夏山シーズンの出鼻をくじくように、北海道トムラウシの登山ツァーで中高年の大量遭難が起きた。我々の百名山行を気遣って下さった方もおられ恐縮しているが、お陰様で8月24日に100座目の奥穂高岳を登頂、無事に百名山完登を果たした。ご声援に心から感謝申し上げます。今年の登山の様子は来月号でレポートしたい。

トムラウシ遭難で思ったことがある。登山は険阻な山道を歩く危険な遊びゆえ、事故はつきものと思った方がよい。要は、避けられる事故を起こさないことである。(遭難者の8割が中高年と報道されるが、山で行き交う登山者の8割以上が中高年だから計算は合う。若い人の事故には、高尾山でハイヒールの足を挫いた娘さんも含まれるのだろう。)

今回のトムラウシ遭難は雪崩や滑落の結果ではない。夏山の登山道でメンバーの半分が行き倒れたのだ。荒天が原因と聞くが、登山で天候急変は「想定内」の筈。これは偶発的な「事故」ではなく、何者かの重大過失によって引き起こされた「事件」と言うべきだろう。

彼等のツァーの行程を知り、自分にはムリだと思った。北海道の屋根、大雪山の最深部の稜線44kmを避難小屋に2泊して踏破するプランである。1日8~10時間の行動は頑張れる範囲内だが、問題は避難小屋2泊だ。避難小屋は文字通りの緊急避難用施設で、物置小屋のようなものと思えば良い。登山者は寝袋と3日分の食糧を担いで歩く。冷雨に濡れても火の気はなく、食糧もレトルト飯がせいぜい。屈強な山男ならばともかく、代謝能力の落ちたアラコキの身では、疲労に加え睡眠不足とカロリー不足で体力消耗は限界に達し、彼岸行きツァーになっても不思議はない。

ガイドの判断を云々する以前に、このツァーを企画し、中高年を集客して催行した会社に、責任の大半があるように思う。「大半」と書いたのは、客の責任もゼロではないという意味だ。ツァーに乗れば旅の手配の手間は省けるが、登山に必要な体力や装備が軽減されるわけではない。自分の力で歩き通せるコースかどうか、厳しく判断してから参加するのが客の責任である。

中高年百名山組の中には、自力ではムリだがツアーなら大丈夫、と思う人がいる。権威らしきものに無防備に身を委ねる日本人の性癖が、こんなところにも表れるのだろうか。ツァー会社の中にはこうした客層をビジネスチャンスと捉え、権威らしき体裁を整え、無造作に催行するところがあるようだ。(信頼のおけるツァー会社もあるが。)

重大事故は、悪条件と悪運が重ならなければ滅多に起きない。だが基本を怠ると、いつか必ず起きる。これは長年のサラリーマン生活で学んだ知恵である。

関東甲信地図

美ヶ原  標高: 2034m 登頂: 1953年5月

展望の優れた山は、逆に遠くからよく見える山でもある。無線中継所にはもってこいで、美ヶ原山頂の王ヶ頭には昔から無線塔が林立していた。小生は小学6年生の時美ヶ原に登った。目的は無線局の見学で、それが契機でラジオ少年になった(無線技師になる夢は果たせなかったが)。同時にこれが小生の百名山登山の第1号でもあった。(深田久弥が「日本百名山」を出したのは、この11年後だが。)

百名山には、山頂近くまで車やケーブルで行ける山がある。美ヶ原は、旅館の送迎バスを降りて裏庭に回るとそこが山頂だ。真冬でも雪上車の送迎がある。楽チン百名山のトップの座は間違いない。(一般駐車場からは、少し登ることになるが)。

霧ヶ峰(車山)  標高: 1925m 登頂: 1959年5月

駐車場から山頂まで歩いて30分。歩かずにリフトでも行ける。「登山」の気分は出ないが、深田は「歌でもうたいながら気ままに歩く。気持ちのいい場所があれば寝ころんで雲を眺め」と書いている。厳しい山だけが山ではない。楽しい山、遊べる山も加えたところに「深田百名山」の懐の深さがある。(最近再訪したところ、無粋な砂利道の柵の外は「私有地につき立入禁止」になっていて、「寝ころんで雲を眺め」ることはかなわなかった。)

