「バヌアツ発見」余話        (2006/06/15)(2011/1/4改編)

本年3月18日号「白人植民の歴史」で、キロスによる「バヌアツ発見」400年祭について触れた。この式典は、上陸地のサント島ビッグベイで、上陸日の5月14日に、賑やかに且つしめやかに行われたようである。

当日のバヌアツ大統領の祝辞の最終部分に、「キロス探検隊とビッグベイ住民との間で不幸な出来事があった。しかしキリスト教徒であるバヌアツ人は(これを許し)、400年後のこの記念日を機に、スペイン並びにヨーロッパ人との友好関係が新たに発展することを、心から望むものである」という、元首の祝辞としてはやや異例とも思える一節があった。これに対してEUの代表が「その節は誠に遺憾であった。心から陳謝する」と答える一幕があったらしい。

小生は土地侵略のことを指すのだろうくらいに思っていたが、実際はもう少し血なまぐさいことがあったようだ。バヌアツで文字が使われ始めたのは、19世紀半ばにキリスト教の布教が進んで後のことだから、それ以前のバヌアツの出来事は、ヨーロッパ側に残された記録に頼る他ない。それらには、「バヌアツ発見」時の蛮行ぶりが、半ば自慢たらしく描かれているようだ。

蛮行を行ったのは、野蛮な原住民ではなく、文明国から渡来したヨーロッパ人の側だったようだ。原住民が海岸に線を引き、そこから先への立入りを拒否したのに対し、ヨーロッパ人側は発砲して現地人を殺害、見せしめに首を刎ねて、死体を木の枝から逆さ吊りした絵が残されている(挿絵参照)。その他にも現地人の殺害は「約2ダース以上に及んだ」と記録されているという。もちろんヨーロッパ人側には被害者は出ていない。

「文明人」が「野蛮人」を征伐することは、大戦前の日本人も当然のように行っていたし、30年前のベトナム、現在のパレスチナやイラクで行われていることも、強力な武器を持った「文明人」による「野蛮人」征伐と、何ら変りがないと言えるのではないだろうか。

バヌアツ人は顔つきや体格もゴツイし、ペニスケース一丁の姿は、まさに「野蛮人」そのものに見える。40年前まで食人習慣があったと聞けば、ますますその感を強くするかもしれない。だが、付き合ってみれば、彼等は礼節を重んじ、対人関係の細やかな心くばりや、客人を大切にする心意気の面では、すれっからの文明人の表面的な対人関係よりも、はるかに人間的に温かいことが良くわかる。「文明人」の勝手な思い上がりに対して、彼等がどれだけ傷ついてきたか、「文明人」側が謙虚に振りかえるべき時である。さもなければ、彼等の叛乱の火の手は、数百年前には野蛮の地でしかなかった欧州や北米大陸へ、更にはその同盟国へと、飛び火してゆくかもしれない。


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