定年近くなって始めた日本百名山が2009年に片付き、海外の山に目が向かったが、調べてみると、富士山(3776m)より高くてシロウトが登れる山は極めて少ない。シロウトでも登れる山とは、ロッククライミングや氷雪登攀の技術が不要で、ピッケルや12本爪アイゼンなどの本格登攀用具も要らないという意味で、日本百名山の夏のノーマルルートは歩けても、冬山はムリ、谷川岳の岩壁などトンデモナイ、といったレベルの登山能力が前提になる。
日本人の「登山」は「登頂」を意味し、高尾山でも山頂の標識の前で写真を撮らないと気が済まない。欧米人にとって「登頂」はプロ登山家の世界で、フツウの人は、山が大好きでも山頂にこだわらず、もっぱら山腹でトレッキングを楽しむ(欧米以外では、フツウの人が山遊びをする文化はまだ育っていない)。彼等が山頂を狙わない理由は、緯度が高い欧米やニュージーランドの山は、3千mを超えると夏でも氷雪の世界で、シロウトを寄せ付けないからだろう。ヒマラヤには富士山より高い山などザラだが、殆どの山は麓に行くことさえ容易でなく、シロウト向きの山は数える程もない。
話は変わるが、小生の相棒(カミサン)は高度恐怖症で、少し高い山に登ると必ず不調を訴える。軽度の高度障害を「山酔い」というが、乗り物酔いと同じで、「酔いそうだ」と思えば必ず酔い、気が紛れればやり過ごせることが多い。昨年秋のアンナプルナ内院(4130m)で大丈夫だったのだから、自信を持ってよいと思うのだが、「ダメ」意識が先に立つらしい。そんな相棒を一気に5千mまで上げれば、トラウマから脱出できるのではと考え、毎度お世話になるツアー会社のサイトを探したら、大姑娘山の登山ツアーがあった。
大姑娘山(タークーニャンシャン 標高5025m)は、パンダでおなじみの中国四川省チベット族自治州の世界自然遺産「四姑娘山」(スークーニャンシャン Four Girls)の4峰の一つ。日本では主峰も四姑娘山(6,250m)と呼び、主峰と山群の呼称が同じで混乱するが、これは日本の観光案内がイイカゲンな為。中国では4峰を総称する名称が「四姑娘山」で、主峰は幺妹山(ヤオメイシャン、末妹の意味)、第2峰を四姑娘三峰(5664m)、第3峰を四姑娘二峰(5276m)、第4峰を四姑娘大峰(5025m)と呼ぶ(これでも順序が逆でややこしい)。我々が目指す大姑娘山は第4峰の四姑娘大峰で、この山だけがシロウトでも登れることになっている(本稿では日本での通称「大姑娘山」を使う)。
登攀技術や装備が不要でも、空気の薄さは山の難易度に関係なく、標高5千mの酸素濃度は平地の半分で、不用意に登ったら必ず高度障害にやられる。薄い酸素に体を慣らしておくことが不可欠で、旅程に高度順応の調整日が組み込まれているが、出発前に出来るだけ高い所に登っておく方が良いだろうと考えた。6月の日本アルプスはまだ残雪期だが、シロウトが登れる山を選んで雄山(3003m)と唐松岳(2696m)に登り、出発間際に富士山(吉田口頂上)にも登った。その甲斐あってか、相棒共々無事に大姑娘山に登頂できた。レポート前篇はベースキャンプまでの旅の様子である。
7月11日早朝に成田を出発。台風が関東直撃の予報にやきもきしたが、拍子抜けするような平穏な朝で、北京経由の便は予定通りに出発。北京新空港は初めてだったが、背伸びしていた時代の、見た目の豪華さと品質の落差が縮まり、中国の着実な成長ぶりを実感する。成都のホテルも、日本でちゃんとした都市ホテルに泊まったことのない小生には、建物、調度、アメニテイ、フロントの接客、朝食バイキングの品ぞろえも随分立派で、ここ数年の中国の「文明化」を実感。
何よりも驚いたのは、街を走っている車がどれもピカピカの新車だったこと。それもヨーロッパの中・高級車が圧倒的に多く、日本車は稀に超高級車(レクサス、ランクル等)に出会っても、大衆車は滅多に見ない。出発前のTVニュースで、ドイツの中国接近でトヨタが駆逐されたと報じていたが、これ程までとは想像していなかった。
日本では中国の経済発展を「一部の限られた富裕層」と決めつけ、「日本の方がスゴイ」と安心したがる風潮があるが、その間に、中国にとっての日本の価値は下落し続けているのではないだろうか。世界最大の市場から外されたら日本経済はどうなるのか?「集団的自衛権」の仮想敵国は中国らしいが、モメ事が起きたら米国はどっちの肩を持つのだろうか?中国の態度にはハラの立つ事も多いが、そんな相手とも上手く付き合って自国の利を守るのが政治の役割・外交の仕事の筈。以下は例によって歴史オンチのつぶやき:国が閉塞状態に陥るとナショナリストが頭をもたげ、大衆がそれに熱狂するのが歴史の通例だが、ナショナリストが国を破滅させた例を挙げられても、国を栄えさせた例は思い当らない。
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成都から四姑娘山の観光拠点の日隆まで約350㎞。直行する山岳道路は2008年の四川大地震の被害で今も不通で、成都から雅安まで南下してV字型に迂回する。雅安まで片側2車線の高速道路で1時間余り、走っている車にヨレヨレは1台も見なかった。休憩所の売店はまだ野暮ったいが、トイレは日本のSA並みの清潔感があり、足の踏み場もない「公共手洗間」は急速に姿を消しているようだ。トイレやゴミ箱の注意書きに「文明」の文字が目立つ。衛生観念向上=「文明」の概念を隅々まで浸透させようと努めているらしい。
