本年(2017)3月、ボリビアとペルーを訪れた。旅のメインはインカ道を歩いてマチュピチュに行くトレッキングだが、ウユニ塩湖やチチカカ湖の観光など盛り沢山のツアーだった。今回は前半のボリビアの旅をレポートする。
ボリビアの正式国名は「ボリビア多民族国」(Estado Plurinacional de Bolivia)。世界に多民族国家はたくさんあるが(大半の国は多民族国家だが)、わざわざ「多民族」を強調した国名は他に思い当たらない。と言っても現在の国名になったのは2009年3月で、それまでは単に「ボリビア共和国」(Republica de Bolivia) だった。改名した理由を想像するに、2006年に初の先住民族出身の大統領になったモラレスが大農場主の土地を接収し、2009年3月にその所有権を先住民に引き渡した事績を、自国の歴史に刻みたかったのではないだろうか。
モラレスは強硬な反米主義を掲げる社会主義運動党から大統領の座に就き、キューバのカストロ議長やベネズエラのチャベス大統領と気脈を通じたと言われるが、急進的な政策を掲げつつも教条主義に陥らず、現実的に政権を運営して国民の支持を獲得する政治手腕は、同じく社会主義革命家から「世界一貧しい大統領」になって名を上げた、ウルグアイのムヒカ前大統領とも相い通じるように思われる。
南米諸国には共通する歴史がある。氷河時代にベーリング海峡を渡って米大陸を南下したモンゴル系先住民は、他の文明から完全に隔絶された環境で独自の文明を築いたが、コロンブスが「新大陸を発見」するや、ヨーロッパから殺到した冒険的移住者に武力で制服された。移住者達は激しい内部抗争を繰り返しながら祖国から独立を果たしたが、選挙で成立した政権が軍のクーデターで覆される事態が頻発したことも、南米諸国に共通している。
20世紀の初め、ボリビアはチリ、ブラジルとの国際紛争で多くの国民と領土を失い、ナショナリズムが掻き立てられた。1941年に結成された民族主義的革命運動党(MNR)は都市の中間層や農民の支持を獲得し、1951年の大統領選挙で勝利したが、軍部はこの選挙結果を認めずクーデターで政権を掌握。しかし翌1952年4月に鉱山労働者と市民が武装蜂起して政権を奪還し(ボリビア革命)、銀山の国有化、農地改革、旧軍隊の解体などの民主的改革に着手した。だが、国有化による生産低下や農業の停滞など、他の社会主義国が陥ったと同じ行き詰まりからMNRは支持基盤を失い、1964年に再び軍事クーデターが起きた。しかし軍事政権も状況を打開できず、クーデターが頻発して政権交代が続き、国政混乱と債務危機で国は破綻状態に陥った。
1982年に民政復帰して以降も大統領の辞任や亡命が続いたが、2006年にモラレスが大統領になってようやく安定が訪れる。現在3期目のモラレスだが、与党の社会主義運動党が高い支持率を得て絶対多数を維持している。現地で聞いたところでは順調な経済が国民の支持の理由らしい。例によってCIAの The World factbookを調べると、近年のGDP成長率は年4%前後、一人当たりGDPは$7,200を超えて中進国に仲間入りし、失業率7.5%も悪い数字ではない。貧困率(1日2ドル以下で生活する人の比率)は45%でまだ豊かな国とは言えないが、国民には「着実に良くなっている」という実感があり、それが政権支持に繋がっているのだろう。モラレスが稀代の名大統領としても、長期政権は必ず腐敗を生むし、中進国として新たな課題も出てくるだろう。優れた後継者の出現に期待したい。
南米は遠い。3月8日朝7時に家を出て成田発11:30発のダラス行きに搭乗、12時間余のフライトでダラス着。乗継ぎの4時間はやたら面倒になった入国審査が時間つぶしになり、3時間のフライトでマイアミ着。乗継ぎ6時間にウンザリし、8時間のフライトで目的地ラパスに着いたのは、現地時間の3月9日朝6時(東京との時差13時間)。家を出て37時間が経過し、狭いシートに座り続けたせいか、出発時に少し違和感のあった腰痛が歩くのがやっとまで悪化していた。
ラパス国際空港の標高は4061mで、大型機が発着する空港では世界最高。高度順応ナシで富士山頂より高い所にポンと着くのだから、酸素欠乏で即ダウンする旅行者が多いという。小生も飛行機を降りてボーディングブリッジを歩く時からフラフラ感があり、腰痛もあって壁を伝い歩きしたが、意識的に深呼吸を続けて高度障害を回避できたのは、高地歩きの術が多少身に付いていたのかもしれない。
ラパスは巨大なすり鉢のような地形で、低所得層は上部の酸素の薄い旧市街に、富裕層は底の酸素の濃いエリアに住む。我々は空港からそのまま旧市街観光にかかり、高度順応であちこち歩かされる(じっとしていると高山病を発症しやすい)。「食欲は無い筈」と朝・昼抜きで見学スケジュールが組まれたが、後半は腰痛でバスを降りるのもしんどくなり、やっとの思いですり鉢底のホテルに着いてベッドに倒れ込んだ。底と言っても標高は3300mで富士山8合目と同じ。息苦しさと地球裏側の時差ボケで、眠りが浅くなるのは仕方がない。
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外国に行くと食品市場を訪れるのが楽しみ。食料は豊かか、どんなものを食べているか、どんな売り方をしているか、その国の人々の暮らしぶりや公衆衛生のレベル、その国の勢いまでストレートに目に入る。
