里から目立って見える山の頂には、殆ど例外なく祠が立っている。立派な社殿から神棚程度のものまで規模は様々だが、激しい風雨にさらされながらも、朽ち果てたものを見たことがない。今も世話を欠かさない人達がいるのである。無信心の小生も、山上の社では僅かなお賽銭をあげて頭を垂れる。山行の安全を願うだけで、べつにご利益を願ったり、人倫の道を悟ろうというわけではない。
西欧流に言えば、山岳信仰はアミニズムの一種で、原始宗教の尾を引くものだろう。だが、日々の暮らしが自然と強く結びついている人たちにとって、山は水や食糧をもたらし、農作業の時期を教えてくれる、優しくて親切な 「かみさま」 なのだ。全宇宙を支配する唯一絶対の「神」しか認めない人たちには、こういう穏やかな信仰の心境は、理解できないと思う。
深田久弥は百名山の条件に、「人々が朝夕仰いで敬い、その頂に祠をまつるような山」を挙げた。これは実に味わい深い考えではないだろうか。今や人類存亡の課題となった「ECO」はもっぱら経済的視点で論じられるが、人間と自然の調和という考えの根底に、穏やかな自然信仰が欠かせないような気がする。東北の百名山歩きを思い起こしながら、そんなことを考えた。
「津軽富士」という中央集権的な呼び方より、地元の人たちが親しみを込めて呼ぶ 「おいわきやま」 の方が、この山にふさわしい。由緒正しく登るには、麓の神社(標高170m)から1日かけて歩くのだろうが、体力不足の百名山消化組は、8合目「スカイライン」終点まで車で、更に登山リフトで山頂直下まで登るのを許してもらう。10月の連休、眼下に拡がる錦繍に目を奪われた。
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「死の雪中彷徨」で知られる豪雪の八甲田山も、4月にはバスが通い始める。雪渓歩きの訓練ツァーに参加、ロープウェイを使って主峰の大岳に登る計画だったが、強風で引き返した。
リベンジは秋に果たした。酸ケ湯から大岳山頂まで往復4時間の行程。毛無岱の草紅葉は、尾瀬湿原の秋景に勝るとも劣らなかった。
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見返峠の駐車場から最高点標識まで徒歩20分。登山と言うにはあまりにあっけないが、雨模様に加え、岩木山と八甲田の紅葉に食傷気味だったので、早々に引き揚げた。麓には名湯・銘酒も多い。百名山を忘れてゆっくり出直せばよい。
八幡平山頂の標識 | 八幡平山腹の紅葉 |
盛岡から北に走ると、左に岩手山が見え続ける。火山活動で登山禁止になっていたが、昔からの東麓の参詣道が解禁になった。急な坂が続いて往路は苦しいだけだったが、復路は気の早い秋草が目に入る余裕が出た。写真を撮りながら下ったが、時折り火山爆発のような轟音に脅かされた。麓の射爆場で自衛隊が大砲を撃っていた。
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早池峰は、高山植物の宝庫として知られる。蛇紋岩の山塊は風化しないため普通の植生は育ち難い。元気なのは乏しい養分と厳しい自然条件に耐えられる高山植物だけで、一見ひ弱そうに見えるが、なかなかのしたたか者らしい。標高を上げるにつれて高山植物の種類が変わるのが、この山では良く観察できる。
そういう山だから、山頂トイレの排泄物はボランテイアが石油缶に汲み、担いで下ろす。最近は吸収式の容器を各自で持ち帰る運動が進んでいると聞く。山に登る者として、その程度のことは覚悟するべきだろう。
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古くから東北第一の名峰として、崇められてきた。その理由は、里から秀麗な姿を仰げば納得できる。米どころ、庄内平野に水をもたらす山と知れば、なお更である。だが、たおやかで緑豊かな山腹を登りつめ、山頂部の火口壁を越えると、突然予想しなかった地形が現れる。荒々しい溶岩がゴツゴツと折り重なる釣鐘状の火口丘である。切り立った岩角にしがみついてよじ登り、ようやく山頂に至ると、この山が荒行の場であったことが納得できる。
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出羽三山の主峰月山も修験者の道場だが、ここには険しく荒々しい難所はない。ほのぼのとなだらかで、大きな丘のようである。8合目まで車道が通じ、広々とした湿原に敷かれた木道をゆるゆると登ると、2時間足らずで山頂に着く。近寄りがたい厳しさではなく、無限の包容力を示すことで、人の心を捉え続けた山なのである。
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山形県南部にひっそりとたたずむ地味な山である。標高はそれほど高くないが奥が深く、本当に山好きな人が、山の霊気を味わいながら静かに登る山である。麓の鉱泉から日帰りも可能だが、百名山消化の騒々しい集団登山など、もっての外なのだ。
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この山の正しい登り方は、南北に長く連なる連峰を縦走し、豪雪に耐えて咲く花々を愛でながら、山に宿る神々と語り合うことだろう。だが、食糧と寝袋を背負って歩き通せない軟弱な「百名山組」は、飯豊本山への最短距離を忙しく往復する。それでも1泊2日をフルに要する。 行程が長い上に坂がキツイ。飯豊詣りは江戸期からの成人儀礼だから、キツイのは当然である。飯豊連峰の最高点は2128mの大日岳だが、ここを訪れるにはプラス1泊を要する。飯豊本山でOKとしたのは、中高年登山者への温情かもしれない。
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「蔵王」という山はない。熊野岳を最高点とする山群をそう呼ぶ。刈田岳の駐車場から熊野岳まで約1時間。登るほどに神秘的な水をたたえた「お釜」の形が微妙に変化し、北西方の展望が拡がってくる。冬に樹氷のモンスターが現れる地蔵岳を通って蔵王温泉に下るコースもあるが、車に戻るマイカー登山では出来ない。
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大爆発で裏磐梯の景観が出来たのは、1888年(明治21年)のことである。荒々しい爆裂口のへりをたどり、山頂を往復する3時間余り、導火線を踏みながら歩くような気分がする。次の爆発はおそらく数百年先のことだろうが。磐梯山は2018年9月に再登。
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通年営業のリフトの終点から最高点の西吾妻山頂まで、歩くのは1時間足らず。雑木に囲まれた山頂は展望ゼロで、面白くもおかしくもない。一切経山などのハイキングコースの方が楽しいと聞くが、百名山を片づけるのが先である。
八幡平山頂の標識 | 八幡平の山腹から |
東北道で郡山を過ぎると左前方に大きく見え見えるのが安達太良で、智恵子抄の一節が自然に浮かぶ。
途中までゴンドラが架かり、1時間少々で山頂に達する。硫黄が匂う爆裂原を左に見ながら北に進み、鉄山からくろがね温泉(岳温泉の源泉)を経由して登山口に戻ったが、山頂から先は大雨になり、撮った写真は右の1枚だけ。遠くからは乳首のように見えるので乳首山とも呼ばれる。
那須岳は、茶臼岳や三本槍岳を含む那須連山を指す。活火山の茶臼岳に圧倒的な存在感があるが、目的地は茶臼岳より標高が1m高い三本槍岳である。槍と言っても尖ってはいない。どこがピークかわからないのっぺりした草原である。その場所は、下野、磐城、岩代の三国境で、五月の節句に三藩の武士が集まり、境界を確かめあって槍を立てた行事が山名の謂れという。そんなことに興が湧かなければ、「何だ、これは」の山である。
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