「この記事は前に見たぞ」とおっしゃる読者がおいでだろう。それもその筈、これから数回にわたって連載予定のニュージーランド(NZ)の記事は、2006年4月に掲載した「ニュージーランド山歩き三昧」の焼き直しである。オリジナルはまだバヌアツ在住時にアップしたもので、写真が少なく、且つ見せ方(ホームページの作り方)も今以上に未熟で、いずれ改訂せねばと思っていた。この度ネタ切れになったのを機に、臆面もなく焼き直して再掲載させていただく次第(ツアーの内容や料金の情報はとうに賞味期限切れにつき、NZ旅行プランのご参考になさらぬよう、為念)。
旅の背景と当時の気分をご理解いただくため、オリジナル記事の冒頭部分を以下に再録する。
バヌアツでのボランテイア暮らしが残り6ヶ月になり、業務の目処もついたので、4週間の長期休暇をもらい、長年の夢だったNZの山歩きをすることにした。夏の盛りを過ぎたとは言え汗だくのバヌアツから、初秋のNZへは3時間のフライトである。出発直前まで悩まされてたヒザ痛も、念力が効いたのか、ウソのようにピタリと止まった。
ネット環境の整わないバヌアツからの旅の資料集めや予約アレンジにはイライラさせられたが、1年前に満員になると聞いていたルートバーントラックとミルフォードトラックのトレッキングも、ネットで予約が取れた。移動はレンタカー、宿所も要所以外は行き当たりバッタリで行くことにした。連れ合いとはNZで現地集合である。
バヌアツは今も8割の家庭に電気がない。我々外国人は局所的な「西欧環境」の中で生活しているものの、溢れるばかりの物質文明に慣らされた身には、何かにつけて不便感が先にたち、粗悪品を平気で売りつけて「サンキュー」も言わないバヌアツ華商の仏頂面にも、ハラの立つことが多い。そんな環境から、突然日本食品まで勢ぞろいのスーパーに入ると、不覚にも目が回る。心のこもった親切さが滲み出る店員の接客態度にも、心が和む。
NZは賃金も物価も日本並みに高いので、質の高い(人手とお金のかかった)サービスには、当然高いお金を払うことになる。我々は折角の旅なので「中の上」クラスを基本としたが、「特上」もあるし「中」「並」もある。宿はキッチン付が基本なので自炊すれば食費が節約できるし、学生などお金のない旅行者用の相部屋のドミトリーや、キャンピングカーの旅行をサポートする施設もあちこちにあり、「予算に応じた旅」が可能なのだ。NZのビジネスの基本ポリシーが「お客の負担能力に応じて、多様で質の高いサービスを提供すること」と感じられる。
ルートバーンとミルフォードのトレッキング(NZではトランピングという)は、ガイド付ツアーに参加した。このシステムは日本の「登山ツアー」とは全く別格のもので、料金はビックリするほど高いが、専用の「山荘」を持ち、質の良い食事を提供する。ガイドは上質の「接客」をわきまえた人たちばかりで、本当に気持ちがよい。ルートバーンには環境省が所有・管理する「素泊り小屋」もある。こちらも完全予約制で、約3000円の手数料を払えば、水道、水洗トイレ、LPGコンロ、厚いマット敷きの2段ベッドの小屋が無料で使える。小生が窓から覗き見たところでは、どの小屋もゴミ一つ落ちていなかった。ちなみに日本の山小屋の素泊りは1泊5千円程度、コンロ、燃料と水の持参を要する。
NZは主要輸出品だった羊毛が衰退し、今のNZの経済を支えるのは観光関連ビジネスだという。我々も4週間の旅で様々な国々からの旅行者に出会ったが、目下急増中の韓国や中国の団体旅行には、行儀の悪いグループが目に付いた。日本人も四半世紀前の海外旅行ブームの頃は「田舎マル出し」だったので、彼等もいずれ洗練されてゆくとは思うが、マナーをわきまえた白人旅行者との対比で違和感を禁じえず、同じ東洋人として少し恥ずかしい思いもする。
NZを旅して感じたことは、NZは「人と自然にやさしい文明国」である。バヌアツの浮世離れした素朴さと人間と自然との共生あり方には、過度の文明化への反省を迫るものがあるが、我々はもうあの素朴さに戻れないし、彼等もそこに留まることはない。NZは高度な成熟段階にある文明国だが、小生が感じた限りでは、ギスギスした過度の競争社会になることを避け、自然破壊にもしっかりブレーキがかかっている。そういう国もあるのだということを知っただけで、21世紀の人類に希望をつなげることが出来そうな気もする。 (2006年4月記 一部改)
ルートバン・トラックは、NZ南島の西岸を貫く「ニュージーランドアルプス」の南部に設けられた、延長100㎞のトレッキングルートを指す。隣りのミルフォード・トラックが氷河U字谷の底を歩くのに対し、ルートバーン・トラックは森林限界の上を歩くので、開放感があり、変化に富んだ山岳展望を楽しむことが出来る。全コースの踏破には5泊6日を要するが、後半の46㎞を2泊3日で歩くツアーが一般的で、我々もこの短縮コースを歩いた。自然保護のため、1日の入山者数はガイド付ツアーが20名、素泊まり小屋泊の個人トレッカーも20名に制限されている。人気コースなので常に満員と聞いていたが、我々が歩いた時はシーズン最終日だった為もあってか、ガイド付きツアーの客は日本人5人と米国人客3人の計8名で、個人トレッカーは誰も見かけなかった。
