首都のあるエファテ島周辺の小さな島々には、地元民が運営する素朴なリゾートがいくつかあり、日帰り観光客を1日のんびりとすごさせてくれる。10月末の週末の1日、島の北側のぺレ島を訪れた。この季節は乾季から雨季への変わり目で、この日はあいにく太陽が顔を出さなかったが、ろくに泳げない小生も船べりにつかまって色とりどりのサンゴや魚たちを見たり、村人のもてなしを受けながら集落の素朴な生活ぶりも垣間見ることができた。

ペレは人口300人の島だが、独特の言語を持った部族で、独立前はフランス統治下にあったという。300人の内100人は首都ポートビラに出稼ぎに行き、島の定住者は残り約200人ほどである。彼等は小さな島内の4つの集落に分散して住み、我々が訪れた集落は、海岸沿いに10戸ほどの家が並ぶだけである。

住民の生活は、自給用や市場に出荷する野菜類の畑仕事(彼等はカッコよく「ガーデニング」と言う)の他は、時折訪れる観光客の世話が仕事である。男たちを見ていると、バス運転手、モーターボート船頭、スノーケリング案内、バーベキュー料理、集落見学引率、更には昼食時のミュージシャン等々、なかなかの多芸ぶりだ。女性たちの多くは、週の大半をポートビラ公設市場に泊り込み(売り場に雑魚寝)である。一見時代離れした原始生活に見えるが、現金収入のために彼等の暮らしにも急激な変化が起きているのである。

ポートビラ市内からマイクロバスで1時間、ペレ島が見えた。 波止場からスピードボート20分でペレ島に到着。
観光客用の食堂。 住居の前は広々として気持ちが良い。
チーフ(酋長)の庭の木鐸。たたく回数で情報伝達する。 木株はチーフの玉座で他の誰も座ることは許されない。
夕方になると男夕方になると男たちが集まるカバ・バー。 アメリカの平和部隊が作った井戸。この井戸水は生活用水で、飲料水には天水を使うという。
魚獲りの青年。釣るというよりも針で引っ掛ける。 バヌアツのエンターテインメントは例外なく「String Band」。このグループは鄙にもあらず結構上手だった。
島の子供たち。島内に6年までの小学校がある。 結婚を望む青年はこのヤシの木のてっぺんまで登ってみせなければならないという。
村はずれの墓地。 ナベレ(Navele)の花
ナベレの実、食用になる。 パンの実(Bread Fruit)、蒸し焼きにするとパン状の食物になる
バンダナスの実は食べられないが、葉は建築材や敷物、バックの材料に使われる 白檀(Sandalwood)の幼木。売り物になるまであと50年かかるという。
帰途に本島側の波止場で、ポートビラ公設市場から島に戻るオバサンたちと出会った。 渡し舟を待つ少女。