今回の21座を「北関東・上信越」で括るのはやや乱暴だが、要するに、首都圏に近い百名山である。近いから手軽かというと、行き難い山、登り難い山があるし、苦労の割に合わないと下馬評の山もある。

イヤなら行かなければ良いのだが、百名山完登の為に片づけ仕事で行く。百名山組が批判されるのはこの点らしい。ホンモノの山好きを自認する人達は、百名山など目もくれず、自分の好きな山にだけ行く。中には前人未到を目指す超人もいるし、同じ山に何百回も登って、風を聞き、草木に語りかけ、峰や谷と心を通ずる仙人のような人もいる。そんな人達が没個性の百名山組を冷笑するのは、わからないでもない。

他人が設けた課題をひたすら処理し、手を抜けるところは抜き、イヤでもガマンして片づける。百名山登山には、サラリーマンの仕事ぶりとひどく似たところがあるようだ。仕事でも余暇でももっと自由に羽ばたければ、と思わないこともない。だが、特別な能力や堅いココロザシを持たない凡人にとって、身の丈に合ったチャレンジを実行し、ささやかな達成感に満足することは、ある意味で賢明な生き方のような気もする。超人と仙人だけで世の中は回らない。大多数のフツーの小市民が幸福感を持てない社会がいかに不安定なものか、世界のあちこちで露呈した。日本も、頑張っても報われそうもないと思う人が増えたことは、良くない兆候である。


那須岳(三本槍岳)  標高: 1917m 登頂: 2000年7月

那須岳は、茶臼岳や三本槍岳を含む那須連山を指す。活火山の茶臼岳に圧倒的な存在感があるが、目的地は茶臼岳より標高が1m高い三本槍岳である。槍と言っても尖ってはいない。どこがピークかわからないのっぺりした草原である。その場所は、下野、磐城、岩代の三国境で、五月の節句に三藩の武士が集まって、境界を確かめあって槍を立てた行事が山名の謂れという。そんなことに興が湧かなければ、「何だ、これは」の山である。

会津駒ケ岳  標高: 2133m 登頂: 2004年9月

北日本には山上に池塘のある山が多いが、これ程豊かに水をたたえた山は珍しいのではないか。訪れた9月中旬、紅葉には少し早かったが、それにしても行き交う登山者もなく、本当に静かな山だった。すぐ隣の尾瀬でオーバーユースが問題になっているが、山を楽しみたい人はこちらに回ったら良いと思う。麓の桧枝岐の日帰り温泉も悪くない。

燧ケ岳 標高: 2356m 登頂: 1961年7月

若い頃に登った数少ない山の一つだが、その時の写真はない。上野から夜行電車で沼田に行き、連絡バスに乗り継ぐと、登山口の大清水で夜が明けた。休憩もせず尾瀬沼から燧のナデックボを登り、俎嵓から御池に下りた。半世紀近く前のことだが、細々とした情景や仲間のしぐさまで思い出す。人間の記憶は不思議なものである。(掲載の写真は1995年秋に撮ったもの。)  (燧ヶ岳には2011年に登り直した)

至仏山  標高: 2228m  登頂: 1967年10月

至仏山に登ったのも40年以上前のことだ。土曜日が隔週で休日になり、週末に遠出ができるようになった頃である。この時も金曜の夜行で出掛けて燧ケ岳に登り、裏燧から尾瀬ヶ原を縦断し、至仏山に登ってバスが通る戸倉まで歩き、日曜深夜に帰宅した。随分元気だったものだ。(写真は上記と同じ) (至仏山には2010年に登り直した)

奥白根山  標高: 2578m  登頂: 1997年5月

奥日光にアルプス並みの標高の山がある。里からはそれ程目立たないが、周辺の山に登ると特徴のある山頂が突き出て見える。菅沼の登山口から弥陀ヶ池まで入ると、目前に溶岩ドームがヌッと現れる。変化のある登山に疲れを忘れ、下りは金精峠経由の遠回りをした。アップダウンの連続と、春の冷雨のきついオマケがついた。

皇海山  標高: 2144m  登頂: 2004年7月

「すかいざん」と読む。登山口までの林道が頻繁に崩れ交通止になる。我々は3年目にやっと登れた。登山道も山頂も藪の中で、景観はゼロ。正直、くたびれもうけの山である。深田の「百名山」を読むと、この山をつまらなくしたのは、林道経由の簡易登山のせいとわかる。足尾側から昔の参詣路をたどれば、素晴らしい展望が得られる筈だが、今は踏み跡もさだかでなく、百名山組はくたびれもうけを承知で、裏口登山するしかない。

