桜を撮るには①機材②技術③センス④根性の四拍子が揃わないとダメ。四拍子要るのは桜の写真に限らないが、桜は特に厳しい。その上、日本人特有の桜への感情移入もかかわってくる。日本人にとって桜は「バラ科落葉広葉樹の花」を超えた民族の心を映す鏡のようなもので、桜の写真には「日本」が写り込むことを期待されてしまうのだ。

①機材について:歌は「霞みか雲か‥」でも良いが、写真はハッキリ・ クッキリが身上。微小な花ビラ1枚1枚まで写って初めて心が揺さぶられる。それには35㎜やデジカメでは役足らずで、プロ用のフィルムカメラが要る。ちゃんとしたレンズで大きなフィルムに撮り、大判印画紙に焼き付けて額装し、やっと「桜の写真」になる。そんな撮影機材を持たない小生は、そもそも入口で失格だ。

②技術と③センスはさておき、④根性について:写真を撮るための必要条件は「その時・その場」に居ることだが、桜が絵になるのは、パッと咲いてパッと散るまでのせいぜい3日間。万難を排して「その時・その場」に居ても、天候や光線条件が整わなければカラブリになる。「何が何でもあの桜を!」の執念が必要条件に加わるのだ。「ついで撮り」が流儀の小生は、そんな境地から最も遠い。

四拍子欠落を自覚する上に、日本人が「桜」に投影したがる「心情」にも、いささか違和感を覚える。西行法師の「桜の下で死にたい」は売れっ子歌よみの大見得、本居宣長の「桜花=大和心」も国学者の我田引水・自派PRのキャッチコピーと映る。そんな職業文人の桜をネタにした芸が、昭和の戦争の時代に「桜=死=大和心」と短絡し、若い命を死に駆り立てるメッセージに使われた。

その究極が特攻兵器の「桜花」(おうか)。1200㎏爆弾に木板の翼と操縦席を付け、爆撃機の胴下から固体ロケットで発進させ、搭乗員に敵艦船に体当たりすることを求めた。戦争末期に実戦配備され、55機がパイロットと共に散り、母機の一式陸攻(搭乗員6名)もほぼ全機が撃墜されたという。若い命を浪費した「桜花」だが、その戦果は敵駆逐艦1隻撃沈のみで、敵方に「Baka Bomb」(バカ爆弾)と蔑称されたことも、慙愧の念に耐えない。

「桜」に仮託した狂気に、当時の日本人の大多数が巻き込まれ、結果的に加担した。せっぱ詰まると「右へならへ」で思考停止するのが、我が民族の特性らしい。せっぱ詰まる時代が再来せぬとも限らぬ。桜の季節に以って瞑すべし。


池田五月山・有馬温泉の桜  (撮影: 1998年春)
1997年6月から2年間、大阪に単身赴任した。関西経験は修学旅行と万博の外人客アテンドだけだったので、週末は観光名所を歩き回った。以下4題はその折の「ついで撮り」である。

五月山公園は阪急池田駅から徒歩15分、全山が桜で覆われる。

桜は成長が早く手がかからないため、公園の植樹に広く使われるようになったという。

五月山から宝塚経由で六甲山へ。有馬温泉のバス停からロープウェイ駅への道すがら、善福寺の境内で見事なしだれ桜に出会った。


大阪造幣局 通り抜け (撮影: 1998年春)
造幣局は大蔵省の一部局で業務は硬貨の鋳造。本来厳重に警戒されるべき施設だが、桜の名所として期間限定で一般公開される。元は藤堂家の武家屋敷で、明治政府が桜のコレクション込みで接収したもの。当時の造幣局長が「役人だけで花見をするな」と公開を命じたという。明治の役人の心意気、平成の官僚の肝にも響いて欲しい。

所内の通路を一方通行で進むため、「通り抜け」と呼ばれる。人気スポットで入場待ちの長い行列ができ、立ち止まり禁止。もちろん樹下の酒盛りなど論外。

20種400本の中には非常に珍しい品種もあるという。


京都の桜 (撮影 1999年春)
嵐山渡月橋から。
嵐山公園
嵐山妙見堂から。水面は桂川。
天龍寺の桜
天龍寺書院の達磨絵を覗き込む。
桜のトンネルを行く嵐山電鉄。
京都四条木屋町通りの桜

