先々月のダコタ篇で過去の米国大統領について書いたが、今年はいよいよ大統領選挙の年。大統領はアメリカ合衆国の首長であるだけでなく、世界最強国のリーダーとして、一挙手一投足が全世界に大きな影響を及ぼす。ヘンな人が選ばれると世界中の人類が困るだけでなく、自然環境にまでとばっちりが及びかねない。

大統領選挙では序盤で人気の高い候補は終盤で躓くのが通例と言われ、土壇場まで何が起きるか分からない。つい先頃まで民主党から初の女性大統領・夫婦大統領が生まれる可能性が高いように見えていたが、今はサンダース上院議員が急迫しているらしい。彼は自ら社会民主主義者を名乗るほどのリベラル派で、格差社会に絶望している若者層の支持を得ているという。もし勝ち抜けば、行き詰まった自由市場経済の方向転換に希望が出てくるが、そうは問屋が卸すかどうか。

一方の共和党ではトランプ氏が依然先頭を走っているようだ。氏は親の代からの不動産業で成功し、マンハッタンの再開発とカジノビジネスで大儲けした人物で、経歴と風貌にいささかアクの強さが漂うが、TVのトークショーで成功哲学を披瀝して人気を博し、その自信と莫大な資金力を背景に大統領選挙に打って出た。彼の最大の支持層が白人労働者と聞くと、それは本来民主党の地盤だった筈?と不思議に思ったりするが、社会が不安定になると大衆が国粋主義に乗るケースは歴史の変わり目にしばしば起きた。米国がそのような時代に突入したとなると、心穏やかでいられなくなる。

トランプ氏の対抗馬にクルーズ上院議員が急上昇しているらしい。トランプ氏の発言はヘイトスピーチと同列にしか聞こえないが、クルーズ氏も負けず劣らずの超右翼で、両者とも共和党主流の穏健保守派からの乖離が著しい。終盤で穏健派候補が浮上すると思われるが、そうなるとトランプ氏が共和党を離党して第三極から出馬するとの説もある。成り行きによっては国内の民族間対立を刺激し、世界最強の多民族国家が混乱に陥る可能性も否定できない。

第三極候補から1992年の大統領選挙のことを思い出した。共和党の現職ブッシュ(父)大統領、民主党のクリントン候補に第三極のロス・ペロー候補がからむ異例の三つどもえの展開で、中盤の世論調査ではペロー氏がトップに立った。当時小生はダラス在住だったが、地元出身のペロー応援の熱狂ぶりに驚いた記憶がある。ペロー氏は1961年にダラスでEDS(Electronic Data Systems)というコンピューターサービス会社を設立、IT産業の草分けとして成功をおさめ、その会社をボーイングに売却して巨万の富を得た。その後もアップル創始者のジョブスと組んだり別のIT企業を立ち上げたりして、新時代のアメリカンドリームの体現者として名を馳せた人物だが、街角の千円床屋(日本流に言えば)に通うなど、庶民的ジェスチャーも人気の一部だったかもしれない。

大統領候補としてのペロー氏は財政赤字を最大の問題に掲げ、国民一人一人が財政赤字解消のために犠牲を払うべきとして、増税を主体とする思い切った財政改革を提起した。途中で選挙戦を離脱して再参入するなど戦術上の不手際もあり、史上初の第三極候補の当選に至らなかったが、票取りのバラマキとは真反対の増税を看板に掲げて20%近い得票率を獲得した事は、ポピュリズム(人気取り)に走る2大政党に愛想をつかした米国民が少なからず居たことを意味する。米国の大統領選挙制度が完璧とは言えないが、国の最高権力者が与党のお家の事情で決まってしまうよりは、国民の政治参加意識が高まることは間違いない。 (この項 2016年1月記)




ミネソタ  フブキニモマケズ   (訪れた時 1986年1月)

