小生の「山岳写真」との出会いは、1996年11月のネパール旅行だったが、その動機はあまり自慢できない。南極圏、北極圏は見たので、ヒマラヤに行って「世界三極」踏破としたかった。その頃は山歩きに興味が無く、一番楽そうなツアーを探したら、それが写真を撮りに行くツアーだった。他の参加者は立派な撮影機材持参だったが、小生は観光旅行スタイルで、ちょっと恥ずかしかった。ツアーのご縁で山岳写真グループに入れてもらったが、今も熱心な会員とは言えず、従って、写真のウデも上がっていない。
飛行機がカトマンズに近付くと、ヒマラヤが屏風のように立ちはだかる。ヒマラヤは、インド亜大陸がチベットの下に潜り込み、境目にあった浅海が押し上げられて出来たシワである。その証拠に、エベレスト山頂から貝の化石が出る。造山活動は今も活発で、1年に数ミリの上昇を続けているという。1千年後には数m高くなる筈だ。地球の時間は、こうした単位で流れる。
立派な山を見ると、地球時間を感じる。優れた山岳写真は、そんな地球時間の感覚を、見る人に伝えられる作品だろう。そんな作品を撮るには、厳しい山の経験が要りそうだが、小生はもはや手遅れで、人間の時間の方に興味が向いてしまいがちである。
(2013/1/26 画面を改造しましたが、記事は2008/12掲載時のままです。)
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カトマンズは標高1400mの盆地にある。15世紀に、カトマンズ、パタン、バクタプルの3つの王国があったが、1768年にゴルカ王が3王朝を倒し、カトマンズに統一王国の首都をおいた。今も残る3つの王国の史跡は、仏教とヒンズー教が混在する一種異様な時空間で、世界中からヒッピーが集まった時期もあった。その後、カトマンズ盆地一帯は世界文化遺産に指定され、山岳景観と共に重要な観光資源となっている。
本年5月、王政が廃され、共和制に移行した。ここ数年、毛沢東派を名乗る急進派の闘争や、王家内部の抗争があり、市内は騒乱状態と報道された。この為観光客が激減したが、最近までカトマンズに居た人の話では、一般市民の生活は平常で、特に危険は感じなったという。イスラムが抗争に絡まないこの国では、無差別テロの心配は少ないようだ。
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ネパール中央部のポカラは、駒ヶ根市と姉妹都市と言う。確かに、目の前に高山が聳え立つ立地は、似ていないこともない。市内のホテルのベランダから、望遠レンズを付けてファインダーを覗けば、アンナプルナ山系の8千mの山頂が、すぐそこに見える。
アンナプルナⅠ峰(8091m)は、1950年にフランス隊が登頂に成功した。8000m級の登頂はこれが最初だった。(英国隊がエベレスト初登頂は1953年)。アンナプルナはU字型の大きな山塊で、左から、アンナプルナ南峰、Ⅰ峰、Ⅲ峰、Ⅳ峰、Ⅲ峰と並び、U字の開口部をふさぐ形で、マチャプチャレが立つ。マチャプチャレの標高は7千mに満たないが、その秀麗な三角錐は、一度見たら忘れられない。
我々はポカラに2泊し、市内と郊外のサランコット展望台からアンナプルナ山系を望遠しただけだった。トレッキングで更に近付けば、山の迫力は幾何級数的に増し、天空にそびえるダウラギリ(8167m)のピラミッドも見える筈だ。我々が行った頃よりも自動車道路が奥まで通じ、アクセスも楽になったと聞くので、ぜひ再訪したいと思う。
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