20年前にスイスアルプスをちょっと歩いたが、あの頃はもっぱら「物見遊山」で、写真も今以上にシロウトだった。その後日本百名山を登ったり、山岳写真の会に入ってプロや先輩の作品を見るにつけ、自分も体が動く内にヨーロッパアルプスを歩いて、少しはマシな写真を撮ってみたいと思うようになった。そんな時に「ツール・ド・モンブラン」のツアー募集が目に入った。

モンブラン山群はヨーロッパアルプスの南西部にあり、フランス、イタリア、スイスの3国に跨る長さ約50㎞、巾約20㎞の山塊(日本の南アルプスとほぼ同じ)。主峰モンブラン(4810m)の他、北壁で有名なグランドジョラス(4208m)やシャモニ針峰群など、特異な山容の峰々が目白押しで、山頂に架かるロープウェイやリフトも多数あり、スイスアルプスに勝るとも劣らない山岳観光地と断言して良いだろう。

ツール・ド・モンブラン(Tour de Mont Blanc、略称 TMB)は、モンブラン山群を一周する山歩きを言う(モンブランの登頂はシロウトではムリ)。全コースを歩き通せば170㎞あるというが、「イイとこどり」で車の通らない景勝の峠道を歩き(80kmほど)、残りは車やロープウェイでキセルをして、1週間前後で一周するのが一般的らしい。特に危険な個所は無いが、山小屋の予約が取りにくく、言葉の問題や長丁場の自力登山に不安もあり、日本発のツアーに参加するのが無難。ツアー登山と写真撮りが両立しないことも承知の上で、ツアー終了後に延泊して撮り歩くことにした。


TMBの歩き方に特にルールはないという。我々のツアーはシャモニを拠点に反時計まわりで6泊7日の行程。地図上の赤線は我々が歩いた区間で、青線が交通機関(公共バス、タクシー、ロープウェイ)を使った区間を示す。宿泊( □ )はクールマユールが都市ホテル、コンタミンヌは民宿風プチホテル、その他は山小屋(ボンノム小屋、エリザベッタ小屋、アルベッタ小屋、トリアン・モンブラン小屋)。行程半ばのクールマユールで着替え等の荷物を入れ替え出来たが、ザックはこれまで未経験の重さになった(結果的に使わなかった物も随分あったが)。

シャモニ・モンブラン (通称 シャモニ)

6月23日昼に成田を出発、ウィーン経由でジュネーブ(スイス)到着は同日午後7時過ぎ(時差-7時間)。シャモニのホテルにチェックインしたのは午後9時だったが、高緯度(北緯45度)と夏時間で日暮れが遅く、モンブラン山頂が赤い残照を冠していた。

翌日は中高年登山隊の体調を慮っての休養日。じっと休んでは居られず、ベランダから夜明けのモンブラン撮影に始まり、全員で隣町のレ・プラまで足慣らしの散歩をした後、好天に誘われてロープウェイで標高2525mのブレヴァン展望台に上がり、モンブラン山群の全容を眺めた。夕食は「しばらく米のメシが食えない」とシャモニ繁華街の中華店に繰り込んだが、上品すぎて(?)少々期待外れ。

ジュネーブに着陸直前、機窓からモンブランが見えた。下はレマン湖。
午後9時にホテルに着くと、モンブランが赤く焼けていた。
朝のモンブランは名前どおり「白い山」。山頂は左奥の丸い頭だが、見る角度で前山より低く見える。
足慣らしに出かけたレ・プラ。教会とベルト針峰群の眺めが売りもの。
モンブランと対峙するプランプラ展望台(1999m)から山塊西部を望む。最高点がモンブラン山頂。
ブレヴァン展望台(2525m)から山塊東部のシャモニ針峰群とヴェルト針峰群(左)を望む。


