ヒマラヤ山中の小国が世界の注目を集めたのは、この国が「国民総幸福」を国是に掲げたから、と言い切って良いだろう。1976年に先王の急逝で践祚した弱冠21歳の第四代国王は、「ブータンにとって重要なものは、GNP(Gross National Product 国民総生産)よりもGNH(Gross National Happiness 国民総幸福)」と宣言した。オイルショックが一段落して各国が経済成長に狂奔した時代、負け惜しみにしか聞こえなかっただろう。1998年、国連開発会議がブータンで開かれ、同国首相が演説で22年前の国王の宣言を引用、「GNH」が一躍脚光を浴びた。世界の関心が経済発展から地球環境に移り、ブータン流の生き方が共感を呼ぶ時代になっていた。
この間ブータンは、若い国王の親政の下で鎖国状態を徐々に緩めつつ、仏教が基盤の伝統文化継承を国の基本に置き、黙々と国造りを進めた。半鎖国・政教一致・国王親政とは時代錯誤な、と思うが、この国の国家戦略としては大当たりだったのではないか。中・印・ネパールに包囲される中で半鎖国と文化的防壁で中立を守り、経済開発に禁欲的な姿勢を貫くことで外国資本と国内有力者の身勝手な跳梁を防ぎ、自然と一体のライフスタイルを守り続け、経済的には最貧国ながらも、国民の「人生満足度」は北欧などの高福祉国家に次ぐ。政教一致は伝統文化継承と裏腹で、僧院が行政を執ることで伝統的価値観が国民の暮らしの中に実体化し、且つ行政コストを「お布施」でまかなうシステムは、絶妙とさえ思える。
逆説的に聞こえるが、ブータンの近代化は国王の親政無くして語れないようだ。中でも第4代国王(在位1972-2006)は優れた指導力を発揮して国内の騒乱と周辺国との軋轢を収拾し、且つ国王自身が王権制限と民主化を推進した。人口70万、文盲率53%の国で、国王以上の洞察力と実行力を備えた人が居なかったのかもしれないが、ブータン国民にとって何よりも幸いだったのは、全権能の主が私利私欲を超越した高潔無比の人で、ヘンな「取りまき」を寄せ付けなかったことだろう。
その人格が顕れた例に、昭和天皇大喪で来日した途上国の首長が援助目当ての「挨拶回り」に奔走する中で、ブータン国王だけは「このような時に失礼な事をしてはならぬ」とアポ取りを禁じたという逸話がある。この種の話は脚色が付きものだが、首都ティンプーで覗き見た国王の住居がつつましい「4LDK」程度だったことや、旅の途中ですれ違った国王(第五代)の車がありふれた中型車で、先導パトカー1台と共に静かに走り去った印象からも、ブータン王室の清廉なあり方を理解できたような気がしている。
2004年、第4代国王は「自分がやるべきことは一段落した。以後は若い世代で」と退位を表明、2006年に58歳で王位を皇太子に譲った。英オクスフォード大で学んだ新国王は、先代国王が敷いた脱王政→民政化の路線を進めていると言う。2008年に初の総選挙が行われ、「民主主義」の時代が始まった。これまで国王に絶対の信頼をおいてきた国民にも変化は生じるだろうし、性急な経済発展を望む声も強まるだろう。
「民主主義」が往々にして政治家の足の引っ張り合いになり、国政が停滞してイライラが募ることは某国民が実感しているところ。これまでのブータンが「おとぎ話」のような国だっただけに試練の荒波は高いだろうが、地球上に「おとぎの国」が一つくらい存在し続けて欲しい。(写真は茶店で買ったポスター。左:現国王、右:前国王。)
追伸
5月30日の朝日新聞にブータン国王婚約発表の記事がありました。ブータンの国王らしい演説ですね。
(幸福度の世界ランキング:バヌアツ通信の「幸福度指数の意味」、「バヌアツを反芻する」をご参考に)
首都テインプーとパロは山深い盆地にある。左上の雪稜は4000m級の山(原地図:Google)
首都ティンプーの北の外れに「永田町・霞ヶ関」に相当する一画がある。中で威容を誇る建物がタシチョ・ゾン(祝福された宗教の砦)。日本の社寺と同じ木組みの建築物で、その壮大さに圧倒され精巧さに目を見張る。このゾンはチベット仏教ドゥク派の大本山で、大僧正と数百人の僧侶が起居し、同じ建物内に国王の執務室と諸官庁のオフィスもある。一般見学者は服装を正して中庭まで入れるが、建物内には立ち入れない。
ゾンの脇の小さな平屋にカメラを向けると、現地ガイドに止められた。地図には「迎賓館」とあるが、実は国王の住居なので写真は遠慮してくれと言う。国王の居城と聞けば壮麗な館を想像するが、テインプー山の手の高級住宅ほどもなく、国王の質素な生活ぶりが窺われる。ブータン国民の幸福感の中には、そんな国王を戴く喜びも含まれるかもしれない。
