先月の更新案内メールのご挨拶に「天変地異とムチャクチャな天候に振り回されるが、 地球には地球の考え方があるのだろう」と書いた。人類が「文明」という名の下に身勝手な地球破壊を始めて5千年、地球が本気で怒りだしたように見える。だが、宇宙の大秩序の下で46億年にわたって黙々と動き続けている地球が、つい最近現れた人類のすることなど気にする筈もなく、今の人類が感じている「地球の怒り」は、自身が行ってきた仕儀の因果応報にようやく気付いた為とも思える。
気象変動: 地球は万年単位で氷河期と間氷期を繰り返し、百年単位で数℃巾の気温変動をしてきた。今は上昇のサイクルにあるらしい。地球が「オレはもうしばらく暑くなるゾ」と決心しているとしたら、人間がCO2排出を多少減らした程度では地球が低温化に転じる筈がない。平均気温が1℃度上がるだけで生態系がガラリと変わることは、日本の山を歩いても実感できる。日本は亜熱帯化の途上にあるというが、そうなったら日本人の生活や文化への深刻な影響は避けられないだろう。その深刻さはまだピンと来ていないが、人間がCO2を出し放題、森林を伐採し放題で気温上昇を加速させたら、その分は自業自得であって、人間が責任を取るしかない。
天変地異: 地球は表面のプレート移動で巨大地震や造山運動を引き起こす。それだけでなく、氷雪や風雨で山を「浸食」し、削られた土砂を下流に堆積させて谷を埋め平野を造り、その平野は造山運動でまた山になり、このサイクルを万年単位で繰り返している。従って、山がいつかは崩れて谷を埋めるのは地球の生理現象であって、人間がコンクリートを塗り付けたくらいでは、地球の生命力は封じ込められない。そんな地球に住む以上、人間はハラをくくり、地球に逆らわない暮らし方を考えるしかない。
近頃は「自然との共生」などと言うが、そんな言い方にさえ「人間本位の奢り」が臭う。偉そうな顔をして地球と対等につき合っているつもりでも、大宇宙の秩序の下で黙々とものごとを進めている地球とでは、「格が違い過ぎる」のだ。新参者は真摯・謙虚でなければならない。そんな地球の表面をチョコチョコいじることで厖大なカネが動き、そのカネが政治を動かしてきた「文明国」は日本くらいなものだろう。そんなことをして、バチがあたらないでどうする。
2011年登山レポートのつもりが脱線した。地球の変調で登山の収穫が乏しかったことへの欲求不満のせいかもしれない。古稀記念の北アルプス大縦走もやり損ねたが、「古稀相応にスローダウンせよ」と天の声が聞こえたような気もする。
シーズン初めの登山で青森の白神岳(1235m)を目指したのは、JRの「期間限定老人割引」につられてのこと(現地でレンタカーしてもおつりが来た)。梅雨時なので多少の雨は予期していたが、朝からのドシャ降りに覚悟が萎え、白神岳登頂が「みちのく温泉巡り」に化けた。本来なら当記事はボツだが、穴埋めに「白神の気分」をお裾分けする次第。
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燧ケ岳には2回登っている。最初は50年前の学生時代で、2度目も新婚早々の45年前。何れも往復夜行を使い、強行軍で歩いた記憶しかないが、2度とも南面のナデックボを登って北麓の御池に下りたことは確か。実は気になっていたことがある。燧ケ岳は双耳峰で、南北の登山道は東側の俎嵓(2346m)を通っている。最高点の柴安嵓(2356m)に登るには一旦俎嵓を下って登り返さねばならないが、その記憶がないのだ。そんなわけで、昨年の至仏山登山と同様、100名山完登を確かにするために、燧ケ岳を登り直すことにした。
気分は20代とさほど違わなくても、古稀ともなると体力低下を自覚しないと危険。1日目は御池に車を置いて沼山峠までバスで上がり、1時間だけ歩いて尾瀬沼ヒュッテ泊。2日目は燧ケ岳南面のナデックボの急登を避けて東尾根の長英新道を登り、山頂の柴安嵓から西へ下って尾瀬沼北端の元湯山荘泊。地図の標準は7時間の行程だが9時間かかった。3日目は燧裏林道を4時間歩いて御池に戻る。若い頃なら日帰りコースだが、無事に歩き通したことをもってヨシしとしよう。
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「ツクバまで登山にカウントするのか」と言われそうだが、筑波山には「日本百名山」のお墨付きがあり、江戸時代には富士登山と同様に筑波登山の講まであった。駐車場から山頂まで標高差約700mは、尾瀬沼から燧ケ岳山頂までとほぼ同じ。山は想像以上に深く、岩場もあって厳しいのだ。毎月数件の遭難事故があり、3月11日には落石で女性登山者が死亡している。
神社下の駐車場まで車で行けるが、つくばエクスブレス+バスの便も良くなった。山頂直下までケーブルとローブウェイがあるが、もちろん使わない。登山道は4本あり、ケーブルカーに沿ったルートが最短・最急で、登山の足慣らしに具合が良く、アゴが出た頃に美味い湧き水(男女川源流)があるのも深山らしい。
神社脇の登山口から山頂鞍部の御幸ヶ原まで2時間弱。ケーブルカーの山頂駅もあって観光客や家族連れで賑わう。御幸ヶ原から最高点の女体山まで20分。巨岩ゴロゴロの山頂から関東平野を一望して東尾根のルートを下る。急な岩場の連続や巨岩をすり抜ける箇所では不用意に足を踏み入れた観光客が難渋する。途中からつつじヶ丘のバス停に下る短縮路もあるが、我々は駐車場まで戻らねばならない。いいかげん下り疲れた頃に神社脇の茶店が現れてホッとする。
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グズグズ梅雨の後にノロノロ台風が続き、7月、8月の夏山シーズンはどこへも出かけずじまい。9月半ばになってようやく天候が少し安定、天気予報を睨んで2日間晴天を見つけ、常念岳→蝶ヶ岳の縦走に出かけた。2003年にツァーで燕岳→常念岳を縦走、常念からの北アルプスの眺めが忘れられず、常念から更に南に縦走すれば槍・穂高の迫力写真が撮れるのではないかと考え、いつもは持たぬ三脚と交換レンズを余分に担いだ。
松本で前泊し、1日目は一ノ沢の登山口から常念小屋までの標高差1200mを登る。ここ数年、シーズン初めは標高2千mで高度障害が発症する。今回も後半はつらい登りだったが、常念小屋の生ビールが良薬になって高度順応即完了。2日目も予想通りの好天で、夜明けの槍ヶ岳と松本平の雲海を撮影。小屋から常念頂上までのキツイ登りもシャッターを押しながらだと苦しさを忘れる。
蝶ヶ岳への縦走路は「入門コース」と書いてあるが、常念小屋のオネエサンに「結構キツくて時間がかかりますよ」と脅かされた。確かに大下り、登り返しが3回もある上に、樹林帯で展望もない。4時間の予定が5時間かかって蝶ヶ岳ヒュッテに着いた頃は雲がかかり、せっかく担ぎあげた三脚とレンズに出番ナシ。
3日目は天気の崩れが前倒しになって朝から本降り。上高地に下る予定を変えて安曇側の三股に下ることにする。ケイタイが圏外なので蝶ヶ岳ヒュッテの電話でタクシーを予約、待ち合わせ時間は4時間後にした。余裕を見たつもりだったが、林道に下ってから足が前に出ず、予約時間を10分オーバーしたのは無念だった。
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