迂闊にも「後期高齢者」を死語と思い込んでいた。2008年に老人医療保健を分離した際の官製造語だが、「日本の為に必死に尽した世代に無礼」と総スカンを食い、別の呼び方に変えたと勘違いしていたのだ。過日医院の待合室で「後期高齢者の保険証云々」のポスターを見て、アレッと思って調べたら、「後期高齢者」は公用語としてしっかり生き残っていた。自分的には(この言い方が当世風?)「前期高齢」の自覚もなかったが、「もうすぐ後期高齢」と意識すると、気分や歩き方、体調まで老人っぽくなってくる。気持ちの持ち方と身体のメカニズムが繋がっているのは確からしい。
2015年の山歩きがパッとしなかったのも「準後期高齢」のせいかもしれない。春先に3ヶ月も腰痛が抜けなかったのは老化現象に違いなく、天候不順と猛暑で山に登る意欲が湧かなかったのも、老人性鬱の発症を疑うべきか。言いわけをすれば、初夏に3週間のオーストリア・南ドイツの旅で日本の山に行けず、帰国後も何かと抜けられぬ用事が重なったのだが(山行は連れ合いとペアが原則で、片方に用事があるとダメ)、2014年は日程をやりくって残雪の立山や開山早々の富士山に登ったことを思えば、この1年の減退ぶりに我ながら驚き、人はこうして老い衰えるのかと思ったりもする。
秋に同級会が重なったが、どのクラスも他界した友が2割を超えていた。酒席の話題はもっぱら病気がらみで、命に関わる病の経験者は半数に及ぶ。男性の平均寿命が70歳を超えたのは僅か40年前だから、75歳で「後期高齢」は仕方がないとして、75歳男性の平均余命は11.9年で、同年の半数が87歳(末期高齢者?)まで生きる計算になる。「一億総活躍」と言うからには「後期・末期高齢者」の活躍も期待される筈だが、活躍の中味が「困窮老人に3万円バラ撒くから消費せよ」と「老後資金の貯蓄は孫への生前贈与で吐き出せ」しか聞こえないのは、老人性ヒガミだろうか。
高尾山山頂広場から富士山 2015/1/14
これまで「山歩きレポート」に書かなかったが、正月の腹ごなしを兼ねて高尾山に初詣に出かけるのが習慣になっている。高尾山は標高こそ東京スカイツリー(634m)にも届かないが、主参道を離れれば自然豊かで、山歩きの雰囲気を十分楽しめる山なのだ。もちろんケーブルやリフトは使わない。登りは最も楽な1号路で体と足を慣らす。寺と業者の輸送路を兼ねる舗装路だが、日中は緊急用以外の車両は通らない。登山口はリフト乗り場の右横で、なだらかなアプローチから少し急なジグザグ坂を登り、二つ目の角で車道を外れて階段を直進すると金比羅平の展望台に出る。登山口からここまで30分程で、ちょうど昼食の時間になり、新宿副都心を眺めながら麓で買ったコンビニ弁当を食べる。尾根道を15分歩いて最後の急登を過ぎるとリフトとケーブル山頂駅からの道と合流し、街歩き姿の観光客や家族連れに混じって薬王院に向かうが、年始には初詣客の長い列が出来る。
薬王院から先の遊歩道は数年前まで歩く人もまばらだったが、この頃はブームに乗った観光客と外国人でゾロゾロ状態で、山頂広場は平日でも腰をおろす場所を探すのが難しい。山頂から富士山が見えればラッキー(チャンスは半々)、運が良ければ南アルプスも見える。帰りは南の稲荷山ルートを使う。整備されて深山歩きの趣はやや薄れたが、1時間の下りは変化があって十分楽しめる。
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世の風景写真愛好家はせっせと「撮影会」に通ってウデを磨くらしいが、小生は年に1度(事情で飛ぶこともある)の仲間内の撮影会について行くだけで、これではウデは上がらない。それはともかく、今回の撮影会は裏磐梯の「写真民宿」で2泊3日の合宿。オーナーがマイクロバスで撮影ポイントを周り、車道から「ここだ!」のスポットまで100m以上も汗ダクで雪かきをしてくれる。宿に帰ると雪まみれの三脚の掃除までしてくれ、誠に至れり尽くせりなのだ。
