石川・岐阜・愛知以西を「西日本」とすると、日本の山はまことに「東高西低」だ。百名山も西日本に15座しかなく、 標高2千mを超える山は、東西の境界にある白山と恵那山だけ。深田も「日本百名山」のあとがきで、西日本の山選びの苦労をにじませている。だが、山高きが故に尊からず。人間社会も、派手に目立つヤツばかりでは成り立たない。夫々の持ち場で渋い存在感があり、周囲の人たちに一目置かれる人間が尊いのだ。

とは言え、関東圏に住む者にとって、西日本の山に出掛けるのは億劫である。幸い百名山を始めた頃に大阪勤務があり、この機会に片付けてしまおうと、季節や天候を無視して駆け回った。そんな不心得が祟ったのか、殆どの山で雨に降られた。証拠写真のない山もあるが、ゴルフ同様、自己申告を信じてもらうしかない。そんなわけで、遺憾ながら、百名山シリーズの締めくくりにしては、冴えないレポートである。(毎度ですが、高山植物名には自信ありません。)

(友山クラブのホームページ「私の旅写真」欄にも「私の百名山」を掲載しましたので、ご興味のある方は覗いてみてください。)


白山 2702m  登頂 2004年8月

富士、立山と共に日本三霊山の一つで、717年(養老元年)に泰澄上人が開山したと伝えられる。昔の登山道は今もあるが、百名山組は長い尾根歩きを敬遠し、バスで奥まで入って短縮路を登る。4時間少々で山頂に着くが、手軽な分だけ、霊山の「ありがた味」は薄れるかもしれない。とは言え、さすが白山。展望も花も素晴らしい。

山頂直下に700人収容の公営の立派な山小屋がある。山小屋の食事に関して言えば、概して公営の小屋では、「これが山のメシだ!文句あっか!」流に供されることが多い。山小屋の食事作りの苦労は理解するし、ごちそうを期待するつもりもないが、客をもてなす気持ちと工夫がチラリと見えるのは嬉しいものだ。公営施設も、顧客満足に心をこめて欲しいと思う。

山頂直下の神社 室堂の山小屋 山頂の景色 山頂直下のお花畑 夜明け。シルエットの北アルプス 木曽御嶽が裾をひろげる
小屋周辺のお花畑 クロユジ ハクサンフウロ ダイモンジソウ イブキトラノオ オンタデ タカネナデシコ

伊吹山 1377m  登頂 2 008年7月(再登)

冬季に新幹線ダイヤを混乱させるのは、伊吹山が関ヶ原に吹き下ろす雪。その豪雪のおかげで、標高の低い伊吹山にも高山植物の群落がある。花の季節は山頂近くまでバスで行けるが、足慣らしのつもりで、海抜200mの登山口から歩いた。冬はスキー場になる南面の登山道は樹林がなく、真夏の太陽をまともに浴びて急坂を喘ぎ登るのは、大袈裟に言えば「死の行軍」のようなもの。3時間半かけて頂上に着いた時は完全にグロッキーで、山頂茶屋のソフトクリームでやっと蘇生した。山頂に日本武尊像があり、ここが武尊終焉の地だそうな。甘く見てはいけない山なのだ。

恵那山 2191m  登頂 2002年5月

登山口から山頂まで標高差600m・往復距離12kmは、普通ならば楽勝コース。真夏でもないので、お茶のペットボトルを1本持って登った。だが、残雪と泥んこ坂に加え、地図では分からぬアップダウンが執拗に続き、脱水症状で朦朧となった。不都合は重なるもので、急坂で連れ合いの登山靴の底がパックリ剥がれ、タオルで縛ってようやく歩く始末。途中の景色や山頂の景観は全く記憶にない。

大峰山(八経ヶ岳) 1915m  登頂 1999年5月

役行者(えんのぎょうじゃ)が法華経八巻を埋めたという修験道の山。修行僧の奥駈道の途中にあるが、百名山では、奥吉野の林道に車を置き、ショートカットで往復する。山頂近くのお堂から行者姿の参拝者の読経が響くが、下りの時間が気になる日帰り登山では、霊験は得られそうもない。

大台ケ原(日出ヶ岳) 1695m  登頂2002年5月

深田が「大台ケ原に登って雨に遭わなかったら、よほど精進の良い人」と書いたように、精進が良いつもりの我々も、99年に大峰山から回った時は雨と日没で断念。3年後に出直した時も土砂降りだったが、駐車場から最高点の日出ヶ岳まで1時間で往復し、登頂は果たしたものの、カメラを出す気も起きなかった。この山の真髄は、大杉谷から宮川貯水池に下る探勝路にあると言うが、再々訪の機会はない。(写真ありません)

琵琶湖西岸から伊吹山 伊吹山頂の日本武尊像 山頂の茶店群 山頂のお花畑 ニッコウキスゲ シモツケソウ
イブキトラノオ ナデシコ 初めてウグイスを見た 恵那山登山道 恵那山から南アルプス 大峰山の霊場のある弥山

荒島岳  1523m  登頂 2000年5月

深田久弥が郷里の山の荒島岳をを百名山に入れたことを、身贔屓と批判する人がいるらしい。確かに地味な山で標高も高くないが、大野平野から見る荒島岳には渋い存在感があり、地元の人たちが敬して仰ぐ山に違いない。山頂から白山の眺めもなかなかのものである。山頂の無線局が目障りだったが、最近撤去されたそうだ。荒島岳の株はもっと上がって良い。