那須朝日岳から茶臼岳を望む 三本槍岳、のっぺりした山頂 会津駒ケ岳山頂付近。満々と水をたたえた池塘が散在する。 会津駒から燧ケ岳の双耳 会津駒の秋草
秋の尾瀬ヶ原から燧ケ岳 尾瀬ヶ原から至仏山 奥白根の山頂部 ここからも燧が見える 奥白根から男体山 皇海山頂の標識

男体山  標高: 2484m  登頂: 2000年10月

男体山は二荒山神社のご神体。中禅寺湖畔の神社で、略式のお祓いを受けてから入山する。南面の急斜面を登ると、紺碧の中禅寺湖が足下に広がりを増し、山頂に達すると、戦場ヶ原、湯ノ湖、太郎山、真名子山、女体山の全てが、360度の展望に収まる。キツかった登りを忘れ、「登って良かった」と思える山だが、下山して戦場ヶ原のバス停までが遠い。敗残兵のような後姿に同情して、見知らぬグループのバスが拾ってくれた。

武尊山  標高: 2158m  登頂: 2001年9月

山名から日本武尊伝説の山とわかるが、読み方は「ほだか」。昔からの南面の登山道は、参詣者を脅かす為にわざと厳しいルートに作られたという。少しでも楽をしたい百名山組は、奥利根の裏道から登る。ふり返ると、谷川岳の人食い岩壁や、航空母艦のような苗場山が望まれ、ここでは裏道もけっこう楽しい。

谷川岳  標高: 1963m  登頂: 1997年7月

標高2000mに満たない谷川岳が、世界最多の遭難者を出している。クライマーを食い続けるのは、垂直に切り立った南面の岩壁で、死者累計は800名に届く。岩登りは一種の格闘技で、百戦錬磨の超人でも死ぬ時は死ぬ。もちろんシロウト用の登山道があって、登りやすい百名山の一つと言われる。

百名山を始めたばかりの頃、生意気にも天神平スキー場からのコースでは手軽すぎると考え、マチガ沢横の西黒尾根を登った。真夏の真昼間、標高の低い山の裸尾根を登って、途中で水がなくなった時の辛さを思い知った。山頂の残雪の泥水が甘露水だった。

赤城山(黒檜山)  標高: 1828m  登頂: 1999年9月

登山口の大沼の周辺は、別荘だけでなく住民も多いらしく、役場や学校のスピーカーの声が、最高点の黒檜山頂まで届く。条件が良い日は、上信越の山々だけでなく、南アルプスから富士山まで望めるというが、我々が登った日は山頂が雲を被り、百名山消化だけで終わった。

男体山、半月山から 男体山頂から中禅寺湖と戦場ヶ原 戦場ヶ原の左奥に奥白根山 太郎山が立派に見える 戦場ヶ原から男体山 晩秋の男体山 武尊山頂の眺め。⑦日光連山、⑧谷川岳の岩壁の左奥に苗場山
谷川岳、マチガ沢を覗く 西黒尾根。山頂が近い 谷川岳山頂 山頂の残雪 谷川岳の山百合と蝶 万太郎山への稜線 赤城、大沼と黒檜山 黒檜山の蝶

苗場山  標高: 2145m 登頂: 2008年10月

苗場山は信越国境の最奥部にあって、里から見えない。(スキー場の「ナエバ」は、観光業者がはるか手前の「筍山」につけた芸名)。我々は秋山郷に前泊し、3合目まで車で入れる小赤沢からの最短ルートを登った。山頂は広々とした高層湿原で「神様の遊び場」と呼ばれる。昼寝でもしたくなる別天地だが、秋の日は短くノンビリしてはいられない。

巻機山  標高: 1967m  登頂: 2008年10月

「まきはた」の語感が良い。巻機には「山頂」がいくつもある。尾根を登り切った「御機屋」に、真新しい「山頂」の標識が立っている。美女が機織りをしたという伝説の場所だ。その右のなだらかなピークが最高点だが、標識はない。登山者が踏み荒らしたため、立入禁止にしたという。更に少し先に三角点があり、古びた標識が「山頂」と読める。まあ、どれが山頂か詮索するのは、百名山組だけだろうが。

越後駒ケ岳 標高: 2003m 登頂: 2004年9月

上越のスキー場から、八海山の肩越しに白い頭が見える。登山口までの林道は、午前午後別の片道通行の難所である。登山道もアップダウンが延々と続く長丁場で、秋雨の中を黙々と歩いただけで、登山の記憶は何もない。

