世界を巡る目次ヨーロッパ→南イタリア2

南イタリアの旅 その2   (2010/4/1)

イタリア半島は長靴の形と言われるが、踵の上に拍車があるので、女性のおしゃれブーツではなく、中世騎士の軍靴だろう。シチリア島を蹴とばしている姿とも言うが、むしろ、シチリアに躓いてイテテッ!に見える。シチリアをないがしろにし続けた結果、マフィアに手を焼いている近代史を読み取れるかもしれない。

イタリアの近代化(工業化)は、もっぱら膝より上の急所の部分(大陸部の北イタリア)で進み、シチリアと長靴だけでなく、脚部の体が取り残されて後進地域になった。膝関節の首都ローマも、主産業は歴史遺産の観光業で、このグループに入る。

近代化から取り残された地域が「癒し旅行」の対象になるのは、現代の皮肉の一つだが、「近代化」のメリット享受よりも、歪みのデメリットに苦しむ21世紀、人間の歴史・文明の意味と地球環境を考えさせる「後進地域」の存在価値は、これからも増すに違いない。

(前号までの画面が小型パソコンで見づらい事にやっと気づきました。新画面へのご意見をお寄せ下さい。)


アルベロベッロ

2009年秋の旅では、シチリア東北部のタオルミナから、メッシーナ海峡をフェリーで渡り、長靴のくるぶし部分のアルベロベッロまで、バスでほぼ1日の旅だった。この町は「トゥルッリ」の家並みが世界遺産に登録され、南イタリアを代表する観光地になっている。

「トゥルッリ」は、平べったい石を積み重ねて作ったトンガリ屋根の家。「カワイイ!」としか書かない観光案内もあるが、これがなかなか「反体制的」なのだ。その昔、税金が家屋一戸あたりで課税された時代、徴税役人の巡察があると、村人は石積みを崩して家の形をなくし、役人の姿が見えなくなると、たちまち元の家に積み戻したという。庶民の税金逃れの知恵が世界遺産になったのは面白いが、力学的バランスだけで中空の三角錐を組み上げるには、高度のノウハウとワザの伝承がある筈だ。

トゥルッリ地区の南側の200戸ほどは、観光化して土産物屋になったものが多い。

アルベロベッロ滞在の2日間、朝夕の自由時間にトウルッリの撮影に通った。この種の被写体を撮った経験がなく、手こずった。

観光化したトゥルッリても住民がいる。早朝に薪を搬入。
公開されている住居。断熱性に優れたエコ住宅である。

地区の北部の100戸ほどは住居地区で、観光施設はない。住人には若い年齢層の人が多いようだ。
朝のアルベロベッロ駅。通勤・通学の人たちが乗り込む。ローカル線の各駅停車にスマートな車体の気動車が走るのは、さすがイタリア。


ロコロトンド、マルティーナ・フランカ

日本にも江戸時代の街並みが僅かに残っているが、無粋な建築物や広告看板に囲まれ、異次元空間のように不自然で、住む人はさぞ不便だろうな、と思ってしまう。イタリアで驚くのは、あちこちに中世の町が昔のまま残っていて、その中で人々がごく自然に暮らしていることだ。アルベロベッロから足を伸ばしたロコロトンドとマルテイーナ・フランカも、そんな町だった。

イタリアの中世都市は、町全体を城壁で囲み、町民の家も城内にあった。戦争になれば城壁を閉じて、町全体を守った。日本の「城下町」では、城内にあったのは役所と殿様の住居だけで、住人は武士階級も含めて城外で暮らした。こんなヨーロッパと日本の都市形態の違いが、両者の「市民意識」の違いに影響を与えたような気もする。

電線が見えなければ、中世の町そのまま。
そんな中世の町に暮らしている人たち。改築や外観の変更は許されないが、内装はリフォーム出来る。

マルテイーナ・フランカの大聖堂。
守護聖人のお祭の行列に出会った。
大聖堂前で記念撮影する町の音楽隊
大聖堂の内部


ナポリ

日本のことわざを英語に直訳しても意味が通じない。英語の同義のことわざに言い換える例に、「日光見るまで結構というな」⇒ ”See Naples and die." がある。ナポリは死ぬまでに是非見物しておくべき名所らしい。

小生は2004年春、2009年秋の2度ナポリに立ち寄ったが、じっくり見物したことがない。と言うのも、観光客狙いの犯罪が多発し、市内観光をさせてもらえなかったのだ。1度目はバスジャックを怖れて道路の中央を走りぬけ、2度目はバスで駅前のレストランに乗り付け、食事後バスですぐ目の前の駅に直行した。どうやら死ぬまでナポリ見物は出来そうもない。

中世から続く丘上都市が多い。防衛の他にマラリア予防が目的だったという。
風車発電の建設が進んでいる。
ナポリ駅前
お巡りさんにも南イタリアの雰囲気。
モダンなトラム(市内電車)が行き交う
駅前のカップル

下は2004年春にローマから日帰りでポンペイを訪れた際に撮ったナポリの点描

ナポリの中心部は丹下健三のプラン。遠景はヴェスヴィオ火山
サンタ・ルチアの波止場で。
ナポリ市内の住宅地域。特に荒れた様子には見えない。
ヌオーヴォ城。15世紀にアラゴン家が再建、居城にした。


ポンペイ (2004/春)

紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が大噴火。麓で栄華を誇っていた貿易都市ポンペイは、一昼夜の内に降灰に埋まった。2千年近い歳月を経て、灰の中に封印されて風化を免れた古代ローマの都市が、当時の姿のまま発掘され、生き埋めになった人の苦悶の表情まで現れた。