蓼科山   標高: 2530m 登頂: 2000年5月

尖がった峰々が背比べをする八ヶ岳の北端に、ひょっこりと蓼科山の坊主頭がある。「諏訪富士」の別名もあるが、端正というより愛嬌を感じさせる。大河原峠から登れば1時間少々で頂上に達するが、我々は「女神茶屋」の地名に惹かれ、南麓から登った。観光ついでにスニーカーで登る若者もいたが、大岩ゴロゴロの急斜面はなめてかかると危ない。山頂近くに針葉樹の世代交代が帯状に現れる「縞枯れ」が見られる。山頂の溶岩堆積も意外な光景で、地理的にも興味を惹くものが多い。

厳冬の美ヶ原から浅間 北ア、穂高、槍、常念 御嶽山 乗鞍岳 信越国境の山々 松本平と北アルプス 地吹雪に八ヶ岳と富士 穂高から白馬まで一望
王ヶ頭の無線塔群 春の美ヶ原から南ア 美ヶ原から木曽御嶽 八島湿原から車山 赤岳から蓼科山の頭 冬の蓼科山 山頂部の縞枯れ現象 蓼科山頂から北八ヶ岳

八ヶ岳(赤岳)   標高: 2899m  登頂: 2008年10月

八ヶ岳は富士山よりも巨大な火山だったが、大爆発で山頂部が吹き飛び現在の形になった。爆裂口を登る登山道は急な鉄ハシゴの連続で、一区切り毎に視界は広がるが、薄い空気に呼吸が乱れる。入門コースと書くガイドブックもあるが、3千m級の山は甘くない。

八ヶ岳が我々の百名山の最終段階まで残ったのは、若い頃に登山に不熱心だった証拠だ。八ヶ岳には個性的な山小屋がたくさんあり、縦走が楽しいという。片付け仕事の百名山を終えたら、そんな味わいのある山旅をしてみたい。

御嶽山  標高: 3067m  登頂: 2002年10月

御嶽は古くから信仰の山で、講による登山が盛んだった。言い方は悪いが、団体客を呼ぶには集客力の道具立てが要る。3千mを超える堂々たる山容はそれ自体が広告塔だが、長く苦しい参詣道を六根清浄を唱えて登り切ると、山頂に「あの世」の景観がある。霧に包まれれば、仏衆の来迎にも出会える(ブロッケン現象)。無事に登山を終え、木曽の宿場での精進落しも楽しみだったことだろう。

赤岳山頂直下から富士 北アルプスの峰々 阿弥陀岳の先に御嶽 地蔵の頭から赤岳山頂 霜柱を踏んで登る 秋の色 横岳と大同心 行者小屋から赤岳
田の原登山口から御嶽 御嶽らしい登山者 山頂直下の噴煙 山頂の仏像群 御嶽山頂 山頂の社殿 乗鞍の先に穂高と槍 地獄まで逆落とし

富士山   標高: 3776m 登頂: 1996年8月

昔から「一度も登らぬバカ、二度登るバカ」と言う。日本一のお山に一度は登るべきだが、一度でもうたくさん、という意味だろう。山頂まで最短の富士宮口でも、登るべき標高差は1400m。火山灰の急斜面に加え酸素は平地の7割弱で、登山道の脇にはマグロがゴロゴロ転がっている。動けなくなった登山者には、なぜか若者が多い。彼等の体力・根性云々よりも、若者ゆえにペース配分を怠った結果だろう。

我々は須走口から登った。登山者が比較的少なくマイペースの登山が出来る(8合目で河口湖口の雑踏と合流するが)。夕方の登山で影富士が見えるのはこの登山口だけで、帰りに砂走りを一気に駆け下るのも楽しい。(砂走りの写真は1995年10月) (富士山には2009年(富士山特集記事)2014年に登り直した。)

金峰山  標高: 2599m  登頂: 2001年9月

甲州の金峰と聞くと、つい武田の埋蔵金を考えてしまうが、「金峰」は修験道の山の通称。今は大弛峠(2360m)まで車が入り、平坦な登山道を2時間ほど歩くと、シンボルの五丈岩のある山頂に着く。アルプス並みの標高を持つ立派な山容の筈で、甲府盆地を通過する度に探すのだが、この山の辺りにはいつも霞がかかっていて、いまだに同定できないでいる。

瑞牆山  標高: 2230m 登頂: 2001年11月

「みずがきやま」と読む。深田は、この山名の詮索に紙面の半分を費やしている。結論はないのだが、こんな詮索も山の楽しみ方の一つと教えてくれる。山頂部に花崗岩の岩塔がかたち良く並び、山腹の松の緑と溶けあった絵のような姿も典雅な名前に負けない。

