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秋のスペインを訪ねて 旅行した時期: 2007年11月
アップロード:  2008/1/1

「陽の沈むことのない帝国」と言われたスペインの栄華は、大英帝国の最盛期より300年以上も先行する。その時代の栄華の基となった通商・海運の正体は多分に「海賊的侵略」で、それには宗教も強く噛んでいた。中南米でインカを滅ぼした侵略の歴史を、現代の倫理尺度で批判しても無意味だが、その結果は、現在のスペインの重要産業の一つ、観光資源となっている。

地図を眺めながら、スペインの栄枯盛衰を考えてみる。ローマ帝国→ゲルマン(蛮族)支配→イスラム支配→神聖ローマ帝国→近代化に立ち遅れ→20世紀になってからのファシズム、王制復古、激しい内戦。スペインの辿った歴史の激しさは、この国が地中海のこの場所にあることに、多分に起因しているような気もする。

「疲弊した老大国」という先入観があったが、旅で見たスペインは、予想より遥かに強い経済的活力を感じさせた。EU加盟のメリットが大きいようだ。泥棒天国という悪口のとおり、旅仲間にもスリに狙われた人が複数いたが、そんな些事をもってスペインを貶めることはない。政情不安定と言われながらも、伝統と文化をしっかり守りつつ、国際化を利して活力ある国を作る努力は、毎度「外圧」に右往左往するばかりの日本も、大いに見習うべきであろう。

以下は歴史音痴を自認する小生の独断・偏見レポートである。順番は今回の旅程による。


マドリッド

マドリッドがスペインの中心になったのは16世紀半ばである。既に大航海時代の栄華を食いつぶす時代に入っていたためか、古い歴史を持つ他の都市に比べると、金銀財宝の臭いは薄いようだ。マドリッドの町を見下ろす銅像も、マドリッドに権勢が移って以降の人たちである。

@王宮前広場のフィリペ四世像(在位1621〜1665) 在位中にポルトガルとオランダが独立、大帝国の凋落が始まった Aスペインのへそ(道路原点)があるプエルタ・デル・ソル広場のカルロス三世像(在位1759〜1788) Bイサベル二世広場の同女王像(在位1833〜1873)、幼少で王位につき、親政は1743年から。クーデター続発の時代で、亡命の経験もある。 Cプラド美術館前のゴヤ像、近代絵画の始祖的な画家(1828没) Dスペイン広場のドン・キホーテとサンチョパンサ。後の石像は作者セルバンテス(1616年没)

トレド

マドリッドから南へ1時間。トレドの歴史はは560年の西ゴート王国の都に始まり、8世紀から15世紀末までイスラム時代を経験し、それに続くカトリック時代にスペイン帝国の絶頂期を迎えた。従って、教会には眼を奪うような「金銀財宝」が山をなす。

@川に囲まれた丘に残る中世の町、トレド AB中南米から集まった(略奪した)黄金に飾られた大聖堂の内部 C聖書まで金ピカ D教会外壁の飾りものになった拷問器具(異教徒狩りに使われた)

セゴビア

マドリッドから北西に1時間。塩野七生の著書でローマ時代の「公共事業」のレベルの高さを知ったが、現物を見て納得。ちなみに、この水道橋は2000年後の今も現役 (水道溝から水道管敷設に変わったが)。

@Aローマ時代の水道橋。日本の弥生時代にこんな技術があった B13世紀のアルカサル(城)内部 C城下の旧ユダヤ人街が夕日に燃える Dデイズニー映画「白雪姫」の城のモデルという。

セビーリァ

鉄道に乗りたいという小生の我侭を旅程にいれてもらった。マドリッド〜セビーリャ間の新幹線は550kmを2時間半で走る。東京〜大阪間「のぞみ」と同じだが、車両のゆとりと乗り心地(揺れ具合)はスペイン側に軍配が上がる。

セビーリャは内陸にあるが、大型船が遡行する海洋都市である。8世紀から500年栄えたイスラム文化は、海を越えて北アフリカから来た。13世紀のレコンキスタでキリスト教が取って代わってからは、アメリカ大陸との交易(収奪)の拠点として栄えた。