こう言ってはカドが立つが、それに甘えていては誰でも撮れる写真しか撮れない。小生はヘボを自覚しつつも、ベテランが三脚を据える「ここだ!」スポットから敢えてちょっと離れ、少し違った方向にレンズを向ける。その程度の違いで個性的な作品が撮れる程甘くはなく、ベテランの撮り方を参考にする方が上達の早道と分かっていても、「準後期高齢」の今となっては、へそ曲がり流儀を通すしかない。
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春の「足慣らし」は地元の筑波山(877m)が通例だが、たまには目先を変えたくなる。日帰りの山歩きでもアクセスが問題で、車で行けば駐車場に戻らねばならないし、バスは本数が少なく帰りの時間も気になり、年金生活者にタクシー利用はご法度。そんなわけで電車の駅から歩ける山を探すのだが、手頃な山は案外少ない。ガイドブックで見つけた高柄山は中央線四方津駅から登って隣の上野原駅に下るコースで、標高差500m、標準6時間は足慣らしにちょうどよい。
中央線は高尾を過ぎると急に山間ローカル線の雰囲気に変る。4駅目の四方津も田舎駅で、駅前商店街も無くすぐ山道に入る。林の中をひたすら2時間登って大丸峠へ。標高は730mで高柄山頂より3m低いだけだが、ここからがアップダウンの連続で、いいかげんイヤになった頃に山頂に着く。途中で武田信玄が金鉱探しで休んだという伝説の場所から富士山頂が見えた。異様な大きさに驚いて地図を調べると直線距離約30kmで箱根からとほぼ同じ。御正体山がどいてくれれば富士の絶景ポイントになった筈だ。
頂上までのアップダウンにウンザリしていたので、下りでゴルフ場を迂回するルートのアップダウンが殊更キツく感じられる。予定時間を大幅に過ぎてやっと上野原駅にたどりつき、駅階段の途中で太腿がつってしばらく動けず、両足親指の爪もつぶれ、「春の低山足慣らし」は思いの外ハードだった。
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山に登らぬまま夏のシーズンが過ぎ、連れ合いに尻を押されるように日帰り山歩きに出た。今回も電車アクセスで、中央線初狩駅から登って富士急行の田野倉駅に下る高川山は、春に懲りた高柄山と名前も標高差も似ているが、アップダウンは無さそうで、ガイドブックに「山頂からの展望は360度さえぎるものなく、秀峰富嶽十二景に選ばれ‥」とあるのも期待が持てる。
初狩駅も山間のひなびた小駅で、料金不足のSUICAチャージに1万円札が使えずオタオタ、駅前にコンビニなく弁当調達も出来ない。中央線のガードをくぐるとすぐ山道になり、杉林の中を登るとすんなり高川山の山頂に出た。楽しみにしていた大展望は残念ながらモヤがかかり富士の絶景ナシ。下りは山頂直下の急坂を過ぎればさしたる苦労もなく里道に出る。農家の庭先から栗の実がたくさん落ちていて、絵手紙教室の画材当番だった連れ合いは思わぬ収穫に大喜び。そんなのんびりした山里の直下をリニアが時速500㎞で試走中とはとても想像できない。
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10月下旬に郷里の信州で同級会が3つ重なり、全部出席することにした。飛び飛びの日程に新幹線で日帰り3往復のつもりでいたが、せっかく信州に行くのだから「ついで」に秋の山歩きをしようと思い立った。1週間分の着替え、山歩きの道具と撮影機材一式を車に積み、久しぶりの長距離ドライブで長野市へ向かう。
前日の同級会で痛飲したが無事に目が覚め、ファミレスの早朝サービスでハラごしらえをして、長野市から白馬へ1時間のドライブ。始発早々の八方尾根ゴンドラに乗り、兎平からリフトに乗り継いで八方池山荘(1930m)へ。正面から晩秋の高原の冷気をまともに受けて震え上がり、乗り場の温度計が0℃で納得。