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ティンプーの人口(7万)は伊那市(長野県)と同じで、山に囲まれた立地も似ている。伊那市は父方の郷里に近く、仕事の縁もあって幾度か訪れたが、あれが一国の首都と想像すると(伊那市には失礼だが)愉快な気分になる。ブータンは総人口でも松本と伊那谷を合わせた程度(70万)で、国王が親政で治めるには適当なサイズかもしれないが、インド(12億)、中国(14億)、ネパール(3千万)と対峙するとなると、超小国の国王には相当な知恵と度胸が要りそうだ。
バヌアツの首都ポートビラ(人口4万)に住んだ小生から見れば、ティンプーは立派な首都。伝統様式のデザインで統一された建物が並ぶ落ち着いたたたずまいで、セカセカ歩く人もいない。この国で印象的なのは、子供や若者の表情が爽やかでしっかりしていること。バヌアツでも同じ感想を持ったが、子供たちが明るくのびのびと育っている社会は、大人たちが幸福に暮している証拠だと小生は思っている。
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旅先で市場を覗くと、その土地の人の暮らしや、物資の豊かさの度合いが見える。今回のツアーは「ショッピング無し」だが、自由時間に添乗員が市場を案内してくれた。山国のブータンは野菜が豊富で、わらび、ぜんまいなどの山菜があるのも日本に似ている。現地ガイドの「マツタケ」の声に色めき立った。乾物だったが、我々の買い占めで店頭在庫がカラになった。
ブータンで買い物をする際、「値札」が無いのに困惑するが、値段が全て交渉次第というわけではなく、基本的に「定価販売」で心配は無用。値札を付ける習慣が無いのは、まだ識字率が低いことが関係しているかもしれない。
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ブータンの観光ビジネスは政府が厳しく管理している。外国人の入国数が制限され、滞在・移動には旅行許可証が必要。検問が頻繁にあるので、予定外の旅程も事実上不可。国内旅行料金は公定の一律で、1人1日US$200(宿泊、食事、交通費、ガイド料、手数料を含む)。値引き競争や外国ツァー会社のムリ難題を防ぐと同時に、ヒッピー旅行者を敬遠する効果もある。旅行者用のレストランは半官半民が多いようだが、料理とサービスの質は悪くない。米国の国立公園のシステムと似ていないこともない。(イエローストン国立公園の例)
ツァーの最終日、ウォンデイ・フォダンとプナカを訪れた。標高2300m のティンプーから1000m下ると、植生が亜寒帯から亜熱帯に代わり、バナナやサボテンが目につく。ウォンデイ・フォダンには、17世紀に建てられたゾンが当時のまま残っている。門前町の辺りは土砂崩れが頻発する地形で仮小屋風の建物が多い。文化遺産のゾンを残し、集落を丸ごと2kmほど離れた安全な場所に移住させる工事が進行中で、団地風のニュータウンがほぼ出来上がっていた。住民の安全に国が先手を打つ施策は、日本も見習うべきかもしれない。
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ウォンデイ・フォダンから1時間のプナカにも立派なゾンがある。ティンプーのタシチョ・ゾンが居城の大僧正が、冬季の宮殿に使うという。ゾンは山の上に作るのが通例だが、プナカ・ゾンは川の合流点にあり、1994年に氷河湖決壊による大洪水で流失した。それ以前にも火災や地震に遭い、その都度再建されたと言う。さほど豊かとは思えないブータンだが、ゾンはそれ程大切なものらしい。
途上国がまとまった資金を必要とする場合、先進国の援助に頼るしかない事情は、バヌアツで見聞した。ブータンでも公共施設や歴史遺産の脇に、資金協力した国や組織名を表示した看板が目立つ。聞くところでは、ブータンは援助の提供先として一種のブランド化していて、先進国の機関が対ブータン援助プロジェクト獲得を競い合うと言う。国の好感度が高く且つ透明性も高い(不正の恐れが少ない)ことが評価されているのだろう。
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ブータンには平地が殆ど無い。唯一の国際空港をパロの盆地に作ったが、標高が高く(空気が薄く浮力が出ない)且つ滑走路(全長2000m)の両端に山が迫り、離着陸の難しさは世界有数。ライセンスを持つ機長は世界に8人しか居ないという。パロ空港の特異性はそれだけでない。ブータンの建築物は伝統様式で建てるのがルールだが、空港施設も例外でなく、管制塔まで寺院風なのが愉快。
ドウルク航空のエアバス319の尾翼には、ブータン国章の龍が描かれている。その龍が天に駈け昇るが如く離陸し、急旋回して山稜を抜け出ると、世界三位のカンチェンジュンガが白い巨体を現す。暫くして世界最高峰のエベレストと、日本人が初登頂したマナスル連山も遠く天空に浮かび、ヒマラヤの国を訪れたのだという感慨が胸を走る。
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