ガイド付ツアーについてふれておきたい(2006年の状況。現在は違うかもしれない)。このツアーは環境省の許可を得た専門ツアー業者が独占的に提供するもので、設備の整った専用ロッジに宿泊し、食事は同行のガイドが作ってくれる(昼食はロッジ提供の食材でサンドイッチを自作する)。ガイドは風景や草花の案内の他、途中の休憩小屋でお茶とおやつのサービスをし、小屋に着くと直ちに食事の支度にかかり、あと片付けを終えるとスライド映写や酒類販売で遅くまで働く。翌朝は朝食を準備して、あわただしくあと片付けとロッジの掃除をして出発する。彼等が休みなくキビキビと働く姿は清々しく、高いツアー料金が地元ガイドに還元されてプロ意識を支えていると納得できる。 日本人は上客のようで、日本人の客が一人でもいれば、必ず日本人のガイドを付けてくれる。 我々のツアーも現地在住の日本人男性のガイドとNZ人ガイドの2名が旅の面倒をみてくれた。
出発前日に日本語で説明会がある。日本語の立派な資料が用意され、1時間のレクチャーの後に持ち物の確認があり、不十分と思われればレンタルか購入をアドバイスされる。防虫・虫刺され対策では、NZの生命力の強い虫には日本のヤワな薬品は効かないと念を押される。ポーターが個人装備まで運んでくれるヒマラヤのトレッキングと違い、人件費の高いNZでは自分で担ぐしかないが、日本の山小屋2泊の縦走と同じで、荷物はそれほど重くならない。
ディバイド(標高500m) → キーサミット(1000m)→ マッケンジー湖ロッジ(900m) 16km
朝7時、クライストチャーチの案内所前からツアー専用の大型バスで出発。ワカテイブ湖の南側を半周して登山口のディバイド(Divide 分水嶺の意?)まで3時間かかる。以下の説明で示した時間はカメラの記録、標高はGoogle Earth地図の等高線から読み取ったものを使用。
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1日目の行程は16km。日本の山歩きでは丸1日かかる距離だが、ランチ・休憩込みで5時間で歩いた。アップダウンの少ない良く整備されたコースだったこともあるが、今より12歳若かったので、ヨーロッパ人の標準タイムで歩き通せたのだろう。当時は日本百名山を踏破中だったが、2004年10月から2年間のバヌアツでのボランテイア暮らしで、山歩きは一時中断、運動不足で腰痛、膝痛が慢性化していた。それを一気に吹き飛ばすほど、ルートバーンの山歩きは快適だったと言ってよい。
同行のガイド2人が作ってくれた夕食のメニューは、詳しく憶えていないが、スープ、サラダ、肉にデザート付きのコース料理だったことは間違いない。寝室は2段ベッドの4人~6人部屋だが、客が少ないのでグループ毎に1部屋ずつ割り当てられた。電気ヒーターの暖房もあったような気がする。日本のむさ苦しい山小屋と粗食の経験しか無かった我々には、一種のカルチャーショックと言うべき体験だった。日本では山登りが大衆化して、山小屋もそれに対応した営業スタイルになった。日本以外の国では、山登りは今も「上流階級の遊び」と言って良い。日本の大衆化した山登りはそれはそれで誇るべき文化で、むさ苦しい山小屋もその一部と言えるが、自然の中でゆったりと贅沢な時を楽しむ「上流階級の遊び」もまた文化である。我々はそんな「身分不相応」な贅沢を、一過的に楽しませていただいたことになる。
マッケンジー湖ロッジ(500m) → ハリス峠(1250m)→ ロートバーン滝ロッジ(900m) 20㎞
日本の登山は「早出」が基本。山小屋の朝メシは早朝5時がフツウで、前夜に弁当をもらって朝メシ前に出発する登山者も少なくない。夜明け前に山頂に着いて御来迎を拝むのが目的で、日本独特の山岳信仰の伝統が近代登山に引き継がれているのだろう。山の写真屋も暗い内に三脚を立てて朝一番の光で撮るのが定番だが、カメラの操作に忙しくて、太陽を拝む余裕はない。
閑話休題。谷底のマッケンジー湖ロッジに届いた朝の光を楽しみながら朝食を済ませ、別のテーブルに並べられたパンや肉類等で自分好みのサンドイッチを自作し、飲み物と果物をもらってザックに詰める。ガイドが後片づけと掃除を済ませると出発予定の7時半になった。
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最終日の行程は余裕たっぷり。ルートバーンロッジを出発して緩い下りを10㎞歩けば、終点でバスが待っている。
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もう少し歩きたいな、という気分を残してルートバーン・トラックの山歩きが終わった。同日夕方、クイーンズタウンのレストランで「うちあげ」があり、立派な鮭のステーキが出た記憶がある。3日後にミルフォード・トラックのトレッキングを控え、NZ到着以来1週間ぶりの洗濯と近場の観光で英気を養う。