百名山を終えて2カ月が過ぎ、卒業してホッとしたところで、百名山の卒業生がどのくらいいるのか気になった。検索したが、確たるデータは今のところ見つかっていない。
ヒットした情報の中に、北海道・利尻岳の登山者数があった。登山路に自動カウンターを設け、通過した人数を記録したデータである。脇道がないので登山者数を正確に把握している筈だ。さいはての離島に聳える利尻岳は、行くのも登るのも面倒な山である。わざわざ登りに行く人の大半は百名山組だろうと、見当をつけた。利尻岳の登山者数は年間約1万人。その半数が百名山を達成したと仮定し、百名山ブームが始まってから25年として概算すると、達成者数は約12万人になる。いい加減な推量だが、当たらずとも遠からずかもしれない。
12万人は日本人の1千人に1人で、百名山組は奇人変人の部類に入りそうだ。他に同じような集団がないか調べてみた。囲碁、将棋、柔道の有段者数はデータが有りそうで無い。ようやく珠算検定3級以上の合格者が年間約5千名と知った。小生が子供の頃、珠算3級以上はザラにいた。電卓・パソコンの時代になって、珠算は百名山同様のマイナーな存在になったらしい。
百名山は、自分の時間が持てるようになった中高年の遊びである。今の若い世代が中高年になって百名山を目指すかどうか、見通しはあまり明るくなさそうな気もする。社会のエコ志向が進めば登山に目を向けるようになるかもしれないが。
それはともかく、今回は2008年以前に登った北アルプスの山を特集した。記事を書きながら、夫々の山に個性があることに改めて気付かされた。山と語り合える境地にちょっとだけ近づけたかな?
剣岳の登山は、百名山のハイライトと言って良いだろう。映画「点の記」で描かれたように、山頂部は難攻不落の岩の砦である。今は登山道が整備され、難所に頑丈な鉄梯子やステンレスの鎖、足掛かりのボルトが備えてあるので、我々のようなシロウトでも山頂に立てる。
それでも、足を滑らせれば墜死を免れない。我々が参加したツァーは、事前のセルフビレー(自己確保術)の受講が条件だった。腰のベルトにカラビナ(金属製の輪)を装着し、それを岩場に固定された鎖に架け、滑落してもケガを最小限に留める。だがセルフビレーしたのは我々のグループだけで、他の登山者たちは鎖に捉まるだけで登っていた。事故は「万が一」だが、年間に数万人の登山者から必ず数名の事故者が出る。自分が「万が一」にならないように、備えるに越したことはない。
朝3時に剣沢の小屋を出発。懐中電灯を頼りに登り口に着き、夜明けを待って登り始めた。前剣でセルフビレーの準備をして、鎖場毎にカラビナを噛ませて慎重に登る。「カニの縦這い」の難所を過ぎれば頂上はすぐそこ。朝8時50分、剣岳の山頂に立った。好天で絶景だったが、山頂での写真は数枚しかない。緊張が抜けたのと酸欠でボーっとしていたのだろう。
下山の方が筋肉に負担が大きく、注意力も要る。登り組との交差渋滞や、グループの年配者の足が鈍ったこともあって、小屋に戻ったのは午後4時を過ぎていた。この小屋には簡易シャワーがあり、汗をざっと流すだけで疲れを忘れる。水源や環境負荷の制約から、シャワーを設置できる小屋は少ないだろうが、出来れば欲しいものの一つである
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立山は、富士山、白山と共に「日本三霊山」の一つである。立山信仰は奈良時代まで遡る。信仰の対象は雄山(阿弥陀如来)だけでなく、浄土山、大日岳(大日如来)、剣岳(針地獄)、地獄谷(血の池)などがセットになって、全体で仏界をあらわす曼荼羅になぞらえられる。だが山頂にあるのは寺ではなく神社である。神仏混淆は日本的な融通無碍の象徴かもしれない。
雄山山頂の神社(標高3003m)までは、室堂でバスを降りてから2時間ほどで登れる。雄山で折り返す登山者が多いが、立山の最高点は、神社から20分ほど先の大汝山(3015m)である。
立山を最初に登ったのは社会人になった年の夏で、長野県側の黒部ルートが開通したので行ってみようと、同期生と週末の夜行列車に乗り、山頂を往復して帰りも夜行で月曜に出勤した記憶がある(当時は土曜日もフル勤務だった)。その後リタイアするまでご無沙汰が続いたが、2004年7月に剣岳登山のツアーが帰途に立山を回り、半世紀ぶりで立山に登った(下の写真はその時のもの)。
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その後海外のトレッキングをするようになり、足慣らしや高度順応でしばしば立山を訪れている。最新は2020年9月の大汝登山だが、これを最後にする気はまだない。