リフト終点から八方池(2060m)迄は整備された遊歩道だが、寒さに驚いて逃げ戻る観光客もいる。そう言う小生も帽子を忘れ手袋も薄いものしか持参せず、丸山ケルン(2430m)まで登るつもりを諦め、八方池周辺で撮って折り返した。晩秋の山は空気が澄んで写真がクッキリ撮れると思い込んでいたが、薄いヴェールのようなモヤがかかって偏光フィルターも効かない。後で山写真仲間に聞いたらそれが常識の由で、小生のシロウトぶりを露呈した。
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昼食後、岩岳スキー場に寄ってみる。ここもゴンドラ運転中で、山頂駅からの林間歩きする観光客が多い。聞いていたとおり白馬岳が真正面に見えて撮影を楽しむ。岩岳を下りて鬼無里、戸隠を経由して長野市へ。昨年の神城断層地震(白馬村地震)の影響で閉鎖されていた道路が復旧していて、戸隠山を南側から撮ることも出来た。
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乗鞍岳(3026m)は10年程前までは自分の車で山頂近くまで行けたが、今は標高1800mのゲートから上は公共交通機関を使わねばならず、それもシーズンを過ぎると止まってしまう。環境保護に異をとなえるつもりはないが、ヨーロッパには電車やロープウェイが通年運転して3千m級の山頂まで行けて、誰でも氷雪の山岳風景を楽しめる山がいくつもある。日本にもそんな山があって良いと思うが、今から乗鞍岳の山頂まで鉄道を引いてくれる会社はなさそうだ。中腹の乗鞍高原では旅館、民宿(ペンション)が通年営業していて温泉も楽しめる。
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同級会の三連チャンを終え、上諏訪で連れ合いと合流して北八ヶ岳に向かう。首都圏に近い八ヶ岳連峰は山好きが通う定番の山だが、我々は百名山踏破でお義理のように赤岳と蓼科山に登っただけで肩身が狭い。今回は山雑誌や山番組で人気の小屋に泊り、ついでに奥蓼科の温泉も楽しもうというマルチ目的の山旅である。
奥蓼科の温泉宿は気の毒なくらい空いていて、檜造りの大浴場を一人占めできた。宿の朝食をとってゆっくり出発、さしたる苦労なく山小屋に到着し、荷物を下ろしてラーメンを食べ東天狗岳に挑む。小屋を出てすぐの巨岩が折り重なった急登を越え、溶岩ゴロゴロの「天狗の奥庭」を苦労して通過し、天狗の鼻をよじのぼったところが東天狗岳。雲の流れが早く展望は見え隠れだが、今年初めて森林限界を越え、標高2640mの山頂に立った満足感があった。
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山小屋にもう1泊して北八ヶ岳を半日歩いて帰宅するつもりだったが、温泉の誘惑に負けて下山、蓼科温泉に泊まった。山小屋の粗メシにイヤ気がさしたこともある。食材運搬や水源ナシ等諸々の制約は理解するが、小屋によっては工夫して心が通じる食事を出すところもあるから、要はオーナーの心意気だろう。お座なりの手抜きメシを出すより、作りおきで融通の効くカレーやおでんを名物にする手もある。世界に誇る日本の食品加工技術が山メシに及ぶことも期待したい。
閑話休題、旅の最終日の行き先を櫛形山にした。数年前に写真仲間の撮影会で林道から見事な富士山を見て、いつか山頂から眺めたいと思っていた。林道は山頂近くまで通じて(1860m)立派な駐車場が出来ていた。登山道で作業員が休憩ベンチを設置中で、地元が櫛形山を観光地に売り出そうという意気を感じる。整備された登山道を1時間登ると山頂の標識があり、富士の方向を伐採して眺望を確保している。山頂から少し戻ると西に南アルプスが望める場所がある。櫛形山は日本の1位(富士山)2位(北岳)3位(間ノ岳)が目の前に見える山で、地元が張り切るのもうなづける。
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