ミネソタは森と湖の州と言われ、名前の響きも美しい。四季折々の自然、特に5月に野草が一斉に花をつける頃が素晴らしいというが、私が出張したのは残念ながらいつも冬ばかりだった。ミネソタの冬は、カナダの寒気と五大湖の湿気がぶつかリあって、厳しさもひとしおで、殆どの人は冬の旅行を敬遠するが、私は雪国育ちのせいかあまリ気にしない。吹雪で飛行機が遅れたり悪くすると足止めをくったりするが、どちらかと言えばそういうことも面白がって楽しむ方である。しかし86年1月の出張は少々度が過ぎた。

この話は、3日前にワシントンDCのナショナル空港を出発したが(当時はワシントン近郊に在住)、ミネアポリス一帯が吹雪になって引き返したところから始まる。3日後の夕方、再びイースタン航空の727型機はナショナル空港を離陸したが、低空飛行のまま30km西のダレス空港に着陸した。その日も午後から西北部一帯に低気圧が張り出し、荒天でミネアポリス空港が閉鎖になった場合、代替空港のテキサス州ダラスまで5時間のフライトになる。ナショナル空港は滑走路が短く、5時間分の燃料を積むと離陸できないので、滑走路が長いダレス空港で満タンにしてから飛ぶという。この低空飛行で眼下に拙宅庭のバーベキューテーブルが見えた。ダレス空港を離陸して2時間飛んだところで機長からアナウンスがあり、ミネアポリス空港は雪かき作業中につき、暫く空中待機で旋回するという。

すっかり夜になり、窓から中天の満月が何度もゆっくりと巡るのを見ているうちに、空港の雪かきが終ったとみえて高度を下げ始めた。私は概して楽天家の方だが、本気で心配になる程激しく揺れ、機体が捻れてギシギシ気味の悪い音をたてる。イースタン航空のサービスは最低だが、航空母艦の発着で鍛えた海軍あがりのパイロットは肝が座って上手いと言われるので、こういう場合は頼りになる。ドスンと着地して逆噴射を思い切リ効かせ、機体が停止すると機内に拍手と歓声が湧き上がった。機長が「こんなのは朝飯前ですよ」と応じながら、吹雪の中を無事にターミナルに到着した。

ターミナルを出ると鼻毛も凍るような寒さで、こういう時はタクシーよりリムジンバスの方が安全。ホテルにたどり着いたが、運の悪いときは重なるもので、足止めされた客で部屋が空かなかったという。2ブロック先のホテルを紹介されてタクシー代ももらったが、荷物もないし2ブロックなら、と歩くことにした。ミネアポリスは北欧系移民が多く、身長2メートルのバイキングの子孫が造った街の2ブロックは、温帯短足民族には果てしなく長く感じられた。凍えきってたどりついたホテルはドアマンもいない商人宿だったが、中国人のボーイが部屋に着くなり浴槽に熱い湯を出してくれ、やっと人心地がついた。吹雪は一晩中続いたが、厚い石壁と二重窓の室内には風の音も聞こえなかった。

翌朝はウソのように晴れ上がり、ダイヤモンドダストが舞っていた。低温の空気中のわずかな水蒸気が結晶し、地平線に近い太陽の光を受けてキラキラ光る現象である。雪かき車とダンプトラックの大群が昨夜の雪をきれいに片付け、何事もなかったように朝の交通ラッシュが始まっていた。商談を終えて客と昼食をとってレストランを出ると、また雪が舞いはじめている。タクシーが空港に着く頃は降りしきる細かい雪が見る見る内に積りだし、到着便に遅れが出始めていた。私が乗る予定の便はミネアポリス着陸をあきらめてカンサスシティに向かったという。

出発予定は2時間遅れと出ているが、その程度ですむ筈がない。空港閉鎖前に脱出するべく別の出発便を探すと、隣のゲートからシラキューズ行きが出るという。ニューヨーク州北部のシラキューズも豪雪地帯だからいやな予感がしたが、チケットを書き換えてとび乗った。融雪剤を機体に散布して誘導路に出たが、計器に異常があるからゲートに戻るという。機長があと20分、30分と小刻みに出発を延し、結局3時間遅れになった。ふと気が付くと、隣のゲートを出る便がある。遅れのワシントン行きだったのだろうが、私にはもう腹をたてる気力も失せていた。 (この項 1994年9月記)

