本稿は「モアイの島イースター」続篇。3日目にイースター島からタヒチに戻ったところから始まる。往路はタヒチ空港でイースター島行きに接続したのでタヒチは素通り。復路も夕方タヒチに戻って一泊したが、翌早朝にモーレア島に移動したので、タヒチはまた素通り。最終日の朝タヒチに戻ったがその足で午後までハイキング。その夜に帰国したので、結局このツアーは「タヒチ」を素通りのままで終わった。世界的観光地にしては扱いが軽い、と思われるかもしれない。
そもそも「タヒチ」という国はない。タヒチは「フランス領ポリネシア」の島の一つで、佐渡島よりちょっと大きい。都市と呼べるのはパペーテ(都市圏人口13万)だけで、さしたる観光スポットはない(と思う)。タヒチと言えば画家ゴーギャンを連想するが、パペーテではゴーギャン関連のグッズを見なかった。ゴーギャンがアトリエを構えたのは島の反対側の小村パブアーリで、終焉の地はタヒチから1500Km離れたマルケサス諸島。タヒチがなぜ有名なのか考えてみると、フレンチ・ポリネシアの島々は小さな火山島やサンゴ礁ばかりで、大型機が離着陸できる空港はタヒチしかない。船旅の時代も事情は同じだった筈で、タヒチの役目がゲートウェイだとすれば、素通りも許してもらえるだろう。
ポリネシアの起源について、小生がバヌアツで見た資料では、アフリカ系と蒙古系が混血し、インドシナ半島から南太平洋の島々に渡海して定住したのがメラネシア(「黒い人がいる所」の意)で、メラネシア人が更に東の島々に拡がってポリネシアを形成した、とあった。だが、メラネシア人とポリネシア人では体型や顔つきが異なり、メラネシア人はアフリカ系、ポリネシア人はアジア系の印象が強く、ポリネシア人の先祖がメラネシア人とは思えない。今回調べた資料に「ポリネシア人の祖先は台湾の先住民」の記述があった。台湾からミクロネシア(「小さい島々」の意)を経てポリネシアに展開したのであれば、ナルホドと腑に落ちる。バヌアツで聞いた「メラネシア人祖先説」は、メラネシア人の「先輩気分」が生んだ巷間説だったかもしれない。
ポリネシアは「いろんな島がある所」の意で、ハワイ、イースター島、ニュージーランド(マオリ族)を結ぶ「ポリネシア・トライアングル」と呼ばれる地域を指し、言語的に共通性が高いと言われる。タヒチ島にポリネシア人が住み始めたのは5世紀頃で(諸説あり)、近世までポマレ王朝が支配していた。19世紀になると英・仏がこの地域で勢力争いを展開し、両国が領有権を主張したが、フランスの方が押しが強かったようで、1842年に女王ポマレ4世がフランスの圧力に屈して保護領になり、1880年にフランス植民地になって王朝は消滅した。
第二次大戦後に南太平洋の島々の多くが独立し、人口1万の独立国(ツバル)も生まれたが、フランス政府はフレンチ・ポリネシアに経済支援と大幅な自治権を与え、独立運動を抑え込んだ。高揚した時期が無かったわけではない。タヒチから800Kmのムルロア環礁がフランスの核実験場になり、1966年~1996年に大気圏内を含む約200回の核爆発が行われた。非核運動と呼応するかたちで独立運動が活発になり、1995年にはパペーテで数万人規模のデモが暴動に発展した。2004年に先住民で初の行政長官になったテマルが独立を提唱したが、世論をまとめきれず、フランス政府の懐柔策が功を奏したかたちで今日に至る。
フレンチ・ポリネシアの一人当たりGDPは2万ドルで、隣りのアメリカン・サモア(米国領)の約2倍。経済的に不満がなく自治権が尊重されれば、独立運動には火が点き難い。フランスのことはあまり知らないが、英国以上にしぶとく老獪な国であることは間違いなく、本国から見ると地球の真裏のポリネシアの島々をこれからも領有し続けるつもりだろう。
前日の夕方にイースター島からタヒチ島に戻り、パペーテのホテルにチェックインしたのは19時過ぎ。イースター島との時差が‐5時間あり、身体的にはもう真夜中で、夕食を済ませてさっさと寝る。
朝7時にチェックアウト、高速フェリーでタヒチ島の西隣りのモーレア島へ。タヒチから飛行時間7分の国内線もあるが、空港での煩瑣な手続きを思えば、高速フェリーで30分の方に圧倒的に利がある。高速フェリーは観光客の移動だけでなく、島民の通勤や軽貨物の輸送も重要な役目になっているようだ。大型車や重貨物の輸送に(低速)フェリーもある。
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モーレア島でフェリーを降り、島内の展望ポイントを巡るツアーに出発。四駆トラックの荷台に乗るのはバヌアツ以来で、愉快な記憶がよみがえる。モーレア島は溶岩ドームが荒々しく空に突き出た火山島で、平らな土地が殆どなく、集落や観光リゾートは海岸の狭い土地にへばりついている。展望を得るには標高の高いところに上がらねばならないが、山深く分け入る観光道路はなく、中腹の展望ポイントでも頑強な四駆トラックの荷台で行くしかない。