大山(弥山) 1711m  登頂 1998年5月

中国地方唯一の百名山。伯耆富士の名で知られるが、ミニ富士に見えるのは米子側の西面だけで、南北面は崩落の激しい長い稜線で、全く違った姿に見える。最高点の剣ヶ峰(1729m)も崩落の危険で立入禁止(百名山は手前の弥山でOK)。八合目から上は、天然記念物のダイセンキャラボクの群落の中を登るが、雨に濡れた木道で、何度も滑って転んだことしか憶えていない。(写真ありません)

荒島岳から白山の眺め シャクナゲ平から荒島岳 もう少しで荒島岳山頂 山頂から春の山を見る ニリンソウ? イワウチワ イワガガミ

四国の百名山
石鎚山 1982m 登頂 1998年5月

平安初期の日本霊異記に石鎚参りの話が出てくるという。我々が登った時も、ケーブルカーに白装束の一団が乗り込んで来た。日本の山岳信仰には民衆のリクリエーションの要素もあるようで、長い鎖場や馬の背の難所も、一種のアトラクションになっているのかもしれない。

剣山 1955m 登頂 1999年5月

山名に「剣」を冠する山は尖っている筈だが、四国の剣山は実に穏やかな山容で、剣を連想させるものは無い。それもその筈で、剣山の由来は、山頂に安徳天皇の宝剣を埋めたという伝説。当然ながら平家落人集落もあり、深田は美女伝説にまでふれている。山頂の広々とした草原でそんなことを考えていると、つい眠り込んでしまいそうな山である。

石鎚山 山頂に至る鎖場 最高点の天狗岳 石鎚山頂の祠 石鎚山頂 剣山頂で

九州の百名山
九重山 1787m  登頂 2001年4月

深田が「九重共和国」と呼んだように、同じような姿の鐘状火山が幾重にも折り重なる山群の総称。最高峰は山群名と同音異字の「久住山」で、ややこしい。この山も、土砂降りの中を足元ばかり見て登った憶えしかない。周辺には個性的な温泉もあるので、ゆっくり登り直したい山である。(補綴: 九重山は2010年に登り直した

祖母山 1756m 登頂 2001年5月

ただの老婆ではない。豊玉姫命、即ち、神武天皇の祖母なのだ。この辺りは日本神話の舞台で、天孫降臨の場所が実は祖母山だったという説もあるらしい。それはともかく、この登山もキツかった記憶しかない。登山口までが長いドライブで、雨の登山道は壁土をこねるような具合だった。連れ合いはボタンツツジがキレイだったと言うが、小生にはシャッターを押した記憶さえない。

阿蘇山 1592m 登頂 2001年4月

最短登山では、仙酔峡から標高1280mの火口東までロープウェイを使うが、行ってみると運休中で、仕方なく脇の大岩ゴロゴロの登山道を登った。中岳の稜線に出ると、立っていられないような強風。数メートル先しか見えない霧の中を這うように進みながら、夏目漱石の「二百十日」は阿蘇山で嵐に遭う話だったな、と思い出した。(補綴:阿蘇山は2010年に登りなおした

霧島山(韓国岳) 1700m 登頂 2001年5月

火山群の総称で、百名山では最高峰の韓国岳に登る。だが、深田の「霧島山」の項には、高千穂峰(1574m)のことしか書いてない。高千穂峰は特異な容姿で存在感が強いし、「天孫降臨」の神話の山でもある、日本が皇国史観で固まった一時期、高千穂峰の登山が許されなかった時代がある。坂本竜馬が新婚旅行でお竜さんと高千穂峰に登り、戯れに山頂の剣を引き抜いた話を、司馬遼太郎が書いている。日本の狂気の時代への慙愧に耐えぬ思いが感じられる一節である。(高千穂峰は2010年に登った

開聞岳 922m  登頂 2001年5月

薩摩半島の先端に突き出たミニ富士には愛嬌がある。1千mに届かない山が「岳」と呼ばれるのは、富士山に似ているからだろうか。山麓の亜熱帯の森から登り始めて、螺旋状の登山道をぐるりと360度回ると山頂に着くのも面白い。

秋の九重連山 祖母山のボタンツツジ 仏の根姿に凝せられる阿蘇連山だが、近づくと険しい 中岳火口
韓国岳の山頂火口 山頂から大浪池 霧の奥に高千穂峰 機上から開聞岳 ミニ富士姿 開聞岳山頂 山頂からの眺め
宮之浦岳 1935m 登頂 2000年4月

日本最南端の百名山は、屋久島の宮之浦岳。屋久杉見物と併せてゆっくり旅したいところだが、現役の身だったので、鹿児島経由で屋久島に飛び、淀川登山口から日帰りする登山ツアーに参加した。屋久島では年に400日雨が降ると言われるが、我々も例外には与らず、ジトジト雨の中を登った。雨は山頂でミゾレに変わり、岩峰を吹きわたる風の冷たさに、一刻の猶予もなく逃げ下った。

YS-11最後の職場 淀川登山口 標高1600mの花之江河は泥炭の湿原 山頂部は大石ゴロゴロ 千尋滝 露天風呂は干潮の時だけ