TMB 第1日目 レ・ズーシュ → トリコ峠 → コンタミンヌ

朝起きると雨の覚悟が要る空模様。シャモニ発7時40分の公共バス(観光客はホテル発行のパス携行で無料)でレ・ズーシュに移動、ロープウェイで出発点のベルビュー(標高1800m)に登る。終点の駅舎で雨具に身を固めてTMBを歩き始めるが、尾根の風雨は冷たく「スタート気分はハイ」とは言い難い。

日本のガイドブックや他社のツアーはこの区間を省略し、次の拠点のノートルダム・ゴルジュが出発点になっている。我々のツアーは秘境・登山系の旅行会社の企画で、「遊山ツアーと一味違う」のがセールスポイントの由。そのせいか、ツアー参加者13人(女10名、男3名)の大半は山岳会で日常的に登っている本格派で、我々のように「時折気ままに山歩き」組は例外。「ついて行けるかな」とちょっと心配になる。

初日の行程は距離8.5㎞。登り500m、下り1000mの標高差も足慣らしには適切だが、急登・急降もあって油断は禁物。小生はミアージュ小屋への急な下りで浮石を踏み、重いザックに振り回されて派手に転倒、ケガ人第1号の不名誉を得た(肘にバンドエイド2枚で、行動に影響なし)。

最後のコンタミンヌ村に下る長い林道歩きもつらい。このダラダラ下りがクセモノで、大腿四頭筋が伸びた状態で着地ショックを吸収するという非日常的な動作の連続で疲労するし、靴ヒモの微調整を怠ると足の爪を潰す。雨上がりの高温多湿も加わり、宿舎のプチホテルにたどり着いた時はグロッキー状態。旅行会社が初日にこのルートを加えたのは、ハードな本番を前に、観光気分でツアーに紛れ込んだ足弱の客に撤退を促すのが魂胆?と勘ぐる。我々のグループは平均年齢こそ約古稀だが百戦錬磨のツワモノばかり、民宿ホテルの美味い料理とワインで、全員元気を取り戻した。

出発して2時間半、最高点のトリコ峠(2120m)付近。氷河とアルペンローゼが出迎えてくれる。
眼下にミアージュ小屋。この直後に転倒。バンドエイド2枚で済んだのが幸い。
ミアージュ小屋で昼食。名物は目を剥くような巨大オムレツとブルーベリーパイ。
小屋の本業は牧場経営。
登山道の花(キンポウゲ?)
コンタミンヌの宿舎はいかにもアルプス風なプチホテル。雨が上がって蒸し暑い。

第2日目 ノートルダム・ゴルジュ → ボンノム峠 → ボンノム小屋

2日目はノートダム・ゴルジュ(標高1210m)からモンブラン山群西南端のボンノム小屋(2443m)までの9km。出発点はコンタミンヌの村はずれ、峡谷(ゴルジュ)南詰めのノートルダム教会前の広場。白人グループが次々と出発し、急坂をグイグイ登って視界から消える。彼等はコンパスが長いだけでなくピッチも早く、我々の2倍のスピードで歩く。獣を追って山野を走り回った祖先を持つ人たちと、田んぼに這いつくばっていた人たちの子孫の違いを実感する。

中間点の草原で昼食中、本格的に降り出した。メンバーに自称「ハレ男」と「アメ女」がいて、昨今は何事につけて女性パワーの方が優勢なのだ。標高2000mで森林限界を超えると、随所に雪渓歩きがある。ザクザク雪でアイゼンは要らぬが、傾斜のキツイ雪面は女性ガイドがステップを切ってくれる。6時間かかってボンノム峠(2329m)に到着。更に1時間半歩き続けると、霧の中からボンノム小屋(2443m)がヒョッコリ現れた。ミゾレまがいの冷雨に冷え切った体をホットワインで中から温め、やっと人心地を取り戻す(ハーブ入り赤ワインの熱燗、1杯4ユーロ)。