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モーレア島では「高級リゾート」に2泊。戦前生まれ(真珠湾攻撃の前)の小生は「ゼイタクは敵!」が身に染みつき、現役時代の出張でも、余程の事情(エライさんのカバン持ちなど)がない限り、「高級ホテル」など泊まったことがなかった。ツアーではホテル代・食費が料金に含まれるので、実際にいくら払ったのか知らないが、レストランのメニューの値段表を見ただけでも目がまわる。だがこの期に及んでは、「冥途の土産」にするしかない。
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「トレッキング・ツアー」は、海が売りの観光地でも敢えて山を歩く。とは言え、若い火山島は荒々しくとんがっているだけでなく、亜熱帯雨林にビッシリ覆われて、老人登山隊が遊び半分に登れる登頂ルートはない。それでも「歩きたがり」のヨーロッパ人向けに、雨林をムリに切り拓いたハイキング・トレイルはある。方向感覚を失いやすい密林歩きには勝手知ったる現地ガイドが不可欠で、パペーテ在住のフランス系の初老のオジサンが来てくれた。当然植物にも詳しく、歩きながらいろいろ説明してくれるが、残念ながら受け手の記憶装置は壊れている。
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雨林歩きからリゾートに戻ってランチ。午後のフリータイムで潜水体験(有料)をすることになった。潜水服の肩から上をかぶって浅い海に潜り、海中で魚と遊ぶ嗜好で、ホースで空気を送ってくれるので、ダイビングのスキルは不要。初めはちょっと緊張するが、スタッフの指示に従って落ち着いて行動すれば大丈夫。冥途の土産が追加になった。
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最終日は早朝のフェリーでタヒチ島に戻るので、朝食はリゾートが用意した弁当。開いてみると、肉、野菜、果物が裸のまま紙製のボックスに詰められ、水分を吸い取られてグッタリしている。ラップも使わない「手抜き弁当」に呆れたが、ハタと気が付いた。これはプラスチックごみを出さない「海洋汚染防止弁当」なのだ! よく見ると同封のフォーク、スプーンも木製。やっぱりフランスは偉い! 手抜きなどと誤解して失礼しました! だが味を損ねてはせっかくの高級弁当が価値を失う。何か工夫はないものだろうか?
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ツアーは最後まで「山歩き」にこだわり、タヒチの港に戻ったその足でハイキングに出発。タヒチ島の最高点はオロヘナ山(標高2237m)だが、登頂するには時間と体力が足りない。当初計画では渓谷を遡って落差130mのファウタウ滝を訪れる予定だったが、大雨で道路が崩れて通行不能になった由。代替プランは、郊外住宅街の最奥から林間の遊歩道を登って尾根に出て、展望ポイントの広場まで標高差約600mを往復する。前日モーレア島でガイドを務めたフランス系のオジサンが再登場し、息子さんとその友人もランチ作りに同行してくれた。
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ハイキングを終えてパペーテ市内のホテルにチェックインしたのは午後3時すぎ。深夜出発の帰国便まで半日のホテル滞在はゼイタクな設定だが、入浴・着替えと荷物の詰め替えがホテルの部屋で出来るのは有難い。
夕食まで時間があるので、パペーテの市街見物に出かけた。タヒチのビジネスは土曜午後~日曜は原則休業で、観光客相手の店も閉まっていると聞いていたが、確かにそのとおりで、繁華街は閑散として歩いているのは我々だけ。幸い土産物屋が1軒開いていた。小生は以前から旅先での買い物をやめているが、つれあいはご近所や友人に配るこまごました土産物を調達、旅を締めくくる気分が整った。
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イースター島とフレンチ・ポリネシアを駆け巡る旅が無事に終わった。元気な内に50ヵ国を訪れたいと思い立ち、満願まで残り5ヵ国になったが、イースター島はチリ領、タヒチ・モーレアはフランス領なので、今回の旅では新規国ナシ。我ながら無意味な目標とは思うが、凡人は何か具体的な目標が無いとモチベーションを保てない。これまで「米国50州」、「世界七大陸」、「日本47都道府県」、「日本百名山」を片づけて来たからには、「50ヵ国」にもケリをつけるしかない。残り少ない余命とオカネだが、さて次はどこへ行こうか…