雅安から先は木曽路を思わせる深い谷あいの一般道路を走る。建設中の大型ダムや工業団地、高層アパートなどを見ると、四川省の山奥まで公共投資のオカネが回っているようだ。日本では沿岸部と内陸部の格差ばかり強調されるが、「結構ガンバっている」と見た方が良さそう。オカネが回ると権力者が潤う世界はまだ強く残っていると聞くが、その辺りの「近代化」をどう進めるのか、中国が尊敬される大国になる上で、今最も問われているところだろう。
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日隆鎮は山間の街道筋に出来た四姑娘山観光の拠点。緯度が低く多湿なので緑は濃いが、標高3200mは富士山の8合目に相当し、酸素は平地の7割。最初の夜は息苦しさで目が覚め軽い頭痛を覚える。出発直前の富士登山は効果ナシだったようだが、それでも深呼吸を10回すれば眠りに戻り、朝はスッキリ目覚めて高所に居ることを忘れる。
ホテルの窓から同じようなホテルの建物が沢山見えるが、人の気配がない。望遠レンズで覗くと、どこも空き家で立ち腐れの状態。「Discover China」を当てこんで建設ラッシュになったものの、空振りで経営放棄されたのだろう。一方で500mほど離れた新興地域では小ぶりなホテルの新築が進み、客がそれなりに入っているようだ。立ち腐れの巨大ホテルは誰のカネで建てたものか知らぬが、公的資金だったとすれば、誰がどう責任を取ったのか興味が湧く(もっとも、日本でも、公共事業の空振りで誰かが責任をとったという話はあまり聞かない。)
閑話休題。この日は高度順応で日隆鎮に停滞し、足慣らしを兼ねてホテルの北側の斜面を登る。小1時間登ったところで、突然有刺鉄線にブロックされた。ガイドは「去年は無かったが…」と当惑顔だが、鉄線はだいぶ先まで続いているので、戻って迂回するしかない。新設の有刺鉄線が人間避けか家畜避けかは分からぬが、高山植物が競い咲く別天地で鉄トゲの通せんぼはいただけない。
登りなおして標高3800mまで上がると、四姑娘の峰々が見えた。右端の台形の山が我々が目指す大姑娘山(5025m)で、この山なら登れそうに見える。隣の二姑娘山(5276m)は我々のグループの一人が別行動で登ることになっているが、鋭い三角錐の山容はなかなか厳しそうだ。主峰の幺妹山は雲に隠れているが、他の3姉妹とは別格のオーラを放つ。末妹が「ミス中国」級の絶世美女とすれば、長姉の大姑娘は「ずんぐり体形オールドミス」(ゴメンネ)。
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日本の山登りは早朝出発が原則だが、ヨーロッパもネパールも中国でも、よほどの強行日程でない限り、朝飯をゆっくり食べて出発する。荷物は馬が運んでくれるので、自分は当日昼間用の身の周り品(雨具・防寒具、水、弁当、行動食)だけ担げば良いが、写真屋には撮影機材の余計な荷物がある。人件費が安いパールでは個人ポーターを雇って担いでもらったが、中国では日当の金額を聞いて断念、機材を最少限に絞って自分で担ぐことにした。そんな時に限って「あのレンズが欲しい!」となるものだが、この際、軽量化を最優先するしかない。
日隆鎮(標高3200m)からベースキャンプの老牛園子(3700m)まで、なだらかな登山道を登る。ルートは馬道と兼用で、中国人は若い観光客でも例外なく馬を雇って乗る。馬上から見下ろされると「日本人は馬に乗るオカネがなくて可哀想!」と思われているような気がするが、価値観の違いだから仕方がない。困るのは日陰の水溜りで、馬が踏み荒らした山道は田植え前の田んぼ状態で、うっかりはまると膝までドロに埋まる。山側の斜面をへつって歩くしかないが、余分な労力と時間を要する。8千円払って馬に乗るのが賢明かもしれない。
前夜からの雨が上がって「やっぱり晴れ男!」と内心得意がっていたが、昼食中に急に降り出した。この日以降も、午前中は晴れ、午後のいっときザッと来る典型的な「夏山天気」の繰り返しだったが、行動中に降られたのはこの日だけで、「やっぱり晴れ男!」の看板は下ろさないことにする。
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「ベースキャンプ」と言われると、「オレも遂に本格登山に来たか」という気分になるが、3700mの標高は富士山頂とほぼ同じでも、ここは「老牛園子」の地名どおり、至ってのどかな草地のテント場で、悲壮感は湧かない。実は小生のテント泊りは60年前の中学の夏季キャンプ以来。窮屈な上にアブに刺され、食事当番を巡るイジメまで思い出し、これまでテントを敬遠し続けてきたのだが、今回の経験でトラウマが吹き飛んだ。テントの運搬・設営や食事の準備は全て現地スタッフ任せで、我々は「食って寝る」だけ。テントやマットの材質・構造も大進化をとげて昔日の「軍隊払下品」の面影なく、こんなテント泊なら山小屋でギュウ詰めにされるより快適かも。小生以上にテント泊を嫌っていた連れ合いも同感だったが、自分でテントと食糧を担いで山に登る体力・気力は、もうない。
この日も順応日で、ベースキャンプに停滞、軽いトレッキングで薄い酸素に体を慣らす。朝夕に添乗員が血中酸素濃度を測って記録する。低い値が出ても、深呼吸して改善すれば身体が反応している証拠で、OKの判断になる。小生のデータは「全く問題ナシ」だが、以前のゴーキョ、アンナプルナの時に比べるとやや低い。やっぱり加齢進行?と少々憮然となる。 以下後編に続く。
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