前編でスイスを地上の楽園と書いたが、自然の景観が素晴らしいだけでなく、国の経済力を示すGDP(1人当たり、世界4位)や、「国民の満足度」(1位)のデータからも、地球上で最も豊かで住みやすい国と言って間違いないだろう。だが、そんな幸せが天から降って来る筈がない。
スイスは「永世中立国」として知られる。他国と一切の同盟関係を持たず、自国が侵略を受けた場合を除き一切の戦争をしないと宣言し、それが他国に承認されたケースは、現在3件しかない。スイスの永世中立は1815年のウィーン会議で承認され、第一次、第二次大戦ではヨーロッパの戦雲の真只中にあったが、中立を堅持することで戦禍を免れた。オーストリアは1955年、トルクメニスタンは1995年に永世中立が承認されたが、この二国はまだ歴史の試練を経ていない。
スイスの「永世中立」は、傭兵という生業で得た筋金入りの知恵ではないかと思う。国家間の同盟が永続した例はなく、状況が変われば一朝にして反故にされるのが「常識」。小国が大国の庇護を期待しても、イザという時に守ってくれるかどうかは、大国のその時の都合次第だし、頼りにした大国が敗北でもしたら、小国の命脈は尽きてしまう。そんな目に遭うくらいなら、他人の喧嘩に拘わらぬ方が、大ケガをせずに済むかもしれない。小国の永世中立には、そんな計算がある筈だ。
スイスの「武装中立」を羨ましがる軍拡論者がいるが、スイスの軍事費のGDP比は1%で、世界の129番目。隣国ドイツの1.5%、フランスの2.6%より低く、絶対額では夫々の1/10にも届かない。その気になられたら、一気に踏みつぶされそうだが、スイスはそもそも「軍隊」には信を置かぬ主義らしい。軍隊は時の権力者の玩具で、組織として堕落しやすく、しかもリーダーが降参したら任務終了で、軍隊が領土と国民をトコトン守ろうとした例はない。スイス人が傭兵の立場で見た「軍隊」は、その程度のものでしかなかった。
スイスは今も国民皆兵で、山岳ガイドのお兄さんも民宿のオヤジも、民兵として実戦訓練を受け、もし領土が侵されれば、押入れの奥から小銃を引っ掴んで前線に飛び出す筈だ。ミサイルの時代にそんなものが・・と思うかもしれないが、近代兵器に民兵が屈服しないことは、第二次大戦時のレジスタンス、その後のベトナム戦争や民族戦争でも明らかだ。スイス人は200年も前にそれを悟ってハラをくくり、国民が命がけで守るに足る国作りの努力を続けてきた。その結果が今日のスイスだと考えれば、納得できるような気がする。(他の国が容易に真似出来るわけではない。国民を信用して銃を預ける国家が他にあるだろうか?)
(各国のGDP、軍事費は米国CIAのデータベース、国民満足度は「バヌアツ通信」の記事を参照いただきたい。)
(上のツェルマット周辺立体地図はGoogle Earthで加工。以下の写真と記事内容は1993年当時のもの。写真はスライドフィルムをデジタル処理。)
ユングフラウやアイガーに囲まれたグリンデルヴァルトから、マッターホルンのお膝元ツェルマットまで、電車と列車を4本乗り継いで半日の旅。前号で「グリンデルヴァルトは日本の民宿街を思わせる」と書いたが、それに比べると、ツェルマットはひと回り大きな観光都市で、立派なホテルや土産物屋も数多くある。
観光客で賑わうと環境破壊も加速しがちだが、さすがスイスのやることは違って、化石燃料を使う車をツェルマットに入れない。例外は許されず、タクシーやトラックはもちろん、道路補修車まで電動車なのには恐れ入った。それも環境問題が喧しくなって以降の話ではなく、自動車が普及し始めたばかりの1930年頃からそうしているという。電動車はツェルマットの町工場がコツコツと作り続けているそうだが、スイスの先見性とブレの無さには頭が下がる。
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標高1620mのツェルマット駅前から3089mのゴルナーグラートまで、登山電車が40分ほどで登る。1898年にスイスで初めて電化された路線で、架線2本の3相交流を使う仕掛けはユングフラウ鉄道と同じ。連続急勾配のため車内はケーブルカーのように階段状で、腰掛も傾いて取りつけてある。多客期は数珠つなぎに運行し、車掌席から後続電車を撮れるのも、小鉄チャンにはたまらない。