空から冬のミネアポリス(2枚とも2007年2月に撮影したもの)

ウィスコンシン 古き良きアメリカ   (訪れた時: 1993年5月)

だいぶ昔のことだが、「ミュンヘン サッポロ ミルウォーキー」というビールのコマーシャルがあった。同じ緯度にあるビールの名産地というアピールである。ミルウォーキーは語感からもロマンのある町のように想像できるし、本場のビールも飲んでみたいと思っていたが、93年5月初めに50州消化旅行で通過するだけになってしまった。シカゴでは路傍の野草が花をつけ始めていたが、1時間北上してウィスコンシンの州境を過ぎると春にはもう一息で、気の早いたんぽぽが一つ二つ見えるだけだった。

ミルウォーキーはミシガン湖に面した大都市で高層ビルもあるが、一昔前の窓の小さいがっちりした造りのものばかりで、50年代の絵葉書を見るような感じがする。しかしデトロイトのように中心部が荒廃してスラム化する現象は見られない。盛衰の激しい産業がなく、マイペースで平和な暮らしを楽しめる典型的なアメリカの地方都市と言ってよいだろう。湖畔の公園では凧上げ大会が開かれていて、思い思いのデザインの凧が何百も空を舞い、近くのクリークでは、遅い春の眠たいような陽の下で、のんびりと釣をする人達の姿が見られた。

土曜日の昼前だったから、ミルウォーキーではビールも飲まず、牧草地の中を西に向かって州都マディソンまで走った。マディソンはさしたる産業もない小都市だが、ウィスコンシン州議事堂は、ワシントンDCの連邦議事堂をやや小ぶりにした堂々たる白亜の建物で、広くもない市街を見下ろす丘の上にたっていた。人口5百万の州にしては少々立派すぎる感もあるが、州が独立国家に近い自治権を持つアメリカの場合は、このくらいでも良いのかもしれない。ここに限らず、アメリカの州議事堂の建物はどれも日本の国会議事堂をしのぐものばかりだ。しかし合衆国首都のワシントンDCがビジネスを引き寄せなかったと同様、州レベルでも政治上の州都と州のビジネスセンターは殆ど例外なくズレていることは注目に値する(例えば、ニューヨーク州:オルバニー、イリノイ州:スプリングフィールド、カリフォルニア州:サクラメント等々)。州都の地名を聞いても、そんな町があったのか、と思うようなところばかりだ。アメリカ人でも、50州の州都の地名を半分以上言い当てる人は少ないのではないだろうか。これは「自然にそうなった」と言うより、「政治とビジネスは隔離すべし」という意思が働いたとしか考えようがない。

マディソンを抜けて更に西に走ると、牧草地とトウモロコシ畑が200km先のミシシッピ河畔まで続く。私が住む千葉県とウィスコンシン州とは姉妹関係というが、昼食にピザを食べただけの縁にとどまった。 (この項 1994年9月記)


追記:ウィスコンシンと政治のからみで思い出したのは、同州選出の上院議員だったジョゼフ・マッカーシー。第2次大戦後の東西冷戦激化の時代に「赤狩り」を扇動した人物で、その名は狂気じみた反共運動を意味する慣用語の「マッカーシズム」に残っている。「赤狩り」はソ連とのスパイ合戦が過敏化したもので、マッカーシーはリベラルなジャーナリストや学者、作家、アーチストを片っ端から国会に召喚して査問し、あげくに調子に乗ってちらつかせた「政府中枢の共産主義者リスト」が架空とバレて議会から譴責を受け、最期はアル中で野垂れ死んだという。そんなマッカーシーの尻馬に乗っていた後の大統領ケネデイは、譴責決議の採決では病気を口実に雲隠れしたらしい。ちなみに赤狩り時代の1954年に非合法とされた米国共産党は復権し、今も堂々と社会主義実現を掲げている。同党ホームページによれば党費は年60ドルで、自民党の党費(4千円/年)より高いが、低所得者に割引制度があるようだ。最新ホームページを斜め読みしたところでは、オバマ大統領の年頭演説を全般で評価しつつ、自由貿易推進と中南米難民の受入れ制限に異をとなえている。経済政策で民主党サンダース候補への期待をにじませ、大統領戦に独自候補の擁立は考えていないようだ。
(この項 2016年1月記)