平野神社の桜

八坂神社の枝垂れ桜。
どこの桜か思い出せない。

吉野 (撮影:1998年春)
関西の観光地は大阪から1時間以内に行けるところが多いが、吉野へはたっぷり2時間かかる。電車が山あいを縫って高度を上げ、谷のどんづまりの終点が吉野駅で、ずいぶん遠くまで来た気分になる。そんな山奥の吉野に、太閤秀吉が5千人を引き連れて花見に繰り込んだという。「一人バブル」がどんな様子だったか、歴史オンチでも興味が湧く。

秀吉の時代より更に250年前、この山奥に日本の朝廷がおかれた。南北朝時代に(語弊はあるが)京を逃れて吉野に籠った亡命政権の南朝である。楠正成親子の講談も手伝って庶民のあいだに「南朝びいき」が根強かったが、「万世一系」を脅かす説としてタブーになった時代があったという。それが「桜」に特別な意味を持たせた時代と重なることは、歴史オンチでも想像がつく。

近鉄吉野駅は既に「下の千本」のただ中。

坂を1時間ほど登って「中の千本」へ。下の千本と金剛山寺を俯瞰する絶景ポイント。

吉野の桜は山桜。花より葉が先に出るので、純粋な「桜色」(ピンク)にはならない。

吉野らしい点景だが、右の桜はソメイヨシノ?
金剛山寺で護摩行が行われていた。
桜は人工的な景観なので、建物や人物を入れた方が撮りやすいと思う。
散り際に風情のある花は他に思い当たらない。その「風情」が「無常観」「いさぎよさ」「死へのいざない」の源泉らしい。
吉野山桜のクローズアップ。
吉野の最奥にある「西行庵」(違うかもしれない)。

伊豆 河津桜 (撮影:2008年2月)
泊りがけで桜を撮りに出かけたりしない小生だが、写真仲間の撮影会ともなれば重い腰が上がる。温暖な伊豆とは言え、2月にフツウの桜は咲かないが、早咲きの河津桜は1月下旬から花を付け、開花期間も長い。
桜と菜の花が川面に姿を落とす。
桜にはメジロは良く似合う。
シラサギも仲間入り。
河津桜の原木。民家の庭にあり、樹齢50年という。
同時期に行われる伊豆稲取の「つるし雛」まつり。

多摩森林科学園の桜 (撮影: 2004年春)
高尾の「多摩森林科学園」は独立行政法人森林総合研究所、つまり農林水産省の外郭団体の施設である。同所のホームページによれば、戦前は宮内省帝室林野管理局林業試験場、つまり御料林の研究所だった。高尾街道を挟んで向かい側に昭和天皇、大正天皇と両皇后の陵墓があり、この辺一帯が皇室財産だったと分かる。一般公開は1992年以降だが、手間取ったのに何か事情があったのだろうか。詮索はともかく、広い園内に咲き競う多種多様な桜林は見事。
(説明なし)
(説明なし)


拙宅周辺の桜
新興住宅街や公園に植えられた桜は殆どが「ソメイヨシノ」。「ヨシノ」と言っても吉野の山桜とは無関係で、江戸時代に染井村(現駒込)の植木屋がオオシマザクラとエドヒガンサクラを交配、新品種に勝手に「ヨシノ」と偽ブランドを付けたもの。後年混乱を避けるため「ソメイヨシノ」になった。山桜は葉が出て花が咲くが、ソメイヨシノは花が散り終るまで葉が出ない。その為咲きっぷりがスッキリして散り際の「いさぎよさ」も強調される。そんな特性が日本人の桜への「感情移入」を増幅させたのかもしれない。

「ソメイヨシノ」は一代雑種で「さくらんぼ」が出来ない。実生で増やせないので、接ぎ木して移植する。従って我々が身近に見るソメイヨシノは「クローン桜」で、一斉に咲いて一斉に散る没個性はDNAコピーのなせる業か。

政治学者ブレジンスキーは、ビジネスでの活躍は華々しいが、政治外交で独自行動をとれない日本を「ひよわな花」と呼んだ。氏が「ソメイヨシノ」を意識したかどうかは知らぬが、戦後日本が「大和」と「米国」を交配した一代雑種と思えないこともない。日本がソメイヨシノから進化する道はあるのだろうか。

北柏の吉田家門前の桜。江戸時代からの旧家で、屋敷は柏市に寄贈され、屋敷内も無料で見学出来る。
住宅団地の公園の桜。
近くの住宅街の一本桜。
手賀沼畔の桜並木。
柏市あけぼの山。「さくらまつり」で平和な時代を謳歌。