TMBの他の山小屋には車の補給路があるが、ボンノム小屋は月1度のヘリとボッカ(歩荷=担ぎ上げ)が頼りの由で、夕食の食材は限られる。噛むほどに味の出るビーフシチューは、小生はそれなりに美味いと思ったが、入れ歯組にはイマイチだったようだ。埋め合わせに若いスタッフがギターやバイオリンを取り出して歌合戦を始め、大いに盛り上がる。2段ベッドの4人部屋は荷物スペースもあって快適だが、マットレスが少々湿り気味なのは、フトンを干す習慣が無い為だろう。太陽熱利用のエコ・シャワーもあるが、この天気では冷水が出ても仕方がない。

出発点のノートルダム・ゴルジュは小さな教会前の広場。
白人のグループが次々に出発。単独行は殆ど居ない。
標高1600mあたりまで牧舎があり、車が通る道がついている。その先の登山道もしっかりと整備されて歩きやすい
路傍の花々。ピンクのアルペンローゼはつつじの一種。
オトギリソウ?
要所に立つ道標は、ルート番号、現在地と標高、行き先と所要時間を表示。この草原で昼食に。
アルプス3大名花の一つ、カンパニュラ(トランペットゲンチアン)。
コザクラソウ?
イエローアルパインパスフラワー(キンポウゲ)?
標高2000mを過ぎて雪渓歩き。ザクザク雪はアイゼン無しで大丈夫。
ボンノム峠付近。雨脚強くカメラをザックに収め、写真はここまで。

第3日目 ボンノム小屋 → セーニュ峠 → エリザベッタ小屋(イタリア)

3日目は、ボンノム小屋(2443m)からいったん里(1549m)に下り、仏伊国境のセーニュ-峠(2516m)を登り返して、イタリア側のエリザベッタ小屋(2258m)に至る14.5kmの長丁場。やっと「ハレ男」の出番で、雲一つない青空と想像を超える大展望に、湿っていた気分が一気に晴れる。小屋の朝食は下界と同じ「コンチネンタル」。パンとコーヒーでは山歩きのパワー源に不足と感じるが、ヨーロッパ人は「ハラもち」が良いのだろうか。

5:50 ボンノム小屋のベランダで日の出を待つ。
5:55 西のメルレ峰に朝日があたる。
6:00 テラシン針峰?(2881m)の山頂も明るくなる。
ボンノム小屋。あしながオジサンは朝日を背にした小生。
小屋の看板。フランス山岳会の所有とある。
小屋前の雪渓のシュカブラ。

7時半、輝く朝日に向かって出発。登山道の状態が許せば見晴しの良い尾根筋の急勾配を下る筈だったが、残雪が多く危険の由で、少し遠回りの安全な下りを行く。朝の元気で荷物も軽く、谷底に見えていた村がドンドン近くなる。牛糞だらけの放牧地を下りきるとシャピエ村。次のグラシェ村までの長い車道歩きは予定外のタクシー乗車になって、荷物の重い小生はホッとする。

グラシェ村でチーズ「工場」を見学。近隣の牧場から牛乳を集めてこの土地特有のチーズを作る「作業場」で、熟成庫の広さも八畳間ほど。何でも「工場」にしないと商売が成り立たなくなった日本の「工業化」に首を傾げる。

7:55 雪渓に我々一行の影が映る。
8:24 快調に下り、谷の底がどんどん近くなる。
9:40 シャピエ村が見えた。
11:00 タクシーでグラシエ村へ。雪が少なければ背後の峰の肩を下る予定だった。
グラシエ村のチーズ工場でガイドが見学の交渉。
チーズ熟成庫。製品は土地特産の1種類だけ。

グラシェ村(1789m)からセーニュ峠(2516m)の登りにかかる。途中のモッテ小屋で昼食、先刻グラシェ村でガイドが調達したチーズが供された。我々にとってチーズは食べやすい食品とは言えず、ひとかけら食べれば十分だが、彼等はおにぎりのようにガブリと噛みついてモグモグ食べる。我々が米の銘柄や産地を云々するように、彼等もチーズの産地毎の微妙な味の違いが分かるに違いない。