 
須走口六合目の影富士 7合目。遠く東京の夜景 9合目でご来光 山頂の久須志神社 頂上火口の深さは300m 剣ヶ峰山頂のレーダー 日本の最高点 砂走りを一気に下る
金峰山頂の五丈岩 金峰山から見た瑞牆山 瑞牆山から富士山 瑞牆山頂から八ヶ岳 南面の眺め 金峰の五丈岩が見える 下山道から瑞牆山

大菩薩嶺   標高: 2057m  登頂: 1997年5月

中里介山の「大菩薩峠」の舞台だが、この小説は読んだことがない。大正2年から昭和16年まで新聞に連載された超長編小説で、未完のまま終わったと聞く。介山に大河小説を書き続けさせたエネルギー源が、大菩薩嶺から眺める富士の姿にあったことは間違いなさそうだ。

甲武信岳  標高: 2475m  登頂: 1999年10月

甲州、武州、信州の三州に跨るので、その頭文字をとって甲武信と名付けられたという。分かりやすい命名だが、理におちて味わいに欠ける気がしないこともない。登った時は気づかなかったが、深田の百名山を読み直し、この山の頂には、祠も三角点もないことを知った。百名山にしては異例である。

雲取山  標高: 2017m  登頂: 1999年10月

東京都にも2千mを超える山がある。「雲取」という名前もなかなか魅力的だ。相棒に引きずられ、ツァー登山に初めて参加したのがこの山だった。30年前の山小屋泊のおぞましい記憶から、この歳になってあの再体験は御免蒙りたいと思ったが、雲取山荘はその日が改築営業再開の初日で、木の香漂う部屋、真新しい羽根フトンと、皇太子の登山を機に新設されたというバイオトイレが、古い山小屋の固定概念を覆してくれた。

両神山  標高: 1723m  登頂: 2003年11月

車で飯能から秩父に抜ける峠にさしかかると、峰々の先に神々しい山が肩から上を顕していた。それがこれから登る両神山とは知らず、写真を撮りそこねた。最短登山道の白井差口が地主と国土省のトラブルで閉鎖され、昔の参詣道だった日向大谷からの登山が通常のルートに戻った。登山道で誰にも会わず、奥武蔵の晩秋をじっくりと味わった。

丹沢山(蛭ヶ岳)  標高: 1673m  登頂: 1967年5月

本格的な山登りをする人達は、トレーニングで丹沢に通うと聞く。非本格派の小生は若い頃に一度登ったきりで懲りてしまった。小田急の最終電車を大秦野で降り、大倉の「バカ尾根」を徹夜で登った。最初のピークの塔ノ岳まで標高差が1200mあり、塔ノ岳から丹沢山、蛭ヶ岳とピークをたどって道志のバス停までの全行程は、延々22kmに及ぶ。フラフラになって草の急斜面を滑落して崖の縁で危うく止まり、新婚2カ月の妻をヒヤリとさせたことも思い出した。

筑波山  標高: 876m  登頂: 1997年1月

拙宅裏の利根川の堤防から筑波山が良く見える。1千mに届かないこの山を、百名山に加えた深田を冷笑する人もいるが、関東平野にすっくと立つ姿はなかなか立派である。地図を比べれば分かるが、北アルプスの涸沢から奥穂高岳山頂までと、筑波山の麓から山頂までの高さはあまり違わない。

筑波山には男体山と女体山の二つのピークがある。女体山の方が男体山よりも高くて堂々としているのは、日光の男体山・女体山の関係と同じだ。日本古来の男女感を表しているのだろうか。 (2011年にもレポートあがります。)

天城山 (万三郎岳)  標高: 1406m  登頂: 1999年5月

川端康成の小説よりも、石川さゆりの歌の方が先に頭に浮かぶ。「天城山」という単独峰はなく、伊豆半島中部を東西に横切る天城山脈の最高峰、万三郎岳が、百名山の目的地である。伊東からバスに乗り、終点のゴルフ場からなだらかな稜線を歩く。富士山と伊豆大島の眺めが売り物だが、春霞で何も見えなかった。万三郎から更に縦走を続け、天城峠に着く頃には日が暮れていた。ちょうど来たバスに飛び乗り、温泉につかることもなく新幹線で帰宅した。

大菩薩嶺から富士山 大菩薩嶺の山頂 甲武信の千曲川源流 甲武信小屋 甲武信から富士山 木賊山から甲武信 雲取山頂から富士 新装なった雲取山荘
両神の登山道で 両神山頂から 丹沢蛭ヶ岳から富士山 筑波山頂からツツジヶ丘 女体山頂から関東平野 女体山から男体山 筑波と言えばガマ 天城山