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案内書には「登りやすく、登山入門に最適」と書いてある。確かに危険個所は少ないが、アプローチは長い。富山駅からバスで2時間揺られ、折立の登山口から5時間登り、やっと太郎平の小屋に着く。翌朝に3時間半かけて喘ぎ登り、ようやく山頂だ。立山から縦走するルートもあるが2泊を要する。
2009年夏、黒部源流の山から谷を隔てて薬師岳を眺め、薬師岳のアプローチが長い理由を納得した。薬師岳には「北アルプスの女王」の別名があるが、この女王様は楚々たる美女ではなく、大きなお尻をどっしりと据えた貫禄充分な大女だったのだ
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山の姿は見る角度によって随分変わるものだが、笠ヶ岳の山頂部は、どの方角から見ても同じ笠の形をしている。火口丘にも見えるが、この山は火山ではないので、氷河のいたずらかもしれない。山頂直下の小屋で山頂ビールの美味を覚えた。
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北アルプスで唯一の活火山である。1915年の大爆発で大正池を作り、現在も奥飛騨温泉郷のボイラー役を勤めている。上高地と飛騨の両側から比較的容易に登れ、山頂からの穂高連峰や笠岳、乗鞍岳の展望が素晴らしい。日本では火山の登山規制が厳しすぎると思うことがあるが、焼岳の山頂部の登山道は噴気孔のすぐ脇を通り、強い硫黄臭を嗅ぎながら登る。この火山の噴火予知には自信があるのだろうか。
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乗鞍岳には山頂近くまで舗装道路が通じ、労なくして3000mの高山を体験できる。この道路の前身は旧日本軍の軍用道路だった。高高度を飛ぶ米軍のB-29に対抗するため、航空機エンジンの実験施設を乗鞍山頂に設け、その為の道路が急造されたのである。空襲には役に立たなかったが、戦後になって改良を重ね、有料の乗鞍スカイラインとして平和利用されているものである。
我々は松本側から無料の道路を使った。当時は自家用車で畳平まで登れたが、路上駐車が数キロ下まで伸びていた。我々はうまい具合に摩利支天下で空きを見つけ、2時間程で山頂を往復した。現在は自家用車では登れないが、環境保全には多少の苦労があっても良い。
乗鞍岳は2022年9月に再登した。
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少年時代の3年間を松本で過ごしたが、北アルプスを眺めて魅了された記憶がない。百名山を歩くようになって、松本市内から北アルプスの名峰が見えるかどうか、確かめてみた。北アルプス南部の槍、穂高などは前山に遮られて見えず、北部の鹿島槍や白馬などは遠くて見えない。例外は常念岳で、市の北東部に行けば、ピラミッドが上半身を見せる。今も常念岳に特別な親しみを覚えるのは、校庭から見た常念岳が潜在意識に残っているのかもしれない。(常念岳は2011年に登りなおした)
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バヌアツから帰国休暇中にあわただしく登った。八方尾根のゴンドラとリフトを使えば、労せずに標高1800mに達し、リフト終点から唐松小屋まで、汗もたいしてかかずに登れる。だが唐松岳から五竜小屋への稜線には、緊張を要する岩場がある。小屋から五竜山頂までの急斜面のトラバース(斜め横断)では、しばしば滑落事故が起きている。国費を使っての帰国休暇ゆえ絶対に事故を起こすなと厳重注意を受けた身だったが、何もなくて良かった。
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槍ヶ岳登山もハイライトの筈だが、百名山の中で最も惨めな登山になった。槍沢小屋では土砂降り停滞の登山者でギュウ詰めになり、雨中の登りに加えて山頂付近に強風が吹きすさび、軽量の連れ合いは小屋の前で吹き飛ばされた。登頂を翌朝に繰り延べたものの山頂は濃い霧の中で、右の証拠写真を撮ってそそくさと下山するしかなかった。
槍ヶ岳は2010年に登り直した。岐阜側の新穂高から双六小屋を経て西鎌尾根を登り、無事に登頂して南岳まで縦走し、槍平に下った。天候に恵まれ写真も心ゆくまで撮ったが、パソコンの障害で大半を失った。下はわずかに残った写真である。
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