平ヶ岳  標高: 2141m  登頂: 2004年9月

平ヶ岳は上越の山奥深く潜む。深田久弥は未踏のヤブをこぎ、3日がかりで登った。その後登山道は出来たが、標高差1300m、往復20kmの行程は、弱足では日帰りの限界を超える。だが、ズルの手段が無いわけでない。山腹の私有地に地主専用の林道があり、地主の車に便乗すれば行程は半分以下になる。

前日の駒ケ岳に続いて、ズブぬれの登山になった。山頂で深田の案内をしたという地元の長老が、興味深い話を聞かせてくれたが、秋の冷雨に体温を奪われ、感慨に浸るどころではなかった。

雨飾山  標高: 1963m  登頂: 2006年10月

山名の風情も良いが、姿も良い。3度目に登頂できた深田は、「ついに私は久恋の頂に立った」と書いた。我々は5月の連休に、怖いもの知らずにも雪の急斜面を軽装で直登した。山頂の近くまで登れたが、重装備の登山者が引き返すのを見て、我々も断念した。2年半後、燃えるような秋錦の中を登り、深田の心境を少しだけ察した。

 
苗場中腹の右に鳥甲山 山頂直下の高層湿原 石の神様が並ぶ 苗場山の麓に秋山郷 巻機山から上越の山々を遠望 巻機から魚沼平野 ヌクビ沢は通行禁止
越後駒ケ岳の山頂 平ヶ岳、玉子岩 平ヶ岳の山頂部 山頂直下の池塘 雨飾山を北から望む 南麓から雨飾山 シンボルのふとん菱 雨飾山頂

火打山  標高: 2462m  登頂: 2003年11月

派手な姿の妙高山が前に立っているので、火打山は目を惹かない。だが、日本にはこの山の北に、この山よりも高い山はない。笹ヶ峰キャンプ場から登り始め、高谷池から天狗ノ庭に出ると、どっしりと貫禄のある姿が現れる。妙高とペアで登るには、麓の二つの小屋のどちらかに泊る。夫々に趣きがあって、我々が泊った黒沢池ヒュッテでは、朝食に焼きたてのクレープが出た。

妙高山  標高: 2454m  登頂: 2003年11月

秀麗な姿は「越後富士」と呼ばれるが、麓から外輪山の直下まで、スキー場のゲレンデがべったりと貼り付いている。、痛々しく見えるが、ここは日本のスキー発祥の地。越後富士にもガマンしてもらうしかない。一般に秀麗な山ほど登山はキツイ。妙高も例外でなく、外輪山をやっと乗り越えると、目の前に山頂の火口丘がモッコリと立ちはだかっていて、少々ウンザリする。

高妻山  標高: 2353m  登頂: 1999年10月

戸隠牧場からの標高差1200mは、日帰り登山としては標準的だが、長い尾根歩きの後の頂上直下の連続急登にバテた。同じ道を下ったが、長い鎖場で渋滞待ちの行列にひっかり、牧場に戻った時は真っ暗闇だった。懐中電灯の電池が切れ、星明かりを頼りに車を見つけた時は、本当にホッとした。

四阿山  標高: 2354m  登頂: 2000年11月

「あずまやさん」と読む。草津側にロープウェイが架かっているが、営業期間が短い。我々は晩秋に菅平から登った。貸切状態の旅館が気の毒だったが、霜柱を踏みながらの登りは快適で、澄みきった空気が北アルプスを眼の前まで引き寄せてくれた。

草津白根山  標高: 2165m  登頂: 1999年11月

志賀草津道路の駐車場から、手軽に行ける山岳展望台である、ガイドブックによっては、御釜の北のピークを指すものもあるが、最高点は反対方向で、足下に万座温泉が見える本白根山である。ただし、山頂は火山ガスのため立入禁止。

浅間山(黒斑山)  標高: 2404m  登頂: 1997年11月

高校時代、長野市北部の校舎から、菅平の肩先に浅間の噴煙が見えた。ビックリするほど高くまで噴煙が上がることもあり、そんな時は授業も上の空だった。火山活動のため山頂部の登山が制限されることが多く、百名山では外輪山の黒斑山で代替OKになっている。駐車場から1時間足らずで、圧倒的迫力の浅間本体を目前に眺められるのも悪くない。(浅間山は2012年に登り直した。)

火打山。天狗ノ庭から 火打山から妙高山 左下に黒沢池ヒュッテ 山頂標識は一寸場違い 高妻山、登山道から 高妻山頂 高妻山頂から後立山 高妻から妙高山
四阿山からの眺め。⑨菅平スキー場と穂高・槍 ⑩根子岳と白馬三山、⑪高妻山、⑫富士山 草津白根から志賀高原 黒斑山と浅間山 浅間の火口 渋峠から冬の浅間山