森村桂が「天国に一番近い島」と呼んだニューカレドニア。初めて訪れたバヌアツ人が腰を抜かさんばかりに驚くという「近代的大都市」ヌメアにかねてから興味があった。バヌアツを訪ねてくれた友人達の帰途の旅程にヌメアが入っていたので、小生もヌメアまで同行して見学することにした。
バヌアツで2年を過ごした小生の目にも、ヌメアは確かに「近代的大都市」であった。ビルが立ち並び、全ての道路は舗装され、交差点に交通信号まであった。郊外には高速道路が走り、立体交差があった。巨大な工場から立ち上る煙まで、「近代的大都市」の姿そのものであった。ニューカレドニアの国民一人当たり国内総生産高はバヌアツの約4倍、「お金の威力」をつくづくと感じさせてくれた。
ニューカレドニアの「富の源泉」は良質のニッケル鉱で、埋蔵量は無尽蔵と言われている。この為、フランスから見ると地球の裏側にあたるこの島は、今もフランスの「一地方」であり、独立は許されていない。22万の人口の半分近くはフランス系白人で、原住民メラネシア人の姿は首都ヌメアでは少ない。フランス人の次に多く見かけるのは、日本人旅行者かもしれない。何しろ成田と関空からエアバスが週8往復も飛んでいるのである。町に日本語が溢れても無理はない。
2年間のバヌアツ暮らしで貧乏性が身に付いた小生は、正直に言って「やっぱり文化生活(?)は快適だなあ」と思った。しかし「幸福度指数」が喝破したように、この快適さは環境破壊の犠牲の上に立っている。電気も水道も持たないバヌアツ人には、それに対する不満を持たない。だが、いったん「利便性」を知ってしまったら、「不便」に戻ることが難しいのが人間の性である。限られた資源の中で欲望を捨てられない人間は、いったいどこに行き着くのだろうか。
ヌメアで驚いたのは旅行者向け物価の高さである、それでも客が来るということは、どうやらここにはバブル時代の日本が残っているらしい。少しでも多くの日本人が海外を知ることは大切なことだが、もうそれ程金持ちでなくなった日本人は、日本人相手のリゾート業者に、カモにされないだけの知恵を持つ必要があるのではないだろうか。
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