遺跡の展示を見る度に、僅かな痕跡や破片から当時の全体像を再現する考古学者の想像力に感心する。時に「ホント?」と思うこともあるが、タイムカプセル状態だったポンペイの復元には疑う余地がない。既にラテン語が確立していた時代なので、当時の文献と現物の対比まで可能なのだ。

それにしても、2千年前の古代都市の完成度の高さに驚く。道路や上下水道施設に見られる都市作りの思想は、現代にも通用しそうだし、商店街や歓楽街の様子は、人間の欲望をビジネスにする手法が、既に確立していたことを示している。

灰の中から掘り出されたポンペイ市街。2千年前の都市とは思えない現実感がある。背景はヴェスヴィオ火山
上下水道の設備はローマ時代の都市計画の健全さを語る。
生き埋め死体の空間に石膏を流し込んだ生々しい人型。
漆喰壁に残された壁画。公開を憚るエロチックな絵もあるらしい。


ローマ (2004/春)

会社勤めの終盤で大阪勤務があり、「新幹線通勤」で塩野七生の「ローマ人の物語」を読んだ。おかげで、食わず嫌いだった「歴史」を面白いと思うようになった。「七生史観」を通して知った古代ローマだが、先を読めて実行力のあるリーダーが稀有で、独善を強行して国をダメにしたり、移り気な大衆に迎合するだけの君主が多かったことなど、いつの時代も変わらないのが面白くもあり、情けなくもなる。

ローマの歴史遺産には、教皇の門前町として栄えた頃の建造物もあるが、圧巻は紀元前後の古代ローマの史跡。日本の卑弥呼の時代よりも前に、かくも壮大且つ精緻な建造物を作り、ヨーロッパ全体に高度な文明を広めた国があったことに驚くと同時に、潮が引くように栄華の時代が去ったのを見るにつけ、勝者必滅の無常観が湧く。

コロッセオは紀元80年頃に完成。人間や猛獣が殺されるのを見せて大衆を熱狂させた政府提供の娯楽場。剣闘士や猛獣が出番を待った奈落が見える。

コロッセオ隣のコンスタンテイヌス凱旋門。312年建造当時、帝国は凋落期に入り、あちこちの記念碑のパーツを再利用してでっち上げたという。
フォロ・ローマノ(公共広場)はローマ時代の官庁街。ルネッサンス時代に石材用にリサイクルされ、破壊されたものが多い。

アウグストゥス帝の右腕だった軍人アグリッパを記念するパンテオン。紀元120年建造時の姿をほぼ完全に残している。直径43mの中空ドームを建てた技術力に驚く。

ローマ多神教の神殿は、8世紀にキリスト教会に転用され、マリア像などが祀られている。

パンテオン前の噴水
紀元139年建造のサンタンジェロ城。いろいろな使われ方をされたらしい。


バチカン市国

バチカン市国は世界最小の独立国。国土(0.44平方キロ)は京都御所の2倍にすぎず、人口821人の殆どが聖職者と修道士で、教皇庁の職員3千名は、国境を越えて通勤していると言う。イタリアとの国境は、サン・ピエトロ広場の入口に引かれた1本の線で、注意しないと知らずに跨いでしまう。この入口以外は城壁で囲まれ、1860年のイタリア王国成立時から1929年の和解まで、教皇とイタリア国が対立した歴史を残す。

サン・ピエトロ寺院は、ローマ帝国をキリスト教化したコンスタンテイヌス帝の命に始まるが、現在の建物はミケランジェロもかかわった16世紀のもの。外観はイスラムのモスクと比べてそれ程スゴイとは感じられないが、一歩中に入ると、さすがカトリックの総本山で、その荘厳さに圧倒される。

バチカン市国の国境(?)からサン・ピエトロ広場と大聖堂
広場の両脇を284本の石柱が並び立つ回廊が囲む。
バチカンの警護は伝統的にスイス傭兵が担う。
サンピエトロ大聖堂の内部は荘厳そのもの。参拝客が小さく見える。
壁には宗教画の名画が随所に掲げられている。


ローマ観光名所

ローマ市内には近代的な高層ビルが全くない。古い建物の建て替えは原則禁止で、ローマ市民は19世紀以前の建物の中で働き生活している。(内部の改装は許されるが、拙宅をリフォーム中の小生は、その大変さに同情する)。それがローマの「近代化」を阻んだ理由の一つだろうが、敢えてその道を選んだ勇気ある決断が、これからも文化遺産としてのローマの価値を高め続けるだろう。

テヴェレ川にかかるヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世橋
ナヴォーナ広場の像
トレビの泉。ローマ水道の終端設備で、宮殿の壁と一体に作られている。
おなじみのスペイン広場、昔スペイン大使館があったという。
ヘップバーン演ずる王女がアイスクリームを舐めたのはこのあたり。
「真実の口」は、ローマ時代の井戸の蓋だったらしい。

ヴェネツイア広場のヴィットリーオ・エマヌエレⅡ世記念堂。ムッソリーニが邸宅に使った時代がある。下段に無名戦士の墓。

カンポ・デイ・フィオーリ。15世紀の反宗教改革(カトリックのリベンジ)時代は、異端者の火炙り処刑場だった。今は花と青果物の青空市場。

「終着駅」テルミニ駅。外観はローマ市内唯一(?)の近代建築だが、構内には旧式の列車も出入りして、情緒が残る。


世界を巡る目次ヨーロッパ→南イタリア2