ミルウォーキー市街を望む

ウィスコンシン州議事堂


アイオア  タライ舟と大洪水    (訪れた時: 1993年5月)

93年初夏にミシシッビ上流で大洪水があり、流域の町や牧場、農場が水浸しになった。冠水した面積はアイオア州の広さに匹敵したという。その少し前の5月上旬の週末にウィスコンシンからアイオアをドライブしたが、その頃は洪水はまだニュースになっていなかった。春の浅いウィスコンシンの農場地帯を走り、地図を見るとミシシッピ川をフェリーでアイオアに渡れる場所があるので、河岸段丘を降りてフェリーの発着場を探した。

ターミナルビルを想像したのだが見当たらず、町の人に尋ねたら「そこだよ」という。見れば川べりの雑草を刈って材木を並べただけの船着場で、柴又の「矢切りの渡し」の方がよほど立派に見える。山羊をつなぐような細い杭に、乗用車が4台で満杯のタライ舟のようなフェリーがつながれ、小さな番小屋に下手な字で「運行中止」と書いた紙切れが貼ってある。ミシシッピはこのあたりでは川巾が300米はあるので、平坦な地形の中をゆったりと流れる筈だ。船着場周辺の水位は平常と変わりないように見えるが、流れはあとから押し寄せる水が前の水を突き飛ばして行くような勢いで、渓流のように白い波頭をたててほとばしり、とてもタライ舟では渡れそうにない。仕方なく一時間半遠回りして、橋を渡ってアイオア州に入った。

アイオアシティという町で一泊することにした。米国には大学だけで成り立っている田舎町が沢山あるが、ここもその一つで、町の中央をミシシッピ支流のアイオア川が流れている。河畔に公園があり、そのまわりに大学の施設がならんでいる。車を運転している時は気が付かなかったが、川沿いの遊歩道はあちこち水浸しだ。岸辺の水面に何か突き出ているので、よく見ると半ば水没したベンチの背ずりだった。満開の桜も幹の下半分は水の中。ミシシッピの奔流とは対照的に、この支流では澄んだ水がゆったリと流れ、うっかりすると水位が異常に上がっていることに気が付かない。川面に夕日に染まった桜が影を映し、洪水の緊張感とは程遠いのどかな風景であった。

中西部の洪水が本格的になったのはそれから一ヶ月後だった。堤防が切れて家が流されて行くTVニュースもあり、私の記憶にある町の名前も出てきたから、タライ舟のフェリーも流されてしまったかもしれない。(この項 1994年9月記)

追記:大統領選挙戦でアイオア州が騒がれるのは、1972年以来、全国各地で大統領選挙人を選ぶ党員集会(コーカス)がアイオア州都のデモインからスタートするため。この地方都市での「公式スタート」で誰が多数を握り誰が脱落するかで、選挙戦の風向きが大きく影響されると言われる。今回(2016年)のデモイン集会は2月1日に予定されている。(この項 2016年1月記)

増水したミシシッピ川。こちらの岸はウィスコンシン側。
フェリーと言うより「渡し舟」。
河畔を走る鉄道。
ミシシッピを渡る橋。
河岸の町はクリントン大統領家とは関係ない。
アイオア大学構内を流れるアイオア川。よく見ると水位が高いのがわかる。