1994年4月6日、カタリナ飛行艇遭難機の発掘を終えたアメリカ人調査団の帰国を前に、調査団が滞在したロノックビーチリゾートで、バヌアツ警察とバヌアツ機動隊主催の送別晩餐会が催された。席上サント・マロ・アオレ地区委員会会長のマヌエル・トウルセ氏が、以下の挨拶を行った(抜粋)。
サント・マロ・アオレ地区の住民と近隣の住民を代表し、御挨拶を申し上げます。1940年から1942年にかけて、当時のニューヘブリデス、現在のバヌアツの国を守るために命を捧げた人たちの遺骨収集で、大変に御苦労をされた皆さん、特に米国陸軍の皆さんに対し、感謝の意を表します。 私たちはまた、第二次大戦中に安全保障を提供したアメリカ合衆国政府に対しても、感謝の意を表したいと思います。アメリカ合衆国政府が、皆さんをサントに派遣し、この作業を行うようにしてくれたことに対しても、感謝致します。これらの行為は、両国、即ちアメリカ合衆国とバヌアツ共和国との間に愛と協力があることを、明確に示すものであります
送別の歌
アメリカ軍のメンバーを送るために、北ペンテコストのラカタヴァ村のジョン・マークが、ラガ語で作曲した歌である。1994年3月19日に作曲者自身が歌ってくれたものを作者が録音し、1994年3月28日に、西アンバエのナナコ出身のマリエネット・トゥオミーが英訳してくれた。
さあ、私たちの真の友人を見よ
あの人たちは 私たちのために祖国を離れ
私たちは アメリカ海兵隊の庇護のもと 平和に暮せるのだわれらは 大洋で隔てられているが
心の中では 一体なのだ空に散った人たちの 親や家族たちに 思いを馳せよう
私たちの為に 命を捧げてくれた人たちに
哀悼の心を込めて さよならを言おう愛する国を離れ
見知らぬこの国に 命を捧げに来てくれた人達よ