電車も面白いが、車窓の景色はもっとすごい。登るにつれてパノラマがどんどん拡がり、終点のゴルナーグラート駅で、マッターホルンと真正面からご対面となる。目を左に転ずれば、イタリア国境のブライトホルン(4164m)からモンテローザ(4634m)までの麗峰と大氷河は屏風絵の如しで、足元のゴルナー氷河は鬼の洗濯板のようだ。更に上のシュトックホルン(3532m)までロープウェイで登った記憶があるが、今の案内書には載っていない。環境保全で撤去されたのだろうか。
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グリンデルヴァルトで「天空ハイク」に味をしめ、ツェルマットでも二匹目のドジョウを狙った。トレッキング地図に網目のように記されたコースの中から、眺めが良くて楽そうなルートの見当をつけ、ホテル近くから地下ケーブルカーでスネガ(2286m)に上り、シュテリゼー(2537m)まで少し登って、マッターホルンを眺めながらツェルマットに下ることにした。
神様が我々の日頃の行いをご承知で、又もご褒美をくれた。これ以上望めない好天の下、眺望だけでなく、草花や小鳥・小動物との出会いも楽しい。ゴルナーグラートからのマッターホルンは三角定規を立てたようだが、やや東のこのルートからは斜め横顔になり、流し目で色気たっぷりの風情。シュテリゼーやクリンジゼー(ゼー=湖)の逆さマッターホルンも見事で、フィルムがいくらあっても足りない。
景色を楽しみながらゆっくり歩いたが、昼過ぎにツェルマットに戻れたので、ロープウェイを乗り継いでイタリア国境のクラインマッターホルンに上った。富士山頂より高い標高3884mの展望台は真夏でも氷雪の世界。スイス側はノミで削ったような氷壁だが、イタリア側ではサマースキー場が賑わっていた。
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山歩きの楽しみの一つに、高山植物との出会いがある(高山植物は、厳密に言うと、森林限界より上の痩せた裸地に生育する氷河期の生き残りの多年草で、高原の林やヤブに咲く野草類は含まれない)。高山植物にとって、残雪が消えて初冠雪までの短い夏が勝負で、山上を訪れる僅かな虫達を惹き付けるために精一杯の装いをする。小さな花の深い色彩を見ると、生命の必死さが伝わってくるような気がする。
高山植物には細かな分類名があって、図鑑なしで全て言い当てる異能人もいるが、「タカネヤハズハハコ」、「クリンユキフデ」など、9年も乗った車のナンバーさえ憶えられない小生のアタマに入る筈がない。何故か近頃は全てカタカナ表記だが、「高嶺矢筈母子」「九輪雪筆」と書いてくれれば、少しは憶えるかもしれないが。(下の写真には「高山植物」以外もある)
急行列車がジュネーブに近づくと、案内がドイツ語からフランス語に変った。ドイツ語は「犬を叱る言葉」、フランス語は「愛をささやく言葉」と冗談に言われる程、二つの言語は語感が異なる。スイスの公用語は、これにイタリア語とロマンシュ語を加えた4言語。言語・民族・文化は一体のもので、異言語の民族は反目しがちだが、スイスの場合、国民が言語や文化を超えて強固な連帯感を保っているのは、非常に例外的と言えるだろう。
ジュネーブ滞在は空港行き列車の待ち時間だけで、土産用の安物時計を求めて市内を走り回った。スイス工業化の象徴だった時計産業は日本メーカーに駆逐されたが、一部の高級ブランドは不滅だし、製薬、食品、金融など付加価値の高いビジネスでもしっかり儲け、スイスフランの価値は盤石である。スイスはやはりすごい国なのだ。
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