極地旅行専門の会社が企画した12日間のツアーで、ロシアの砕氷船をチャーターして南極圏(南緯66度33分)を越える。南米と南極海の往復に5日を要するので、南極半島周辺のクルーズは7日間だが、ゾディアックと呼ばれるゴムボートでペンギンやアザラシの営巣地を訪れ、各国の観測基地を見学し、観測用ヘリコプターに便乗しての空中観光も含まれる。一世一代の船旅にスイート船室を張り込んでも、旅費は南米先端旅行の2倍程。高い・安いは考え方次第で、パンフレットを読む内にすっかりその気になった。
清水の舞台から飛び降りる背を押したのは「ロシアの砕氷船」への好奇心。「ドラニチン船長号」(左下図)は1万総トンの本格砕氷船で、2万2千馬力のパワーで厚さ4mの氷海を航行できる。1981年にフィンランドで建造され(旧ソ連は意外にも国産にこだわらなかったらしい)、ソ連崩壊前はシベリア航路の確保に使われていた由で、いかにも頑丈な船体は「砕氷艦」と呼んだ方がピンとくる。その船橋部分に6階建て60室の「ホテル」を増築し、米国の旅行会社に傭船されてドル稼ぎに転進した。ロシアのムルマンスクが母港で、船長以下船員は全員ロシア人。悪評高かった旧ソ連のサービス業が崩壊後にどう変わったのかにも興味があった。
ドラニチン船長号 |
スィート船室の居室部分 |
当時は駐在員の任地外旅行に制約があったが、人事担当が目をつぶってくれた。ツアー集合場所のサンチャゴ(チリ)までの往復を入れると特別休暇の2週間を少し超えるが、クリスマスと正月休みを勘定に入れて何とかつじつまを合わせ、1994年12月19日夜にダラスを出発。サンチャゴから英領フォークランド諸島のスタンレーに飛び、砕氷船で出港したところまで前月の「フォークランド諸島」(マルビナス)でレポートした。以降の行程は2007年5月に当サイトでレポート済みで、本稿は二番煎じになるが、写真を増やして記事を全面改訂することでお許しをいただきたい。
ツアーは定員100名がフルに埋まり、米国25名(米国で予約した我々は米国組にカウント)、フランス23名、日本11名の他、スイス、ニュージーランド、ベネズエラ等14ヵ国から集まった。年齢層は60歳前後のリタイア族が大半だが、日本のツアー会社が集めたグループには20~50代の単身参加者が多かった。南極ツアーはマニアックな「オタクの世界」だったのかもしれない。ともあれ米国組の我々も、日本組のおせち料理のお相伴にあずかったり、添乗員の日本語説明に聞き耳を立てさせてもらったりした。
南極条約(外務省資料)というものがあり、南緯60度以南の地域の平和的利用と科学的調査の促進などを取り決めている。1959年に12か国が採択、現在は50ヶ国が加盟している。1994年当時、学術研究以外の極地観光ツアーは肩身が狭かったようで、我々が参加したツアーは形式的に4名の極地学者の研究航海に同行する形をとり、観測基地の視察や学者の船内講義もあった。
南極条約では領有権主張は「凍結」されている。領土権を主張する国は英国、ノルウェイ、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、アルゼンチンの7ヵ国。自国と他国の主張も否定する国は米国、ロシア、日本、ベルギー等だが、米国とロシアは過去の活動を特別権益として留保するという微妙な立場をとっている。加盟国の中には南極に基地を持っていない国も22ヵ国あり、北朝鮮もその一つ。条約加盟国に夫々の思惑があることは「お互いさま」で、虚々実々の積み上げの中で立場を築くのが「外交」なのだ。
12月22日夜半、南米最南端のホーン岬を過ぎドレーク海峡にさしかかると、突如として船体が大きく揺れ始める。「吼える40度、狂う50度」と言われ、地球上でこの緯度だけは潮流や風を遮る陸地がなく、1年中吹き荒さぶジェット気流で海は凶暴に荒れ狂う。砕氷船は船体を前後左右に揺さぶって氷を砕くように作られているので、船底はツルンと丸く、揺れ止めのフィンなどの装備もない。1万トンの巨体は木の葉のように揺れながら荒波に立ち向かい、波しぶきは7階の我々の船室の窓まで届く。ベッドから転げ落ちるし、食事も濡らしたテーブルクロスの上の食器を抱え込むようにしてとるのだが、このくらいハデに揺られると、乗り物酔いに弱い筈の連れ合いにも船酔いが起きない。そんな状態が30時間続く。
12月24日早朝、唐突に波浪が止むと、油を流したような穏やかな海に氷山が現れる。
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砕氷船に搭載された2機の観測用ヘリコプターは観光フライトにも供され、飛行1時間分がツアー料金に含まれている。エレファント島で初回のフライトがあった。旧ソ連は「ヘリコプター王国」と言われ、技術力は米国を凌駕したと言う人もいる。MI(ミル)2型ヘリは軍用(攻撃用)として1970年から量産されたMil-24が原型で、北朝鮮では今も「革新2号」として生産中の由。砕氷船搭載のMI-2はエアロフロートが所有する民間型で、パイロットを含めて6名搭乗できる。急峻な斜面を流れ落ちる氷河の様子や、海上にポッカリ浮かぶ氷山を上空から眺めるのはまた格別。
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午後2時、観測ヘリを飛ばして会場用の氷山を定め、客とスタッフをピストン輸送。氷上の気温は+3℃。風もなく絶好の屋外パーテイ日和で、他所では絶対に見られぬ景観の中、忘れられないクリスマスになった。
夕食のクリスマスデイナーは伊勢海老とステーキのフルコース。「サービス」の概念が存在しないと言われた旧ソ連の船とあって、梅干しからトイレットペーパーまで持参したが、全くの杞憂だった。三食美味、酒類の値段もリーズナブル。ロシア人の船員も精一杯の愛嬌をふりまき、生涯でこの1週間ほど贅沢な気分に浸ったことはない。
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この島にはジェンツーの他にも住人がいた。英国と米国の3名の女子学生と1名の男子学生で、粗末な小屋に泊まり込み、観光客がペンギンの生態に与える影響を研究しているという。タマゴに擬した容器にセンサーと発信機を仕組んで巣に置き、親ペンギンの心拍数からストレスの度合いを測定するのだが、人間の侵入など全く気にかける様子を見せないペンギンでも、内心は迷惑に思っているに違いない。
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