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人口1百万の大都市ラパスは高度差が800mもある「坂の街」で、車の排気ガス公害が尋常でなかった筈。その解消策として導入されたのが、スキー場や山岳観光で使われるゴンドラ。既に4ルートが整備され、更に新路線の建設が進んでいる。輸送力は1時間に1千人程度だが、4ルートでバス100台分に相当し、水力発電が主力のボリビアでは究極のクリーン交通機関と言える。ちなみにメーカーはオーストリアのドッペルマイヤー社。海外援助があるかどうか知らないが、一般市民が日常に利用できるように料金は低く抑えられている由。我々は体験乗車で最上部から最低部まで2本乗り継ぎ、1時間で市を横断、空中散歩で町の様子がよく見えた。
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先住民が文字を持たなかった南米では、1532年にスペインがインカ帝国を滅ぼして植民地化する以前の歴史は、遺跡の考古学的考察に拠るしかない。スペイン人が先住民から聞き取って著した書物も有るが、先住民は習得したばかりのたどたどしいスペイン語で語った筈だから、採集した内容がどれほど正確だったか、疑問が残る。
インカ帝国は1400年頃に起き、1532年にスペインに滅ぼされるまでの100余年の間栄えた。日本では織田信長より少し前で、それほど大昔のことではない。そのインカが「文明の奇跡」と言われるのは、100年少々の短い間に、エクアドルからチリに至る広大な地域に強力な統一国家を築き、その隅々にまで高度な技術と独自の文明を浸透させたことにある。その瞬発的「超能力」から「インカ=宇宙人」説もある程だが、高度な文明が突如降って湧くことはありえず、この地域で先行した高度な文明があったに違いない。
そのインカ文明の先駆と考えられるのが、インカ王降臨の地と伝説されるチチカカ湖の南岸に近く、BC200~AD1200年頃に栄えたとされるティワナク遺跡(世界文化遺産) 。ラパスに着いた翌日の3月10日(ツアー3日目)、西74kmにある遺跡見学に出かけた。遺跡は4km四方あると言われるが、発掘されたのはまだほんの一部。それでも見学ルートを一巡するだけで2時間たっぷりかかり、湿布とコルセットで固めた腰に気をとられ、せっかくの説明もうわの空だった。
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昨年(2016年)7月の「雨季のヒマラヤ トレッキング」は本当に雨に降られ続けて何も見えない旅だったが、今回のツアーも「雨季のウユニ塩湖とチチカカ湖&インカ・トレイル・トレッキング」と、アタマに「雨季の~」が付いている。それでも懲りずに参加したのは、今回も「雨季」でなければ見られない特別な景色に期待したから。
ウユニ塩湖は南北100km、東西250kmあり、ほぼ長野県の広さの平原に全く高低差がなく、世界で最も平らな場所とされている。乾季は塩が露出して純白の平原になり、それはそれで面白い景色だが、寒すぎて観光に適さない(乾季は冬)。雨季には周辺の山々に降った雨が塩湖に溜って、天空を写す巨大な鏡になる。「晴れて且つ無風なら」という条件が付くが、この世のものとも思えぬ景色と聞くと、風物写真屋としては行って撮るしかない。
ラパスから南へ300kmのウユニ塩湖へは、以前はバスで10時間以上かかったというが、2011年にウユニ空港が出来て、ジェット機で40分で行けるようになった。標高3800mの高地で空気が希薄なため、中型機用の地方空港でも滑走路は4000mある(通常は1800mで足りる)。こじんまりしたターミナルに日本製四駆車(トヨタ・ランクルや日産・パトロール。何故か三菱パジェロは見ず)がズラリと並んで観光客を待つ。客の大半は日本人で、超大物タレントが出演した飲料水のTVコマーシャルのロケ地として人気が出たらしい(滅多に民放を見ない小生は知らなかったが)。
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ウユニで最初に訪れた観光スポットは「鉄道の墓場」。30年ほど前までポトシ銀山とチリの海岸を結ぶ鉄道がウユニ湖畔を走っていたが、鉱山の枯渇で廃線になり、蒸気機関車や貨車が湖畔に遺棄された。小鉄チャンを自認する小生、錆びついた鉄塊の間を腰痛を忘れて走り回った。
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翌朝は4時起床・4時半集合、夜明け前の塩湖へ。
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朝食後も再び塩湖へ。四駆車で塩湖に入る観光は2日間の滞在中に4回あり、ぞれぞれ景観の違う時間帯と楽しみ方にバリエーションを持たせ、スタッフのサービスにも一生懸命さが感じられて好感が持てた。他の国のツアーで四駆車に乗ると、オンボロ中古車で身の危険を感じることが多いが、ウユニ湖は新車に近い車ばかりで、中にはレクサスやランドローバーなど、溜息の出る高級四駆車もあった。ウユニは「高級」で売り、高い付加価値で稼ぐ戦略と見た。
「雨季のウユニ」の2日間は、ガイドによれば「滅多にない好天・無風」に恵まれ、「この世とも思えない風景」を満喫できた。14名のツアー仲間のみならず、日程を共にした観光客約200名(四駆車の台数から推定)全員が、日頃から行いが「清く正しい」人ばかりだったに違いなく、「雨季の旅」の後半にも期待が湧く。
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