モッテ小屋でこれから登るジグザグ道を見上げてウンザリしたが、登り始めるとそれ程苦しまずに高度が上がる。体が山慣れしてきたのと、山岳風景とお花畑に癒されての心理効果との相乗だろう。

11:30 グラシェ村からセーニュ峠の登りにかかる。
13:40 モッテ小屋を過ぎて傾斜がきつくなる。グラシェ村のチーズ工場が小さく見える。
14:20 傾斜が緩くなったのは峠が近いサイン。あとひと頑張り。
14:20 自転車で登る人も結構多い。
14:40 高度を稼ぐと貫禄のある峰と目線が同じ高さになる。
15:25 セーニュ峠到着。フランス側の景色はこれで見納め。

6月27日午後3時半、セーニュ峠(2516m)着。フランスとイタリアの国境だが、入国管理も税関もなく、三角点に似た小さい石の標識が埋まっているだけ。

アルプスはイタリア半島とヨーロッパ本土を隔てる天然の要害で、陸路の往来はどこかで峠を越えるしかない。どの峠も標高2500m前後あり、緯度の違いをカウントすると日本で槍・穂高の肩(標高3100m)を越えるのに等しく、6月半ばにやっと地面が現れ、9月半ばには雪で閉ざされる。夏の短い間しか通行できず、紀元前にカルタゴから攻め上がったハンニバルや大陸の蛮族と戦った古代ローマ軍団は勿論、18世紀末にイタリアを攻めたナポレオンでさえ、雪解けを待って進軍、夏を過ぎれば休戦するしかなかった。20世紀半ばに仏・伊が戦った時代があったが、国境の峠が激戦場にならなかったのは同じ事情だろう。

余談はともかく、峠のなだらかな頂点に近づくと、唐突にモンブランの頭が現れてせり上がる。フランス側の茫洋とした白い坊主頭ではなく、イタリア側は堂々たる入母屋型で、前衛を勤める数本の槍も実に立派。ロッキーにもアンデスにもヒマラヤにも、こんな景観は無い。

イタリア側の眺め。モンブランからグランドジョラスまで絶景の山並みが続く
峠に積まれたケルン。
モンブランのイタリア名はモンテ・ビアンコ。どちらも「白い山」の意。
遠くにスイスアルプス。中央の高い山はグラン・コンバン(4314m)。
峠に咲く花。
お花畑の中を下る。

峠を越えて急斜面を下り、U字谷の底を歩く。疲れてからの平地歩きは山歩きよりもシンドく感じるもので、峠で荷物を背負った時にギクッとした左腰も気になる。1時間半歩いて氷河モレーンの縁に達すると、左上のうんざりするような高さにエリザベッタ小屋があった。最後の力をふり絞って登り切り、17時半に小屋到着。

日本の山小屋のように屋根裏のカイコ棚に雑魚寝のスタイルで、ここでもシャワーは冷水しか出なかったが、汗を洗い流せば疲れの半分は流れ去る。夕食はイタリアらしくリゾット。コメのメシは嬉しいが、アルデンテ(芯あり)に賛否両論。(小生はイタリア人が美味いと思う料理法を楽しむ派だが)。

夕食後にカメラを持って外に出ると肩をつつかれた。指さされた先の急斜面にシャモア(アイベックス)の群れ。超望遠レンズは屋根裏部屋のザックの中で、取りに戻る間にシャモアは移動してしまいそう。ズームを目一杯引っ張れば何とか絵になるかもしれない。明日も何か良いことがありそうだ。では次号の続編をお楽しみに!

U字谷の底をエリザベッタ小屋に向かう。
エリザベッタ小屋は氷河モレーンの段丘の上。疲れた体に最後の登りがきつい。
小屋の背後に氷河。
グラン・コンバンに夕暮れが迫る。
西の空に架かる月。
小屋横の絶壁にシャモアの群れ。せっかく持参の超望遠を取りに戻る余裕なし。