@セヴィリア駅の新幹線ホーム Aオペラ「カルメン」の舞台となった旧タバコ工場 BCスペイン広場は1929年の博覧会場 D同会場のタイル画の一つ、コロンブス帰国謁見の場。連れ帰った先住民も「みやげもの」 
E世界で三番目の規模を誇る大聖堂 FG大聖堂内部、モスクの雰囲気が残る。Hコロンブスの墓、担ぐのは近在の国王たち Iヒラルダの塔はモスク尖塔をキリスト教の鐘楼に改造。眼下の丸い競技場は闘牛場

ミハス、ロンダ

地中海に面したスペイン最南部は、英国などからの避寒客をあて込んだリゾート開発が盛ん。ゴルフ場付き別荘やマンションの建設ラッシュである。周辺の町も歴史遺産を活かして観光客を呼ぶ。

@A「地中海の白い村」ミハス。白壁は太陽熱をはね返す知恵。Bロンダは近代闘牛発祥の地。1785年建造のスペイン最古の闘牛場。 C赤ケープを考案し、近代闘牛のスタイルを作ったフランシスコ・ロメロ D闘牛場のアリーナ Eロンダのヌエボ(新)橋は18世紀に建造 E下流のビエホ橋は1000年前のイスラム時代のもの G崖の下は秋の景色 H旧街道の関所跡(?) I山の上までオリーブ畑が続く  

コルドバ

後ウマイヤ朝の都として人口100万を擁したコルドバ。13世紀にキリスト教徒が奪還し、イスラムの都を急いでキリスト教風に改造。相容れぬ筈の二大宗教が奇妙に混在した姿で残っている。

@これもローマ時代の橋。2000年後もビクともせず、数年前まで車が走っていた由 A城の土壁に貝の化石 Bユーモラスな雨水の吐出し口 CDメスキータ。25000人収容の大モスク(8世紀建造)をキリスト教大聖堂に改造

グラナダ

1492年(コロンブスのアメリカ「発見」と同年)、スペインで最後まで残ったイスラム王朝がグラナダで終焉。その最後の輝きがアルハンブラ宮殿として残された。タジ・マハールと並び称される美の殿堂だが、栄華の跡の空しさも漂う。

@見学コースの最初は16世紀に増築されたカルロス五世宮殿。アルハンブラの美を乱す邪魔者に見える A王の礼拝所から城下を見下ろす Bコマレス宮は謁見に訪れた賓客の度肝を抜いて心理的圧力をかける仕掛け CDE細部にまで細かい彫刻がなされている FGH水を巧みに使った演出が印象的 Iアルバイシンの丘からアルハンブラを遠望。遠くに雪を冠したシエラ・ネバダ山脈が見える。
グラナダの芸人

東ヨーロッパから流入した「ジプシー」は犯罪集団のように嫌われるが、彼等が持ち込んだ異郷の芸がスペインの重要な観光資源になっている。

@アルバイシンの丘で A穴倉のようなフラメンコ酒場 BCD女性パフォーマー(足を踏み鳴らす音がないと雰囲気が伝わらないが)

バルセロナ

カタルーニャ地方は独特の言語と文化を持つ。カザルスの「鳥の歌」はカタルーニャの独自性を訴え、独立を求める声は今もくすぶり続ける。彼等の抑圧されたエネルギーは、19世紀末に建築家ガウディに代表される前衛的な芸術を生んだ。だが、正直に言ってガウディの建築と付き合うのは少々疲れる。

@ガウディの実験的な都市開発は頓挫、未完成のままクエル公園として世界遺産に登録された。公園から聖家族教会の建設現場が見える。Aガウディの陶器製ベンチは意外に座り心地が良い B不思議な散歩道 C聖家族教会(サクラダ・ファミリア)の完成済の部分。 D教会の内部は2百人近い職人が働く建設現場。寄付金の集まり具合で工事が進行するが、完成まであと40年〜150年。昔から大教会の建設は100年単位の時間を要した。日本流に急ぐ必要はない。
バルセロナの市場

バルセロナ市街中心部にあるマーケット。規模の大きさ、豊富な品揃え、品質の高さに感服した。食生活の健全さは人間社会の健全性の基本。老舗の偽装、怪しげな輸入食材、パック食品の氾濫で、日本人の食生活の不健全さは増すばかりだが、市場を見る限りでは、スペイン人の方がよほど健全に見える。
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