峰に立った。名物だった測候所の白いレドームが撤去され、無人化で廃墟のようになったのは残念。山小屋の物資補給で、ブルドーザーが山肌を無残に荒らしているのも気になった。山小屋で冷えたビール!など、下界の快楽を高山で実現する代償だが、登山者も、山で営業する人も、 物欲を霊山に運び上げるのは、程々にするべきだろう。
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大姑娘山(中国四川省 5025m))のツアー出発の1週間前、ダメ押しで富士山に登った。富士宮口から登ろうと考えたが、静岡県側の山開きは7月10日で小屋はどこも開いていない。山梨県側は7月1日に山開きして小屋はフル営業で、本八合の小屋を予約した。新宿から高速バスで5合目に10:00着。5合目までの観光客の大半が外国人であることに改めて驚く。
広場のはずれに登山者から「協力金」を徴収するデスクがあるが、気付かずに行く人や横目で見るだけで通過する人が大半。我々は一人1000円を払ってバッジをもらったが、集め方が中途半端で用途も不明な「協力金」は釈然としない。米国や中国の国立公園ではゲートでガッチリ集金し、政府が公園の運営管理の責任を負うが、日本では万事民間任せで、役所が何を監督しているのかもイマイチ分からない。協力金も敢えて中途半端な制度にして、責任をアイマイにしているように見えてしまう。
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ヒマラヤのレンジョパス(5345m)トレッキングの出発を1週間後に控え、高度順応で富士山に出かけた。順応の効果は1週間程度しかもたないと言われる。4千mを超えるのは10日先で、せっかく富士山に登っても医学的効果はあまり期待できないが、「高度恐怖症」(つれあい)は「富士山に登ったから大丈夫」と自己暗示をかけることが、「山酔い」の最良の予防になる筈だ。
新宿から5合目行きバスの乗客の半分は登山スタイルの外国人で、一般の観光客が行かない6合目から上の登山道も半分が外国人である。山小屋のスタッフに流暢な英語を使う若い人が増えた。それはそれで結構なことだが、富士山の山小屋が出す食事が「オモテナシ」にほど遠い「手抜きメシ」なのが気になる。小生は毎回違う山小屋に泊まるが、出される夕食は例外なくカレーライス、少し正確に書けば、プラスチック皿の窪みにちょこっと盛り切りの「実無しカレー汁」で、駅ホームの立ち食いでもこれほど粗末なカレーは見たことがない。ヨーロッパの山小屋のコース料理を見習えとは言わないが、「二度登るバカ」のリピーターを期待していないにしても、もう少し心の籠った食事を出せないものだろうか。
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「馬鹿も登らぬ」と言われる御殿場口は、他の登山口より標高が1千m低い地点から登り始め、歩く距離も2倍長い。そんなシンドいルートを敢えて選んだのは、9月11日出発のボルネオ島キナバル(4095m)登山の予行演習だったからだ。御殿場口のルートは登山口→小屋→山頂の標高差がキナバル登山道とそっくりで、事前にシンドさの程度を体感できると考えたのだ。ちなみに、このルートは毎年8月に行われる秩父宮記念富士登山駅伝競走のコースでもある。
御殿場口は1707年の宝永噴火の火砕流の上に作られた登山道で、噴火から400年しか経っていないので、まだ植生が乏しく、標高1440mの登山口から、裾野を長く引く富士の全姿が見える。登山口の茶店を過ぎると、宝永火口上部の標高3100mの小屋まで休憩所がない(トイレもなく隠れる場所もない)。水や食料の補給ができないので、荷物も少し重くなる。
そんなわけで御殿場口から登る人は少なく、シーズン中でも雑踏とは無縁で、登山口の駐車場もに無料だ(ポピュラーな吉田口と富士宮口は麓に有料駐車してバスで登山口に向かう)。登山口に立派な施設があり、協力金1,000円を徴収する係員も2人いるが、ヒマそうで気の毒。前日に山小屋を予約した時、登り始めたら電話するように言われ、高齢者なのでゆっくり登ると伝えると、日が暮れそうになったら必ず電話するようにと念を押された。登山者ビーコンの実証試験に協力を依頼されたので、住所氏名年齢を登録し、キャラメル大の無線応答機をポケットに入れた。登山道に設置したチェックポイント通過をモニターする仕掛けらしい。入山登録(有料)を義務化して全登山者にビーコンを持たせれば、有効な安全策になるかもしれない。
登山口から小屋までの標高差1600mは、これまでの山登り経験で最もキツイ。登り始めて7時間、標高3000mで脚が上がらなくなり、10歩登っては休み、やっと見えた小屋まで最後の力を振り絞る。富士山の小屋は一般に客扱いが粗雑で、粗末な食事にハラが立つことが多いが、メインルートから外れたこの小屋は、親身の対応に心が通い、食事のカレーライスもしっかりした味と中味で、且つ「食べ放題」。大いに満足して疲れが吹き飛んだ。
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御殿場口の名物は下山ルートの「大砂走り」で、標高差1000m余りの火山灰の急斜面を駆け下る。須走口にも砂走りがあり、少し若い頃(1996年)に豪快に駆け下ったが、今回の大砂走りでは「加齢による体力劣化」を噛みしめることになった。登山は下りの方がキツイとあちこちで書いてきたが、何の障害もない火山灰のザラザラ斜面でも、下りの重力負荷が体重の4倍になって大腿四頭筋を痛めつけ、駆け下るどころではない。坂の途中で休憩したら立ち上がれず、ストックをつっかい棒にしても踏ん張りが効かず、ヨタヨタしながら何とか麓の茶屋にたどり着き、「いちごミルク氷水」でどうにか息を吹き返し、これが「体力の限界」と思い知った。
今のところ(2022年)これが富士登山の最後になっている。標高ゼロの沼津海岸から山頂まで「富士山登山ルート3776」を歩こうかと冗談半分で言っていたが、グズグズしている内にコロナ禍で禁足になり、傘寿を迎えては「もうムリかな」と思うしかない。
富士山を一年中追いかけている写真家が大勢いる。同じ季節・同じ場所で撮っても、撮る人によって違った味わいの作品が出来るのだから、富士は写真モデルとしても第一級なのだ。小生は「ついで撮り」が専門で、富士山を撮るためにわざわざ出掛けたりはしないが、例外はある。
2009年12月4日、所属する写真クラブの撮影会に運転手役で駆り出され、ガラにもなく三脚を立てて富士山と向き合った。撮影ポイントは甲府盆地西の櫛形山で、前日の大雨がウソのように晴れ上がり、申し分ない撮影日和になった。日没の富士を撮りに、午後3時過ぎに標高1800mの撮影ポイントに到着。先着していたグループは乗用車に篭城して3日目とのこと。2時間足らずの撮影で撤収する我々は肩身が狭い。翌朝は天候不良を理由に(実は二日酔いで)山上のポイントには登らず、麓のペンション前の撮影でお茶を濁したが、不気味な朝焼けに出会った。
2度目の2014年1月も写真クラブの撮影会で、八ヶ岳山麓の冬景色が主目的だったが、清里の宿舎から早朝撮影に出発すると、道路の真正面に朝の光に浮かぶ富士山があった。
「年賀状用の富士山を撮りに」も加えると、2019年11月の雁ヶ腹擦山、2021年10月の飯盛山がある。雁ヶ腹擦山は旧500円札裏面を撮ったポイントで、駐車場から1時間で行ける。飯盛山はつれあいの膝人工関節の試運転が主目的だったが、期待以上の富士が撮れた。
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標高の高い山から眺める富士はひときわ美しい。稜線のカーブが一層のびやかになり、裾野を雲で隠した姿はまさに絵のようだ。山座同定の知識がなくても、富士山と槍ヶ岳は見えればそれと分かる。富士山は、栃木県北部の那須、奈良の大台ケ原からも見えることがあるというが、我々の経験では、しっかりと感動的に見えるのは、富士山から半径100km圏内だろう。気象条件が味方してくれる確率は5割以下で、我々の百名山登山で見た富士は以下に限られる。(登山の記事は、各特集ページをご覧いただきたい)
- 北岳、甲斐駒ケ岳: 日本百名山 中央アルプス・南アルプス篇
- 美ヶ原、八ヶ岳、瑞牆山、大菩薩嶺、高武信岳、雲取山: 日本百名山 関東・甲信篇
- 浅間山(黒斑山): 日本百名山 北関東・上信越篇
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日本には「何とか富士」と呼ばれる山が多い。全国的に知られる○○富士ばかりでなく、地元の人だけがそう呼ぶ「ローカル富士」が無数にある。羊蹄山のように完璧なミニ富士もあるが、中には「そう言われて見れば・・」という程度の「ムリ富士」も無いわけではない。
日本百名山の中にも「○○富士」が14座ある。「君は有名人の○○に似ているね」と言われて喜ぶ人もいるし、憮然とする人もいる。百名山に名を連ねるような個性的な名山が「○○富士」と呼ばれて、嬉しがっているか、「オレはオレだ!」とむくれているのか、本人(?)に聞いてみたい気もする。
・ 利尻富士(北海道): 利尻岳(1721m) ・ 知床富士(北海道): 羅臼岳(1661m) ・ 斜里富士(北海道): 斜里岳(1547m) ・ 蝦夷富士(北海道): 後方羊蹄山(1898m) |
日本百名山・北海道篇 |
・ 津軽富士(青森) : 岩木山(1625m) ・ 南部富士(岩手) : 岩手山(2038m) ・ 出羽富士(秋田・山形): 鳥海山(2236m) ・ 会津富士(福島) : 磐梯山(1819m) |
日本百名山・東北篇 |
・ 日光富士(栃木) : 男体山(2484m) ・ 越後富士(新潟) : 妙高山(2454m) |
日本百名山・北関東・上信越篇 |
・ 諏訪富士(長野) : 蓼科山(2530m) | 日本百名山・関東甲信篇 |
・ 大野富士(福井) : 荒島岳(1523m) ・ 伯耆富士(島根) : 大山 (1729m) ・ 薩摩富士(鹿児島): 開聞岳(922m) |
日本百名山・西日本篇 |
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